相鉄6000系電車 (初代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
項目統合の提案:この項目は相鉄6000系電車、相鉄6000系電車 (2代)との統合が提案されています。統合に関する議論はノート:相鉄6000系電車を参照してください。 |
6000系電車(6000けいでんしゃ)は、相模鉄道に在籍していた通勤形電車。
目次 |
[編集] 概要
1961年(昭和36年)から1970年(昭和45年)までに120両が日立製作所で製造され、両開き扉や直角カルダン駆動方式が採用された。「相鉄の顔」や「相鉄の優等生」と呼ばれた車両である。新6000系とは車体幅や走行機器類が大きく異なるために、この車両は旧6000系と呼ばれ、新6000系とは区別される。ただし双方の相互連結は可能であり、実際に混結も多く見られた。
[編集] 車体
20m級片側両開き4扉の構造だが、運転席(乗務員室)背面に窓と座席を持ち、中間車はサイド・ビューが左右非対称となっている、いわゆる「関西タイプ」であり、関東地方では同じ相鉄の3010系(後の3050系)の例があるのみ。大型通勤電車では珍しく単独電動車方式となっており、最短2両編成から1両単位で長くすることができ、また先頭車前面には貫通扉を設けた構造とすることで「いつでも、どこでも、どのようにでも」編成できる、気動車並みの編成自由度を持たせた設計が特徴である。このコンセプトは、人工統計学の観点に基づき最適化設計する過程で生まれたものだという。
基本的には普通鋼製であるが、1967年(昭和42年)にアルミ車体試作車として誕生した「モハ6021号車」がある。6000系の中で1両だけ異なる車体ということで、鉄道ファンから人気があった他、殆どの場合横浜寄りの先頭車として運用されていたため、沿線利用客にも特異な存在として知られていた。この車両を元に、2100系、5000系、7000系はアルミ製の車体で製造され車両の軽量化に大きく貢献している。
なお、「モハ6021号車」は冷房装置搭載改造の際、試験的にヒートポンプ式が採用されているが、温風を座席下にダクトで送り込む方式を試行していた。
[編集] 編成
最初は横浜向き制御電動車モハ6000形(25両製造)と海老名向き制御付随車クハ6500形(25両製造)の二両編成で、1963年(昭和38年)に中間電動車モハ6100形(45両製造)を、1964年(昭和39年)に中間付随車サハ6600形(25両製造)を登場させた。なお、中間電動車の最終増備車は、車体構造はそのままだがM-M'ユニットとされ、新6000系の布石となった。
相鉄の特徴である外付けディスクブレーキを装着する台車が採用されたのもこの系列の増備途中からであり、また冷房化も1979年(昭和54年)から開始、1986年(昭和61年)までに全車完了している。
[編集] 廃車
8000系、9000系の増備で、1997年(平成9年)5月までに全車両が営業運転から退いたが、営業運転期間35年7か月(1961年10月~)という、相鉄電車としては最長の記録を打ち立てている。また新6000系8両編成に旧6000系2両を連結する形での10両編成を組んだこともあり、最後まで最適化設計の妥当さを実証した。現在はかしわ台車両センターで静態保存されている6001号車と6021号車を除いて、解体されている。
[編集] 付記
1993年に廃車となったクハ6502の編成は、一部部品の撤去後もしばらく厚木駅構内に留置されていたが、方向幕の窓部分には相模鉄道社員によって「惜別」と書かれていた。