笑福亭吾竹
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笑福亭 吾竹(しょうふくてい ごちく)は上方落語の名跡。5代目の死後、空き名跡となっている。
- 初代 笑福亭吾竹(?)は、初代松富久亭松竹の弟子。文政から天保にかけて京都で活躍し、初代都喜蝶と実力を競い合った。『こぶ弁慶』や『景清』を創作したという。初め素噺、後に芝居噺に長じたと伝え、「松富久亭」の亭号を現在の「笑福亭」に改めた。本名、享年とも不詳。
- 2代目 笑福亭吾竹(?)は、初代吾竹の弟子。初代吾鶴を経て、2代目吾竹を襲名。嘉永3年(1850年)頃には竹我と改名。大阪で活躍し、芝居噺、滑稽噺に長じたという。弟子に初代笑福亭松鶴が現れる。本名、享年とも不詳。
- 3代目 笑福亭吾竹(?)は、2代目吾竹門下で、3代目吾竹を経て、1887年11月に上方5代目三笑亭可楽を襲名したという。本名、享年とも不詳。
- 4代目 笑福亭吾竹(? - 1891年8月8日)は、後の2代目松鶴、2代目圓笑。
- 5代目 笑福亭吾竹(? - 1935年頃)は、初め新内節の岡本喜佐八を名乗る。後、落語に移り、初代桂文團治門下で初代桂歌團治を名乗る。師匠の死後、初代桂米團治と2代目文團治の襲名を争い裁判となるが、歌團治は敗訴したため、3代目笑福亭松鶴門下に移り、5代目吾竹を襲名。1912年、寿々女会の設立に参加し、曽呂利新左衛門や桂文左衛門などの向こうを張って、笑福亭吉右衛門を名乗る。門下には漫才の芦乃家雁玉がいる。本名、享年とも不詳。