野村靖
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野村 靖(のむら やすし、天保13年8月6日(1842年9月10日) - 明治42年(1909年)1月24日)は幕末の長州藩藩士・明治期の政治家。名は和作。靖之助。号は欲庵。香夢庵主。入江九一の弟に当たる。
兄が入江氏の家督を継いだため、弟の靖が野村氏の家督を継いだ。吉田松陰の松下村塾に入門し、尊皇攘夷に傾倒して志士となる。そして兄が老中の間部詮勝暗殺を計画したとき、それに協力したため、計画が露見して兄と共に投獄されてしまった。
その後、罪を許されて釈放されるが、1862年にはイギリス公使館の焼き討ちにも参加した。1864年の禁門の変で兄が戦死した後は、尊王討幕に考えを変えて第二次長州征伐でも活躍している。
明治維新後は宮内大丞、外務大書記となり、岩倉使節団の一員として渡欧した。その後、神奈川県令・駅逓総監・逓信次官を歴任し、1887年に子爵に叙せられる。1888年に枢密顧問官、1891年に駐仏公使、1894年に第2次伊藤内閣の内務大臣、1896年に第2次松方内閣の逓信大臣となった。
晩年は、皇室の養育掛長を務めている。1909年、68歳で死去した。
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