豊真将紀行
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豊真将 紀行(ほうましょう のりゆき、1981年4月16日 - )は、山口県豊浦郡豊浦町 (現在の下関市)出身で錣山部屋所属の現役大相撲力士。本名は山本 洋介(やまもと ようすけ)。身長186cm、体重142kg。最高位は西前頭4枚目(2007年1月場所)。 四股名の由来は、〈豊〉は合併のため消滅した豊浦町から、〈真〉は本人の心、〈将〉は大将、〈紀〉はものごとの初めを意味する出身校の監督の一字、〈行〉は父から一字をもらったもので、父母への御礼に従うという意味が込められている。
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[編集] 来歴
埼玉栄高校時代から全国大会に出場して活躍し、日本大学に進学した。日大相撲部の同期には白石(現:白乃波)、里山がいる。入学当初からレギュラー格(そのため白石や里山とは稽古したことがなかったそうである)で活躍するも蜂窩織炎が悪化したため1年で相撲部を退部。一時は相撲を諦め、警備員などアルバイト中心の学生生活を送っていた。その後同期の白石と里山が大相撲入りする事を聞き、蜂窩織炎の状態が良くなったこともあって再び相撲を志し、日大を中退してアルバイト先の社長の紹介で開設されたばかりの錣山部屋に入る[1]。新弟子入門期限ぎりぎりの22歳11か月で2004年3月場所に前相撲から初土俵を踏んだ。
約3年相撲から離れていたこともあり、入門当初は母校でもある出稽古先の埼玉栄高校で、エースの澤井豪太郎(現:豪栄道)に歯が立たず、1年生の佐野マービン・リー・ジュニア(現:大翔勇)にさえ分が悪いなど苦労したこともあったが、2004年11月場所では三段目で全勝優勝を果たす。スピード出世で番付を上げ5場所で幕下に昇進。幕下上位でも安定した成績を残し、2005年11月場所には東幕下3枚目まで番付を上げ、5勝2敗と勝ち越し、翌2006年1月場所に十両に昇進した。その場所も好調で東十両12枚目で10勝5敗と勝ち越し、翌3月場所も12勝3敗と大勝して5月場所の新入幕が決定した。前相撲からの所要13場所での幕内昇進は旭富士、貴花田(後の貴乃花)、武蔵丸の3横綱と並び、史上9位タイの速さである。
新入幕の場所で脚を傷め、また立ち合いに迷いが出たこともあって、入幕直後は下位でややもたついていたが、入幕4場所目の2006年11月場所は一躍成長を見せた場所になった。初日に豊ノ島に敗れたが、その後は11日目まで10連勝で全勝の朝青龍を追った。12日目に初めての大関戦となる栃東との一番に敗れ2敗に後退したが、その先も崩れず、優勝はならなかったものの14日目まで朝青龍の優勝を引き伸ばした。12勝3敗の優勝次点の成績と相撲の好内容が評価され、敢闘賞と技能賞を同時に受賞した。
初の上位戦となった2007年1月場所は、大関琴欧洲に土をつけたものの、7勝8敗と負け越した。翌3月場所は、1月場所に続き、琴欧洲を始め幕内上位力士を相手に内容のいい相撲で好成績を残し、11勝4敗で2度目の技能賞を獲得した。来場所の三役昇進が見えてきている。
- ^ 同じ山口県出身の放駒も彼が中学生の頃から目をつけていたというが、中学時代は「高校に進学する」ということであきらめ、高校時代は「大学に進学する」ということであきらめ、大学時代は「相撲を辞めた」ということであきらめたという。
[編集] 取り口
相撲の特徴としては、頭を付け低い姿勢を常に保ち、それでいて前に落ちることがほとんどないことが上げられる。力士の大型化と稽古量の減少に伴って、あっけなく前にばったりと落ちる相撲が多い昨今にあって、このことは精進の賜物として評価が高い。反面、若干勝ち味に遅いきらいがあり、今後のステップアップへの課題と目されている。ただ、2007年3月場所の後半戦では立ち合いから押していく相撲でも勝てるということをアピールした。同じ場所に入幕を果たした把瑠都や若手の稀勢の里、豊ノ島と共に今後の相撲界を背負っていく逸材として更なる飛躍が期待されている。
[編集] エピソード
- 高校時代は勉強も得意で、学年約1600人中一桁の成績を取っていたという。
- 性格は、真面目・温厚・人見知りしないと自他共に認めるもので、そのためファンサービスも良い。武士を思わせる堂々とした風貌で、また勝ち負けに関係なく、取り組み後に深々と礼をする所作が清々しいという声も多い。また、幕内力士土俵入りの時には高見盛、安馬、豊ノ島らと並び大きな声援を受けている。金を稼ぐことの厳しさ、人間関係の重要性は警備会社のアルバイト中に学んだといい、これが人間性を大きく高める契機となったという。
[編集] 幕内での場所別成績
場所 | 地位 | 勝数 | 敗数 | 休場 | その他 |
---|---|---|---|---|---|
平成18年(2006年)5月 | 東前頭11枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成18年(2006年)7月 | 東前頭14枚目 | 9 | 6 | 0 | - |
平成18年(2006年)9月 | 東前頭11枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成18年(2006年)11月 | 東前頭11枚目 | 12 | 3 | 0 | 敢闘賞・技能賞 |
平成19年(2007年)1月 | 西前頭4枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成19年(2007年)3月 | 西前頭5枚目 | 11 | 4 | 0 | 技能賞 |
通算 | 52 | 38 | 0 | 敢闘賞1、技能賞2 |
[編集] 主な成績
(2007年3月場所終了現在)
- 通算成績: 126勝64敗(19場所)
- 幕内成績: 52勝38敗(6場所)
- 十両成績: 22勝8敗(2場所)
[編集] 各段優勝
- 三段目優勝: 1回(2004年11月場所)
[編集] 三賞・金星
- 敢闘賞: 1回(2006年11月場所)
- 技能賞: 2回(2006年11月場所、2007年3月場所)
[編集] 改名歴
- 山本 洋介(やまもと ようすけ)2004年3月場所-2004年11月場所
- 豊真将 紀行(ほうましょう のりゆき)2005年1月場所-