遭難
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遭難(そうなん)とは、生死に関わる危険に遭遇することで、広義には暗殺事件などを含む(「浜口雄幸遭難」などと使う)が、特に山や海等において、迷ったり怪我をしたりするなどして自力での帰還が不可能になった状態を言う。この項では以下に山での遭難、海での遭難について記述する。
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[編集] 山岳遭難
山岳遭難とは、登山等の目的で山に入り、怪我や雪崩、迷うなどして自力で帰還できなくなることを指す。山においては急激な天候の変化、雪崩、怪我、あるいは地図の読み間違えなどが多く発生し、平地に比べ気候が厳しいこともあり毎年多くの遭難者を出している。これらは季節を問わず見られ、また八ヶ岳や白馬岳など整備され人気のある山でも見られる。
[編集] 原因
遭難の原因には様々なものが考えられるが、主なものを挙げると
- 道に迷う
- 滑落等で怪我をし、動けなくなる
- 雪崩に遭う
- 擬似好天等による天候の悪化
等がある。このうち、雪崩が原因の遭難については雪崩を参照すること。
登山の際によく使われる地図は、国土地理院発行の1/25000の地形図だが、これには登山道が記されてはいるものの、閉鎖された道が削除されずに記されていたり、実際とは違った道の形になっていたりと間違いがあるものもある。加えて山で歩く際には似たような風景の道が繰り返し続くこともあり、これに分岐が加わると曲る方向を間違えることもある。
滑落や転倒による怪我で下山が困難になる場合もある。左右両側が切り立った峰を歩く際や、迂回で斜面を歩く際、あるいは、雨等で滑りやすくなった岩場・ガレ場を歩く際には特に注意が必要となる。
- 擬似好天
- 冬の日本海側に見られる現象で、大陸から流れてくる低気圧が、日本海上で気流の乱れを起こし、二つ以上の低気圧が同時に発生、上陸する現象である。これにより一時的に日本海側で好天が見られるが、長くは続かずすぐに荒れた天気となる。擬似好天を継続的な好天と間違え、登山を決行したために起こった遭難もいくつか報告されている。
[編集] 対策
[編集] 事前対策
登山の際に事前に出来る遭難の対策としては、非常食を携帯する、応急処置用具を携帯する、保温具を携帯する、等がある。これらは山岳遭難時において生存確率を上げるために必要なものである。
また、基礎知識として地形図、天気図の読み方、応急処置方法等を習得しておく必要がある。これらは単独で習得するのは困難なため、経験が浅い場合は単独山行を避け、経験者と行動するのが良いとされる。
リーダーは進退の判断が要求される状況で「勇気ある撤退」が遭難回避の最も重要なポイントと心得ること。
事前に「山岳保険」に入っておくことも必要である。「山岳保険」は通称で、保険会社によって名称は異なるが、旅行障害保険のオプションという形で存在することが多い。日帰りのトレッキングにも、掛け捨てのハイキング保険が存在する。遭難して民間団体に出動を依頼する事態になった場合、日当が一人3万円~10万円、民間ヘリコプターを使用した場合、1時間で50万円ほど費用がかかり、後で多額の費用が請求されてしまうが、これを補償してくれる。
[編集] 遭難した場合の対処
遭難した場合には、まず的確な状況の把握とできるなら救助の要請が必要である。この際、入山届けを提出しておくと救助の要請が早くなる。山岳地帯では機種にもよるが携帯電話が使えない場合もあり、無線機などが使えると良い。遭難したときは動かない方が良いとされるが、ケースバイケースであり、正確に状況を判断し行動する必要がある。
[編集] 救助
救助要請を受けた場合は、各県県警の担当となる。山岳警備隊がある県については県警の山岳警備隊が救助に向かい、地元の消防署・消防団の山岳救助隊、地元の山岳ガイド、自衛隊の手を借りることが多い。県によっては防災ヘリコプター等を整備しており、上空からの捜索・遭難者の運搬等より迅速な救助を実現している。
[編集] 関連項目
[編集] 海洋遭難
海洋遭難とは、荒天、自然物との衝突・座礁、機関の故障、他の船舶との衝突等により、船舶が安全なる自力航行能力を失い救助が必要な状況をいう。一時的な危険の回避行動は通常含まない(避難)。
一般に、「山岳遭難は捜索費用がかかり、海洋遭難は費用がかからない」とされる。これは、海洋遭難は山岳遭難と比べると民間で出来る余地は限られていること、捜索のため漁船など民間船舶を借りた場合でも、船を所有する際に必ず加入する「漁船保険」や「マリンレジャーボート保険」に、予め海難捜索の条項が含まれており、補償されるからである。
[編集] 遭難後に漂流した事例
[編集] 船を失い漂流した事例
「遭難の年月、場所」「船名(タイプ)」「乗り移ったもの」「漂流日数」「飢え渇きをしのいだもの」「生存者数」の順
- 1956年8月、中国・北海沖、豊栄丸(漁船)、いかだ、漂流14日間、生存者2名。
- 1968年5月、和歌山灘岬沖、 第1太攻丸(マグロ漁船)、救命ボート、雨水を飲んだ、生存者13名。
- 1972年11月、フィリピン沖、第7良生丸(マグロ漁船)、いかだ、漂流18日間、生存者2名。
- 1985年5月、ロシア・サハリン、第71日東丸(底引き漁船)、救命ボート、カモメを捕まえて食べた、漂流16日間、生存者3人。
- 1992年1月、小笠原父島沖 タカ号(ヨット)、救命いかだ、カモメを捕らえて食べた、漂流27日間、生存者1人(当初6名脱出のうち5名が衰弱死)[1]。
- 1994年3月、フィリピン沖 第一保栄丸(マグロ漁船)、救命いかだ、海鳥を捕まえた、漂流37日間、生存者9人
- 1999年1月、インドネシア沖、アロンドラ・レインボー号、救命いかだ、積んでいた非常食を食べた、生存17名。
- 2007年2月、幸吉丸、救命いかだ、積んでいた非常食を食べた、漂流3日、生存3名。
[編集] 船に乗ったまま漂流した事例
- 1970年8月、千葉・銚子沖、丸和丸(魚運搬船)、漂流9日間、トビウオ1匹を3人で分けて食べた、生存3名。
- 1972年11月、フィリピン沖、第7良生丸(マグロ漁船)、漂流18日間、生存者12名。
- 1994年6月、伊豆八丈島沖、酒呑童子(ヨット)、漂流92日間、ペットボトルを逆さにし夜露を集め飲んだ。生存1名。[2]
- 1996年8月、千葉・犬吠崎沖、第3宮丸(まぐろ漁船)、漂流46日間、魚を釣り刺身して食べた、生存者1名。
- 1998年8月、秋田・男鹿沖、第11魁丸(イカ釣り漁船)、漂流10日間、インスタントラーメンが食べられた、生存1名。
- 2000年8月、沖縄西表島、悠遊(ヨット)、漂流11日間、生存1名。
- 2001年8月、千葉・犬吠崎沖、繁栄丸(漁船)、漂流37日間、薬缶で海水を沸かし、得た水滴をなめた。
- 2003年6月、沖縄・粟国島沖、みさわ丸(漁船)、水は一度に盃1杯だけ飲んだ、漂流15日
- ^ 生存者の佐野三治による遭難の経緯についての詳細な手記が『たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い』(新潮社 1995年)として出版されている
- ^ 諸井清二艇長。手記『九十二日目の天国―酒呑童子号の太平洋漂流日誌』も出版されている(産経新聞ニュースサービス1994年)。斉藤実氏所有の同名船(世界最年長でヨット世界一周の記録を達成)のそれではないことには注意
[編集] 関連項目
- 海難事故
- 海上保安庁
- 沿岸警備隊
- 海上自衛隊
- 航空自衛隊
- 海図
- 救命ボート
- Global Maritime Distress and Safety System
- 非常用位置指示無線標識装置(イーパブ)
- モールス信号
- SAR協定
- 安全管理士
- 船員災害防止協会
- 安全管理士
- 船員災害防止協会
- 嵐、台風、竜巻、風
- 水面波、三角波
- 座礁
- サバイバル
(キーワード:救難信号、救命ボート、タイタニック号、台風、浅瀬、船舶事故、etc.)