貝殻島
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貝殻島(かいがらじま)は、いわゆる北方領土の歯舞諸島にある小さな無人島。
1957年に、当時ソ連KGBの一機関であったソ連国境警備隊が実力で占拠した。そのとき、日本は日米安保条約により米国によって防衛されることになっていたが、米軍は一切出動しなかった。現在もロシア連邦が占領・実効支配している。ロシア語地名は、シグナルヌイ島Остров Сигнальный。
当該地域の領有権に関する詳細は千島列島及び北方領土の項目を、ロシア側の現状などに関してはサハリン州の項目を見よ。
納沙布岬と水晶島を隔てる海峡、珸瑤瑁(ごようまい)水道(ロシア語地名: ソビエツキー海峡Пролив Советский)のほぼ中間地点にあり、納沙布岬からの距離は僅か3.7kmである。島というよりは岩礁であり、1937年に日本により建設された貝殻島灯台がある。
貝殻島灯台は灯台基部と共に基礎部分の劣化が進み、傾いた姿が納沙布岬から目視で確認できる。また、2006年に消灯が確認され、現在も復旧していない。
コンブの好漁場だったが、戦後はソビエト連邦の実効支配下に入り、零細漁民は危険を覚悟で操業を続け、拿捕が相次いだ。この状況を打開すべく1963年に民間協定が結ばれ、以降ソ連(現在はロシア連邦)に入漁料を支払ってコンブ漁を続けている。
[編集] 漁船銃撃・拿捕事件
2006年8月16日、水晶島付近の海域で操業中の、北海道根室市花咲港所属のカニかご漁船がロシア国境警備局の警備艇により追跡され、貝殻島付近で銃撃・拿捕され、乗組員1人が死亡する事件が発生した。日本政府はロシア当局に対し、北方領土は日本固有の領土であるとの前提に立って「日本領海内で起こった銃撃・拿捕事件であり、到底容認できない」と抗議した。しかし、この海域はロシア側の実効支配海域であるため、ロシア側にとっては国境侵犯密漁事件であり、日本側の「この海域は日本領海」とする抗議とは根本的な点で相容れないために、今回の問題をさらに複雑にした。
この付近のロシア実効支配海域では、コンブや許可された魚については、許可を得て入漁料を支払った漁船についてのみ認められていたが、無許可操業は日本の農林水産省や北海道当局も禁止しており、またカニ漁に関しては日本側には一切認められていなかった。北海道庁は近く付近の漁協に対して、周辺海域でのカニ漁を行わないよう指導しようとしていた矢先の事件であった。今回の漁船はロシア側海域での一切の漁を認められていなかったうえに、カニ漁を行っていた可能性が高く、実際に船内からは1.1トンのカニが残留していたとロシア側は発表した。
乗組員は国後島の古釜布に連行され、日本人とロシア人の友好の家(いわゆるムネオハウス)に拘束された。また、死亡した乗組員の遺体は8月19日に海上保安庁の船によって日本に引き取られた。8月30日には船長以外の2乗組員が解放され、海上で北海道庁の船に引き渡されたが、船長は9月4日にロシア側の検察により国境侵犯と密漁の罪で起訴され罰金刑が確定し、約50万ルーブルの罰金・賠償金を支払ったうえ、10月3日にようやく釈放されビザなし交流の船で根室に帰還した。
帰国後、船長は「越境も密漁もしていない」と、ロシア側に認めた罪を一転否定したが、もし船長の発言が事実なら、これまでに一度もなかった「ロシア側警備艇側の“日本実効支配海域の領海侵犯”による、日本実効支配領海内での発砲・拿捕事件」ということになる。しかし、これは日本の海上保安庁や北海道庁等も疑問視しているようで、慎重に事実の確認をしている。
2007年3月2日、根室海上保安部は船長ら3人を、北海道海面漁業調整規則違反(区域外操業など)の疑いで釧路地検に書類送検した。ただし、これは北海道によって中間ラインよりさらに北海道本島寄りに設定された「漁業規制ライン」を超えて操業を行った事を船長らが認めた事によるものである。これは中間ラインを超えた「越境」行為を認めたものではない事には注意する必要があるが、そもそも日本政府は「中間ライン」や「越境」を公式に認めるわけにはいかないものの、ロシア側にも一定の配慮した結果の措置と言える。