目黒蒲田電鉄新奥沢線
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新奥沢線(しんおくざわせん)は、かつて雪ヶ谷駅(現・雪が谷大塚駅)から新奥沢駅までを結んでいた池上電気鉄道→目黒蒲田電鉄(後の東京急行電鉄)が運営していた鉄道路線。
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[編集] 路線データ
- 路線距離:雪ヶ谷-新奥沢間1.44km
- 駅数:3
- 電化区間:全線(直流600V)
- 複線区間:なし(全線単線)
[編集] 運行概要
1933年10月1日当時
- 列車運行間隔:4時50分から0時50分まで8分ないし16分間隔
- 全線所要時間:3分
- 全線運賃:5銭
車両は主に、4号電車と呼ばれる集電装置にポールとパンタグラフの両方を兼ね備えていた車両を使用していた。
[編集] 概要
現在の東急池上線に当たる路線を運営していた池上電気鉄道が、既存路線だけでは将来の発展が見込めないとして、中央本線国分寺駅方面への延伸を画策、1928年に暫定的なものとして、雪ヶ谷駅(後の雪が谷大塚駅)より新奥沢駅に至る1.4kmの区間を開業させたものである。路線は雪ヶ谷駅を出てまもなく北西へ90度カーブし、後は直線的に進むものであった。
その暫定開業的性格から乗客数はもともと少なく、調布女学校(現在の田園調布学園)の女生徒の利用が主であった。終点の新奥沢駅は目黒蒲田電鉄(現在の東急目黒線・東急多摩川線を運営)に奥沢駅が既に存在したことからこの名前となったが、奥沢にあるといっても、目蒲電鉄の駅ではむしろ田園調布駅の方が近接してるといえた。
しかし延伸計画の方は、五島慶太率いる目蒲電鉄が大岡山駅~二子玉川駅間新線計画(後の東急大井町線)や田園調布開発計画に際し用地を確保していたこと、それに目蒲電鉄そのものが池上電鉄の競合路線であり、五島がその事業拡大政策を妨害する指針を取っていたこともあり、頓挫する。池上電鉄そのものも、後に目蒲電鉄に統合された。
五島が池上電鉄を買収してまもなく、同社では新奥沢線の廃止申請を出す。池上電鉄が目蒲電鉄に統合された後も、暫定的に新奥沢線の運行は続けられたが、1935年に廃線となった。
[編集] 沿革
- 1928年10月6日 雪ヶ谷-新奥沢間開業
- 1933年7月10日 池上電気鉄道、目黒蒲田電鉄傘下となる
- 1933年11月18日 廃止申請
- 1934年10月1日 池上電気鉄道、目黒蒲田電鉄に統合される
- 1935年11月1日 雪ヶ谷-新奥沢間廃止
[編集] 駅一覧
- 雪ヶ谷駅 - 諏訪分駅 - 新奥沢駅
[編集] 接続路線
- 雪ヶ谷駅:池上線
[編集] 路線跡
- 線路跡は奥沢駅前の南方に延びている奥沢商店街と御嶽山駅を結ぶ道路になっている。
- 新奥沢駅跡には現在、駅があったことを示す石碑が残されている。