利根川進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
利根川 進(とねがわ すすむ、1939年9月5日 - )は、日本の生物学者であり、1987年のノーベル生理学・医学賞受賞者。現在はマサチューセッツ工科大学教授(生物学科、脳・認知科学科、元・学習と記憶ピカウアセンタ所長)を勤める他、ハワードヒューズ医学研究所研究員、RIKEN-MIT神経科学研究センタ所長兼研究員等も兼任している。
『遺伝子工学的手法による抗体生成に関する免疫グロブリンの構造解明』がノーベル生理学・医学賞の受賞理由であり、分子生物学と免疫学にそのバックグラウンドを持つが、近年は、脳科学・神経科学にもその関心を広げ、Cre-loxPシステムを用いた遺伝子ノックアウトマウスの行動解析等による研究で成功を収めている。
目次 |
[編集] 略歴
- 1939年:愛知県に生まれる。
- 1958年:東京都立日比谷高等学校を卒業。父の勉も日比谷高校出身である。一浪の後、1959年、京都大学理学部に入学。現在の京都大学総長である尾池和夫とクラスメートであった。
- 1963年:京都大学理学部化学科卒業。同年四月、同大学院理学研究科に進学し、同大学ウイルス研究所の渡辺格に師事するものの、渡辺の薦めもあり、分子生物学を研究するため、設立されたばかりのカリフォルニア大学サンディエゴ校へ留学。
- 1968年:カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程修了。Ph.D. in molecular biology
- 1971年:バーゼル免疫研究所(スイス)の主任研究員
- 1981年:マサチューセッツ工科大学生物学部およびがん研究所教授。
- 1987年:遺伝子工学的手法による抗体生成に関する免疫グロブリンの構造を解明した功績により、ノーベル生理学・医学賞を受賞。受賞の対象となった論文はわずか17枚と短いものであった。2006年時点で、生理学・医学部門のノーベル賞受賞者は、日本人では利根川のみである。
- 1994年:マサチューセッツ工科大学ピカウア学習・記憶研究センター長(2006年に辞任)
[編集] 圧力メール疑惑
研究対象を同じくする神経科学の女性研究者であるアラ・カルポワ(Alla Karpova)に圧力メールを送ってMITへの就職を妨害したとされる問題が発端となり、2006年11月16日、学習と記憶ピカウアセンタ所長の辞任を表明した。辞任の理由について、利根川は「研究に重点を置き、全精力を傾注できるようにするため」と説明している[1]。
メールの内容は、もしMITに来るなら利根川も同僚も彼女の仕事に協力しないことを宣言したものであり、カルポヴァの才能に対する利根川の嫉妬が背景にあったとも言われているが[2][3]、詳細は必ずしも明らかではない。MITの同僚の告発により設置された内部調査委員会は、利根川の行動を不適当な働き掛けであると認定したが、女性に対する偏見は関係しておらず、懲戒処分にはあたらないと結論づけた[4]。
[編集] 主な受賞歴
- 1981年 第五十三回朝日賞
- 1983年 ガードナー国際賞
- 1984年 文化勲章
- 1987年 ノーベル生理学・医学賞
- 1990年 新潮学芸賞(立花隆との共著『精神と物質-分子生物学はどこまで謎を解けるのか』)
[編集] 著作
- 『精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』(立花隆によるインタビュー)文藝春秋・1990年(文春文庫・1993年)ISBN 4167330032
- 『私の脳科学講義』 岩波新書 岩波書店 2001年 ISBN 4004307554
[編集] 関連書籍
- 「男の生き方40選・下」 城山三郎
[編集] 外部リンク
- ノーベル賞100周年記念展(国立科学博物館)
カテゴリ: 日本の生物学者 | ノーベル生理学・医学賞受賞者 | 1939年生 | 愛知県出身の人物