近江鉄道クハ1208形電車
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近江鉄道クハ1208形電車(おうみてつどうくは1208がたでんしゃ)は、近江鉄道に在籍した電車の形式。モハ9と編成を組む制御車で全1両、1991年3月廃車。
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[編集] 概要
木造車のクハ1208を、1963年鋼体化改造名義で西武鉄道クハ1215の車体に取り替えたもの。台車もTR11に交換され、車籍は名義のみの継承である。1987年時点で休車になっていた。1991年3月廃車。
[編集] 諸元
白土 (1970) による。#は京大鉄研 (1987) 。
- 最大寸法 長16 820 (16 910#)×幅2 715 (2 740#)×高3 852 (4023#) (mm)
- 自重 24.5t
- 台車 TR-11A
- 制動装置 AMA
- 製造年月 1898年(明治31)年5月(車籍上)
- 製造所 福岡鉄工所(車籍上)
[編集] 前身
車籍を遡ると1898年(明治31年)の近江鉄道開業のときの木造4輪客車から、複雑な経歴を辿っている。
[編集] は1(4輪客車)
いわゆるマッチ箱形で、5室の区分客室を持つ3等車であるは1 - 20は福岡鉄工所で製造、1912年(明治45年)の彦根車庫火災により9両焼失、同年欠番を埋めるように改番(は3、4、5、8、9、12、13、15、18、20→は2 - 11(2代目))された。
[編集] は1(ボギー客車)
1913年(大正2年)9月付認可により4輪車2両を接合してボギー車とする改造が行われ、は1はは2(2代目)と合わせ、は1となり、区分客室(コンパートメント)であったのを車体中央に通路を持つ構造に変更。最大寸法55フィート8インチ×8フィート7インチ×11フィート8インチ(mm×mm×mm)、定員74名。同形車は、は3+は4→は2、は8+は9→は4、は10+は11→は5。一方は5+は6→い2と2等車になった。
[編集] フホハユ1
1926年(大正15年)11月認可の形式称号改正では1、2はフホハユ1、2と改番。整理の名目で定員46名、郵便3t、自重16tに変更となるが、改造の詳細は不明。
[編集] フホハ32
1928年(昭和3年)4月18日の全線電化後しばらく活動していなかったが、フホハユ32、33は電車増結用として整備、1930年(昭和5年)10月認可でフホハ32、33と改番。1940年(昭和15年)2月にオープンデッキを廃止して客扉を設置。1951年(昭和26年)には木造台枠の補強を行ったが、この時まで台枠、側梁中央の継ぎ目が残っていたという。
改造を繰り返し、フホハニ32、33となって末期の諸元は定員48名、自重16.95t、最大寸法17 223×2 616×3 204 (mm)。
[編集] クハ1208
1956年(昭和31年)1月認可で改造され、クハ1208となるが、実際には車籍と台車の使用のみで西武クハ1258の車体を使用している。書類上ハ1208の経歴があるが、実際にはこの番号は使われていない。同年7月認可で台車を汽車BW54-18Lに交換。さらに1963年(昭和38年)西武クハ1215の車体と交換して同時に台車も交換して車籍のみ継承し、廃車に至る。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 白土貞夫 「近江鉄道」上下(私鉄車両めぐり83) 『私鉄車両めぐり特輯』第3輯、鉄道図書刊行会、1982、265-284頁、ただし記事の掲載は『鉄道ピクトリアル』Nos. 239-240、1970年。
- 京都大学鉄道研究会 「車両」『京都大学鉄道研究会雑誌』23号、京都大学鉄道研究会、1987、1-21頁。
- 藤井信男、大幡哲海、岸上明彦 「各社別車両情勢」『新車年鑑1991年版(鉄道ピクトリアル1991年10月臨時増刊号)』No. 550、鉄道図書刊行会、1991年、122-138頁(より藤井担当近江鉄道の項)