立花隆
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立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、日本のジャーナリスト・評論家。
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[編集] 略歴
長崎県長崎市生まれ。父は長崎の女学校教師、母は羽仁もと子の信奉者で、クリスチャンの家庭でもあるという。戦前の右翼思想家・橘孝三郎は遠縁に当たる。父が文部省職員として北京の師範学校副校長となったため、1942年(昭和17年)には一家で中国へ渡る。6歳の時、引き上げで日本へ戻り、母方の茨城郡那珂西に一時住み、父の郷里茨城県水戸市に移る。茨城師範学校(茨城大学)付属小学校、中学校を経て、1956年(昭和31年)に茨城県立水戸第一高等学校、千葉県に移ったため東京都立上野高等学校への転入を経る。小学校時代から読書に熱中し、自らの読書遍歴を記した文章を残している(『ぼくはこんな本を読んできた』で紹介)また、中学時代は陸上競技にも熱中したという。理系志望であったが色弱のために諦め、1959年(昭和34年)には東京大学文科二類へ入学。在学中は小説や詩も書き、イギリスで開かれた反核会議にも参加。卒論はフランスの哲学者メーヌ・ド・ビラン。
1964年に文学部仏文科を卒業し、文藝春秋に入社、「週刊文春」に配属される。 2年後に退職し、翌1967年(昭和42年)には東京大学文学部哲学科に学士入学。 途中から文筆活動に勤しむようになり、ジャーナリストとして活躍。創刊時の雑誌『諸君!』に「生物学革命」、「宇宙船地球号」「石油」などのテーマをノンフィクションや評論を書き、1968年には「立花隆」のペンネームで文藝春秋増刊号「素手でのし上がった男たち」を発表。『諸君!』の初代編集長田中健五(のちに文藝春秋編集長)との交友が後の「角栄研究」に繋がる。大学は1970年に中退している。1972年にはイスラエルをはじめ中東やヨーロッパを放浪、また一時期バーも経営していたという。
1974年(昭和49年)には『文藝春秋』に児玉隆也と「田中角栄研究」を発表(ー「その金脈と人脈」。これは大きな反響を呼び、田中退陣のきっかけを作ったとさえされる。文藝春秋は角栄批判から手を引くが、その後も発表場所を変え、折に触れて田中金脈問題を取り上げ、ロッキード事件で田中が逮捕された後は東京地裁での同事件の公判を欠かさず傍聴し、一審判決まで『朝日ジャーナル』誌に傍聴記を連載した。また同誌上で「ロッキード裁判批判を斬る」を連載し、俵孝太郎、渡部昇一ら田中角栄擁護論者を“イカサマ論法にして無知”と筆誅した。ただ、渡部は後年雑誌のコラムで立花のことを高く評価している。
昭和51年には『文藝春秋』に『日本共産党の研究』を発表。これも党側が組織的な反立花キャンペーンを展開して反論し、大論争に発展する。また、「総合商社」、「農協」、「中核・革マル」、「日本共産党」、脳死問題など巨大な権力、組織の徹底究明のジャーナリズム活動を行う。
政治関係の記事を執筆している一方で、『諸君!』時代に書いていたサイエンス関係のテーマにも手を広げ、1981年には『中央公論』に「宇宙からの帰還」を発表。平凡社『アニマ』に連載された「サル学の現在」、ノーベル賞受賞者利根川進との対談『精神と物質』、『科学朝日』に連載された「サイエンス・ナウ」「電脳進化論」「脳を究める」、など数多くのテーマを手がける。また、NHKやTBSなどにおいてドキュメンタリー番組制作にも携わり、連動した臨死体験などの著作もある。これらの業績で1983年に菊池寛賞、1998年に司馬遼太郎賞をそれぞれ受賞している。また、1996年-1998年には、東京大学教養学部で「立花ゼミ」を主催。ゼミは2005年に再開され、今も続いている。
[編集] 人物
著作以外の活動としては、1995年公開のアニメ映画、「耳をすませば」で主人公の父親役を演じ、作品の話題作りに貢献した。ただ、声優としての立花に対する評価には賛否両論がある。
科学関連の仕事は、一般人に馴染みのない先端科学をわかりやすく紹介したと評価されている一方で、その内容に誤りがあるという指摘もあり、2000以降にはサイエンス分野を中心とした立花批判があった。
東京都文京区小石川に「猫ビル」(巨大な猫の顔が壁に描かれている)の別名で呼ばれる地上三階地下一階建の事務所兼書庫を保有。数万冊にも上る蔵書を抱える。
[編集] 著作
- 『素手でのし上がった男たち』 番町書房 1969
- 『東大ゲバルト壁語録』
- 『思考の技術』 日経新書 1971
- 『日本経済・自壊の構造』 日本実業出版社 1973 菊入龍介の名前で
- 『中核 vs 革マル』 講談社 1975
- 『田中角栄研究』 講談社 1976
- 『文明の逆説』 講談社 1976
- 『日本共産党の研究』(第1回講談社ノンフィクション賞受賞) 講談社 1978
- 『アメリカジャーナリズム研究』
- 『アメリカ性革命報告』 文藝春秋 1979
- 『農協』 朝日新聞社 1980
- 『ロッキード裁判傍聴記』 朝日新聞社 1981~
- 『田中角栄いまだ釈明せず』 朝日新聞社 1982
- 『宇宙からの帰還』 中央公論社 1983
- 『「知」のソフトウェア』 講談社現代新書 1984
- 『青春漂流』 スコラ 1985
- 『田中角栄新金脈研究』 朝日文庫 1985
- 『ロッキード裁判批判を斬る』1、2、3 朝日文庫 1994
- 『脳死』 中央公論社 1986
- 『ロボットが街を歩く日』 三田出版会 1987
- 『同時代を打つ』講談社 1988
- 『脳死再論』 中央公論社 1988
- 『精神と物質』利根川進へのインタビュー(第4回新潮学芸賞受賞) 文藝春秋 1990 文春文庫 1993
- 『サイエンス・ナウ』 朝日新聞社 1991
- 『サル学の現在』 平凡社 1991
- 『ランダムな世界を極める』 三田出版会 1991
- 『宇宙よ』 文藝春秋 1992
- 『脳死臨調批判』 中央公論社 1992
- 『電脳進化論』 朝日新聞社 1993
- 『バーバラ・ハリスの臨死体験』 講談社 1993 翻訳
- 『巨悪 vs 言論』 文藝春秋 1993
- 『マザーネイチャーズ・トーク』 新潮社 1993
- 『生・死・神秘体験』
- 『アポロ13』
- 『臨死体験』 文藝春秋 1994
- 『宇宙を語る』
- 『ぼくはこんな本を読んできた』 文藝春秋 1995
- 『インターネット体験』
- 『脳を極める』
- 『証言・臨死体験』 文藝春秋 1996
- 『同時代ノート』
- 『無限の相のもとに』
- 『インターネットはグローバル・ブレイン』
- 『100億年の旅』
- 『環境ホルモン入門』
- 『二十歳のころ』
- 『宇宙・地球・生命・脳』
- 『サイエンス・ミレニアム』
- 『人間の現在』
- 『人体再生』
- 『脳とビッグバン』
- 『21世紀知の挑戦』
- 『新世紀デジタル講義』
- 『立花隆「旧石器発掘ねつ造」事件を追う』
- 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』
- 『東大生はバカになったか』
- 『解読「地獄の黙示録」』
- 『「田中真紀子」研究』
- 『「言論の自由」VS.「●●●」』
- 『イラク戦争・日本の運命・小泉の運命』
- 『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』 文藝春秋 2004
- 『思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた』
- 『エーゲ』 書籍情報社 2005
- 『天皇と東大 大日本帝国の生と死』 文藝春秋 2005
- 『滅びゆく国家』 日経BP社 2006
- 『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』 文藝春秋 2007
[編集] 参考文献
- 『立花隆のすべて』(文藝春秋,1998)
- 佐藤進『立花隆の無知蒙昧を衝く』(社会評論社,2000)
- 谷田和一郎『立花隆先生、かなりヘンですよ』(洋泉社,2001)
- 別冊宝島編集部『立花隆「嘘八百」の研究』(2002)
[編集] 外部リンク
- SCI(サイ)
- 立花隆の世界(リンク切れ)
- 東大教養部立花隆ゼミ(リンク切れ)
- 立花 隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」