相鉄6000系電車 (2代)
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6000系電車(6000けいでんしゃ)は、相模鉄道に在籍していた通勤形電車。
[編集] 概要
1970年(昭和45年)から1974年(昭和49年)までに70両が製造された。
旧6000系とは車体幅や走行機器類が変更されたことから、新6000系と呼ばれ旧6000系とは区別された。20m車体で車体幅は、在来線では当時日本最大の2,930mmとされた。内装の配色も製造された年代によって緑系(壁面・座席とも緑、ただし座席は当初紺色)とオレンジ系(座席オレンジ、壁面白大理石柄)の2種類があり、オレンジ系の内装色はその後の相鉄車両に引き継がれた。
電装品は、当時建設中のいずみ野線の規格に対応した高加速度設計になっており、このほか旧6000系の単独電動車方式から、中間電動車を2両ペアにする、大型通勤電車では一般的なMM'ユニット方式に変更したこと、車体では「関西タイプ」側面レイアウトを一般的なものに改めたことなど、改良・変更は多岐にわたり、ほとんど別系列といってよいほどである。ただし、実際の運用では新旧の6000系同士による混結も多く見られた。
ちなみに、相鉄最初の冷房車もこの系列であり、1971年(昭和46年)7月に試作車が登場、その後の増備は量産冷房車となった。なお、量産冷房車から内装配色が前述したオレンジ系となった。
横浜寄り先頭車は、制御付随車クハ6700形(18両製造)となり、制御電動車はなくなった。中間電動車はモハ6300形(34両製造)、連番になっている奇数番号車と偶数番号車でユニットを組む(7000系のモハ7100形もこの様式)。中間付随車は製造されなかった。
海老名寄り制御付随車クハ6500形は、旧6000系からの続番で、6526~6543(18両製造)が新6000系である。
正面は東武鉄道8000系に類似するような高運転台構造になっているが、面取りはフラットで窓に後退角は無い。種別表示器、運行番号表示器がはじめから作りつけになっており、上部にできるだけ大きくして並べるという、後に東京急行電鉄の車両で見られたようなレイアウトになっている。同時期に登場の2100系と共通のレイアウトで、5100系(5000系)や7000系にも引き継がれた。また運転台は、エルゴノミクス・デザインの観点から配置・設計が見直されている。
新6000系のみの特徴として、多くの全面塗装車や特別塗装車が存在していたことが挙げられる。
- 試験塗装車旧塗装から新標準色に移行する際に考案されたもの。デザインは新標準色に近いが、黄色味を帯び、裾が水色であった。
- ほほえみ号(6718編成・イラストデザインは久里洋二)
- 緑園都市号(6717編成・イラストデザインは柳原良平)
- アートギャラリー号(6713編成・イラストデザインは池田満寿夫)
- 創立85周年記念旧塗装編成(6707編成・1975年頃まで使われていた塗装)
1997年(平成9年)3月に旧6000系6144-6145を組み込んだ編成が廃車されたのを最初に順次廃車され、2003年(平成15年)8月23日のダイヤ改正で、老朽化や必要車両数の削減などを理由に前日の8月22日をもって定期運用を離脱、同年11月2日のさよなら運転を最後に営業運転を終了した。
2004年(平成16年)12月、休車扱いで最後まで残っていた16両(厚木駅相鉄電留線に留置)が廃車となった。さよなら運転まで残っていた32両は2100系の廃車体と共に無償譲渡先を募り、車両1両を丸ごと保存する場合は輸送費一部負担という好条件ながらも引き取り手は現れず、結局本系列は全車が解体された。なお2100系は、一部車両のカットボディが保存されている。