草間彌生
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草間 彌生(くさま やよい、1929年3月22日 - ) は、長野県松本市生まれの彫刻家、画家、小説家。表記には草間弥生もあり。
松本駅近くで種苗業を営む裕福な一家に生まれ、幼いころから草花やスケッチに親しむ。その一方、少女時代より統合失調症(医学博士西丸四方が診断)を病み、繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。画面のみならず、見る者の視界を覆い尽くさんばかりに際限なく増殖する水玉のモチーフがそれである。また男根状のオブジェが特徴的である。
[編集] 年譜
- 1945年(16歳)、大戦から疎開してきた画家たちの立ち上げた「第一回全信州美術展覧会」で並み居る顔ぶれの中入選する。松本高等女学校(現:長野県松本蟻ヶ崎高等学校)を卒業後、京都市立美術工芸学校(現:京都市立銅駝美術工芸高等学校)の4年生最終課程に編入して日本画を学ぶ。後に役立つ絵画技法を身につけるが、旧弊な日本画壇には失望し翌年卒業。松本の実家に帰り、寝食も忘れ毎日数十枚以上を描く。
- 1952年、松本市公民館(旧:松本市公会堂)で2回の個展を開く。1回目の際、精神科医の西丸四方(1910年-2002年)が立ち寄り感嘆、絵を購入。関東精神神経学会で紹介するほか、知人でゴッホ研究などで有名な精神科医・式場隆三郎が、白木屋など関東での個展のつてを紹介する。第2回個展では松澤宥に賛助出品してもらった他、パンフレットに瀧口修造らの寄稿文が掲載される。西丸博士と瀧口は、その後生涯にわたるよき理解者となった。
- 1954年から翌年にかけ、東京で4回の個展。白木屋百貨店ほか、瀧口のかかわるタケミヤ画廊でも個展。瀧口がニューヨークの第18回国際水彩画ビエンナーレに彼女を紹介し、渡米のきっかけを作る。素描のほかにコラージュなども量産。
- 1957年、渡米。活動の中心をニューヨークに置き、ドナルド・ジャッドやジョゼフ・コーネルらと親しくなる。絵画のみならず男根状のオブジェを既製品にはりつけた立体作品やインスタレーションを始め、ハプニングと称される過激なパフォーマンスも実行、ヴェネツィア・ビエンナーレにもゲリラ参加する。1960年代には「前衛の女王」の異名をとる。反戦運動にも携わる。
- 1968年、自作自演の映画『草間の自己消滅』が第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、第2回アン・アーバー映画祭で銀賞受賞。また、第2回メリーランド映画祭でも受賞。
- 1973年、親友でパートナーのジョゼフ・コーネル死去。体調を崩して帰国、入院。
- 1978年、処女小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』を発表。
- 1983年、小説『クリストファー男娼窟』で第10回野生時代新人賞を受賞。
- 1993年、ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として参加。世界的に再評価熱が高まる。
- 1996年、国際美術評論家連盟から2年連続でベストギャラリー賞を受賞。
- 1998年、台北ビエンナーレに参加。
- 2000年、シドニー・ビエンナーレに参加。同年、第50回芸術選奨文部大臣賞、外務大臣表彰。
- 2001年、朝日賞。
- 2002年、紺綬褒章。
- 2003年、リヨン・ビエンナーレに参加。同年、フランス芸術文化勲章オフィシエ、長野県知事表彰。
- 2004年、大規模個展が日本を巡回。
- 2005年、「スヌーピーライフデザイン展 Happiness is the 55thAnniversary」に参加。
- 2006年、旭日小綬章、ライフタイムアチーブメント賞。シンガポール・ビエンナーレに参加。