米長邦雄
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米長邦雄(よねなが くにお、1943年6月10日 - )は、将棋棋士。棋士番号85。山梨県南巨摩郡増穂町出身。都立鷺宮高校卒、中央大学商学部中退(後に名誉卒業)。佐瀬勇次名誉九段門下。日本将棋連盟の会長で、東京都の教育委員でもある。50歳時に実力制名人の地位にあった将棋界ただ一人の人物。血液型はAB型。
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[編集] 人物
- 1985年、名人位こそ含まれていなかったものの、タイトルの過半数である四冠を制し、「世界一将棋の強い男」と称された。間違いなく当時のトップレベルの実力を誇ったにもかかわらず、名人位だけにはなかなか手が届かなかったが、1993年に7度目の挑戦で悲願の名人位を獲得する。そのとき49歳11ヶ月。史上最年長名人の誕生であった。
- 居飛車本格派ながら、定跡研究などによる序盤の構想よりも中終盤の攻防でねじ伏せる勝利が多く、特に将棋の終盤戦術の向上に貢献した。その独特の感覚は米長玉などに表れている。居飛車については「将棋の純文学」とも。
- 後には徐々に若手に混じって序盤の研究を熱心に行うようになり、四冠王にまでなった。米長流急戦矢倉の開発、鷺宮定跡の整備などの功績がある。
- 劣勢になると局面を複雑にする手を指して逆転を狙う棋風から、「泥沼流」と呼ばれる。本人の性格や見た目から「さわやか流」と呼ばれていたこともあった。
- 才気あふれる文筆やウィットに富んだ会話など将棋以外でも人気があり、「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった。」という発言は有名である。ただし、これは芹沢博文の発言であり本人はこのような発言をしていない、との説もある。
- また、雑誌で連載していた人生相談は、ユニークでしかも事の本質を捉えた回答で好評を博した。そのため、現役時代に政界進出を何度も持ちかけられたが、打倒中原と名人獲得の悲願を果たすため断念したといわれる。
- その中原とは本人によると親友の間柄であるが、大山康晴や加藤一二三といった純粋な勝負師タイプの棋士とはウマがあわなかったらしく、微妙な関係を推測させるエピソードもいくつか残っている。
- あだ名は「ヨネちゃん」。若き日は端正な容貌であったために将棋を知らない女性にも人気があった。
- 一方で、大の将棋ファンであった山口瞳は米長のことを親しみを込めオランウータンと評していた。
- 「自分にとって消化試合でも相手にとって重要な対局のときは相手を全力で負かす」といういわゆる「米長哲学(米長理論)」は、後の羽生世代に大きな影響を与えた。相撲などで常に噂される、千秋楽で7勝7敗の力士に対しては必ず負けて勝ち越しを確保させるという八百長から、将棋界が無縁でいられるのも、この理論の浸透が大きい。
- 1993年、七度目の名人挑戦に際し、米長は徹底的に自分の序盤戦術を洗い直す作業に取り掛かる。そのため、当時島朗が主宰していた羽生善治、佐藤康光、森内俊之で構成された伝説の研究会「島研」に顔を出し、徹底的に対中原の研究を重ねた。また森下卓とも序盤戦術について活発に意見を交換したそうである。
- 引退時に「全棋戦で敗退した時点で引退」という前代未聞の表明を行い問題となる(先に引退届を出した上で、残った対局の予定を消化するというのが原則である)が、王将戦で本戦リーグ入りを果たすなど元名人の意地を示した(しかし、本戦リーグでは1勝もあげられず、6戦全敗という結果に終わった)。
- 2004年10月28日、秋の園遊会に招待されたが、その際に天皇と交わした会話が話題となった。詳細は国旗及び国歌に関する法律の項目に詳しいため割愛する。
[編集] 略歴
- 1985年 タイトルの過半数である四冠を獲得。
- 1993年 49歳11ヶ月の史上最年長で名人位を獲得。
- 1998年 順位戦でA級からB級1組に降級した際にフリークラス宣言をする。
- 2003年 中原誠が会長になった後を受けて、日本将棋連盟の専務理事に就任。
- 2003年 12月17日 現役棋士を引退。
- 2005年 中原誠の後を受け、日本将棋連盟会長に就任。
[編集] 昇段履歴
- 1956年 6級
- 1959年 初段
- 1963年 4月1日 四段
- 1965年 4月1日 五段
- 1966年 4月1日 六段
- 1969年 4月1日 七段
- 1971年 4月1日 八段
- 1979年 4月1日 九段
[編集] 主な成績
通算成績は 1103 勝 800 敗。
[編集] 獲得タイトル
- 名人 1期(第51期)
- 十段 2期(第23期~24期)
- 棋聖 7期(第22期・36期・43期~47期)
- 王位 1期(第20期)
- 棋王 5期(第4期・第6~9期)
- 王将 3期(第32期~33期・39期)
[編集] 永世称号
- 永世棋聖
[編集] 将棋大賞
- 第1回(1973年度) 最多対局賞
- 第2回(1974年度) 最多対局賞・技能賞
- 第4回(1976年度) 最多対局賞
- 第5回(1977年度) 最多対局賞
- 第6回(1978年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞
- 第8回(1980年度) 最多勝利賞・最多対局賞
- 第11回(1983年度) 最優秀棋士賞
- 第12回(1984年度) 最優秀棋士賞
- 第21回(1993年度) 特別賞
- 第27回(1999年度) 升田幸三賞
[編集] 記録(歴代1位のもの)
- 最年長名人獲得 49歳11ヶ月(50歳名人)
- 最年長名人失冠 50歳11ヶ月
- 十段リーグ連続在籍16期(十段獲得期間含む)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 公式ページ
- 米長邦雄の家
- 米長邦雄ホームページ http://homepage1.nifty.com/yonenaga-kunio/ (「米長邦雄の家」へ移転)