読売新聞中部支社
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読売新聞中部支社(よみうりしんぶん ちゅうぶししゃ)は、愛知県名古屋市にある読売新聞東京本社傘下の支社である。
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[編集] 中部支社所在地
- 愛知県名古屋市中区栄一丁目17番6号
[編集] 中部支社管内の支局
[編集] 歴史
[編集] 「中部読売新聞」創刊
1974年7月31日、東京の読売新聞社(現・読売新聞東京本社)は、大阪讀賣新聞社(現・読売新聞大阪本社)の設立に関わった竹井博友が経営する印刷会社「名古屋高速印刷株式会社」と業務提携を結び、「名古屋高速印刷」は商号を「株式会社中部読売新聞社」に変更した。
1975年3月25日に、読売新聞の東海3県に於いての発行としての形で、愛知県、岐阜県、三重県を対象地域とする「中部読売新聞」が創刊された。紙面は、東京で製作された紙面を一部共用し、読売本社と中部読売は編集・工務・販売・広告などの部門で互いに協力し合った。
[編集] 不当廉売問題(中部読売事件)
創刊当時、月極め購読料が500円(1部売り20円)と他の全国紙・ブロック紙より安く、中日新聞など地元の新聞社が中部読売の創刊直前から、中部読売の創刊を阻止しようと、日本新聞協会の下部機構である新聞公正取引協議委員会が読売本社と中部読売は同一の事業主体であると指摘。『読売新聞の差別対価・中部読売の不当廉売』との訴えを起こし、公正取引委員会に申告した。
こうした騒動の最中、中部読売は創刊されるが、公正取引委員会は中部読売創刊当日の1975年3月25日、『月極め500円の購読料は不当廉売の疑いがある』として緊急停止命令を東京高等裁判所に申し立てた。同年4月30日に出た東京高裁の決定では、「公正取引委員会の審決があるまで月極め812円を下回る価格で販売しない」との判決が出た。判決通り、1975年5月から月極め812円に値上げした。その後も、地元紙などからの中部読売への妨害は続いた。
[編集] 創刊から12年遅れの新聞協会加盟
不当廉売問題がネックとなって、全国紙系の新聞社でありながらも創刊から長らく日本新聞協会には加盟していなかったが、1987年5月20日、創刊から12年目にして新聞協会にようやく加盟した。
[編集] 東京発行の「中京版」
中部読売時代は読売新聞本体とは別法人・別組織であったが、記事内容は一部を除いて読売東京本社版の紙面を共用していた。1面下段のコラムと社説は中部独自の物を掲載した(コラムのタイトルは『東海風』)。但し、東京本社も東海3県向けに発行した「中京版」(番組表は静岡県遠州地域版=西部地方向けと同じものを使用)を出していたので、東海3県では東京本社版、中部読売版の2つの読売が併売されたことになる。
[編集] 読売本体へ合流
読売名誉会長の務臺光雄は、『中部進出は私の生涯で唯一の失敗だった』と竹井博友ら中部読売経営陣に退陣を求めた。その後経営不振から1988年2月1日に読売新聞本社と吸収する形で、読売巨人軍を経営する読売興業(後の株式会社よみうり)に運営を委ね中部読売新聞本社となった。巨人の黒字でドラゴンズの地元・名古屋で新聞を発行するという奇妙な形態となった。
同年6月1日には、「読売新聞中部本社」となり、題号も「中部讀賣新聞」から、他の本社と同じ「讀賣新聞」として再スタートを切った。読売本紙の社説と、1面下段コラムの「編集手帳」も中部本社発足の日から掲載されるようになった。また、これと同時に、中部読売が発売されていた三重県の伊賀地域は、大阪本社の管轄に変更された。伊賀地域は京阪神通勤圏に近く、近畿地方のニュースを多く利用していることや他の全国紙もこの地域は大阪本社管轄であることを配慮した。なお、他紙が大阪版管轄の熊野市・尾鷲市などの東紀州地方向けは読売のみ従前どおり中部版を発行。
[編集] 本社から支社に格下げ
2002年7月1日に持株会社「読売新聞グループ本社」に移行したことから、中部本社は東京本社傘下の中部支社に格下げされた。またこれに伴い創刊号からの発行号数を示す紙齢も、それまでの中部読売創刊の1975年からの合計から、東京本社の創刊時(1874年)からのそれに変更された。
[編集] 静岡向け夕刊を印刷
読売新聞中部支社管轄地域である東海3県では中部読売の時代から夕刊を発行せず、朝刊単独で発行しているが、静岡県(東京本社管轄)の夕刊については中部支社で印刷してトラック輸送している。
[編集] スポーツ報知中部版
スポーツ報知の中部版も報知新聞社ではなく、読売新聞中部支社からの発行である。創刊は1979年で、これもそれまで発行されていなかった報知新聞の東海3県での基盤を整えるために「報知スポーツ」として創刊し、基本的には中部版独自の番組表、公営競技面、大阪本社製作の中央競馬面などを除き、東京本社発行版と同じ紙面を利用している。1996年に他の本社と同じ「スポーツ報知」と改めた。なお、中部版スポーツ報知では1面の日付部分、あるいは各ページの「第3種郵便物認可」の横にある「報知新聞」のクレジットは外されており、1面日付のそれにも「スポーツ報知」の題字が入っている。また、報知スポーツの時代は他本社が1面や最終面にカラー紙面を連日採用して以後もしばらくはモノクロ紙面で、見出しの色も報知のシンボルカラーである緑色ではなく朱色が使われていた時代があったが、現在は他本社同様カラー紙面・見出しも緑色ベースとなっている。
[編集] 備考
- 読売朝刊の4コマ漫画「コボちゃん」は中部支社版では未だカラー化されていない。中部版のみ白黒で掲載。
- この中部読売が創刊される前の1960年-1971年の間、名古屋テレビ放送(当時はNNNをメインにANNとのクロスネットだった)では、毎週平日早朝の帯番組・「NNNあさ7時のニュース」を「読売新聞7時のニュース」と改題して放送していた。1969年に現在のNNN系列・中京テレビ放送が「中京UHFテレビ放送」として開局した当時も、1973年春季(4月)改編で変則クロスネットが整理されるまではNBNでこの番組(1972年からは「NNNモーニング7」として放送)を配信した。
- タイトルに「読売新聞」と入れた理由としては、クロスネット局であることへの配慮の他に、読売新聞社がNBNの中心株主(現在はトヨタ自動車と朝日新聞社が中心だが読売も資本関係にある)であったこと、また当初読売が名古屋に進出するに当たって、真宗大谷派名古屋別院(東別院)から土地を借り受けて社屋を建設することも計画していた(その後NBNが社屋として使用)ことも挙げられていると思われる。
[編集] 外部リンク
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