細谷雄二
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細谷 雄二(ほそや ゆうじ、1897年 - 1967年3月30日)は日本の生理学者・医学博士である。大阪市立大学名誉教授。山形県西村山郡谷地町(現・河北町)生まれ。アララギ派の歌人。同じく医学博士で俳人の細谷雄太(俳号・細谷不句)は長兄。ソニー名誉会長の井深大は義弟にあたる。息子に元産経新聞編集局長、元日本工業新聞社長の細谷洋一。娘婿に宗教学者の井門富二夫。
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[編集] 経歴
- 1923年:東北帝國大学医学部卒業
- 1925年:東北帝國大学医学部助教授
- 1932年:文部省在外研究員としてドイツへ留学
- 1936年:台北帝國大学教授、医学部生理学第二講座担当
- 1945年:中華民国国立台湾大学医学部教授に留用
- 1949年:大阪市立医科大学教授
- 1953年:大阪市立医科大学学長
- 1955年:大阪市立大学医学部長
- 1952年:大阪市立大学学長
- 1963年:大阪女子短期大学教授
- 1967年3月30日:脳出血のため逝去。同日、従三位・勲二等瑞宝章を受勲
[編集] 主な業績
- 1937年、世界で初めて嗅粘膜の生理的メカニズムを電気信号として捉えることに成功し、論文『嗅粘膜の生物電気現象について』(吉田甫との共同研究)を発表。
- カエル・カメの円椎体内から紅色・黄色・藍色の感光物質を発見し、ヘルムホルツ三色学説に対して、化学的根拠を与えた。
- 視紅(Rhodopsin)の化学本態は複合蛋白質であって補欠分子簇はリン脂質(phospholipid)であると提唱。
[編集] 歌人として
- 台北帝國大学医学部部歌において作詞(作曲は小豆沢利之助)。
- 歌集『川二つ』初音書房
- 「朝ごとの水霜に枯るる庭の木下り来て百舌のあまた啼かぬも」
- 「疲れつつ夜の教室にまどろみて貧しく果てし父の夢みし」