関前村
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関前村(せきぜんむら)は、愛媛県の東予地方にあった村である。2005年1月に今治市・越智郡11か町村の合併により、地方自治体としては消滅。(全国的にも多数の市町村が関係する合併であった)また、この結果、愛媛県から村が消滅した。
有人島は岡村島、大下島、小大下島の3島。下記以外の項目はそれぞれの島の記事参照。
目次 |
[編集] 地理
芸予諸島の岡村島、大下島、小大下島の3島とその属島の無人島群からなる離島の村。西部では広島県大崎上島からのみかんの出作が行われてきた。石灰岩の露頭がみられ、明治時代に一時は島外から事業者が入り込み、さかんに石灰の採掘が行われ、島の形が変容するほどであったが、資源の枯渇と共に島を去っていった。現在では、巨大な採掘跡は水源地となっており、島民を潤している。
[編集] 歴史
戦国期には村上水軍の出城が築かれていた。
江戸期には、瀬戸内海航路の帆船の中継地となる。
- 1889年(明治22年)- 岡村・大下村の合併により關前村となる。
- 2005年(平成17年)1月 - 今治市・越智郡11か町村の合併により、自治体としては歴史を閉じる。
[編集] 行政
- 村長
- 初代 - 美藤清文 - 1947年(昭和22年)4月~1983年(昭和58年)4月、9期
- 第2代 - 美藤芳文 - 1983年(昭和58年)4月~1991年(平成3年)4月、2期
- 第3代 - 池田深 - 1991年(平成3年)4月~2003年(平成15年)4月、3期
- 第4代 - 久保一士 - 2003年(平成15年)4月~合併まで、2期
- 庁舎 村役場は岡村島にあった。(現在の『今治市役所関前支所』)
- 市町村合併
- 新:今治市は、全国的にみても多くの市町村が関係する大規模な合併となった。関前村としては、合併しないあるいは他の市町村との枠組みという選択肢は事実上、なかった。新・今治市となった合併市町村の中では、唯一の離島である。(他の、越智郡島しょ部は、瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)により、有料道路ではあるが、道路でつながっている。)とはいえ、今治市内には関前村出身者も多く、見捨てられることはないとの、希望もあった。
- 財政
- 離島であり、財源乏しく、非常に厳しい運営を迫られた。それに加え、地方交付税の削減など国の財政再建路線が追い打ちをかけ、2003年度の決算では、起債制限比率が19.4%(単年度)と、起債制限をかけられる20%すれすれの数字であり、仮に合併しなければ数年内にも財政再建団体に転落することが免れない状況であった。
- 箱物に過大投資を行ってきたわけではないが、財政がここまで悪化した要因としては、下記が考えられる。
- 村営フェリー事業を行っており、その赤字が負担となっていた。
- かんきつ園などの農業基盤整備に際して、国庫補助事業の適用を受けるようにすると、農家・集落の自己負担が必要であるが、零細農家が多いことから、いろいろな形で村が支援してきた。
[編集] 教育
村内に高等学校はない。
[編集] 交通
[編集] 航路
フェリーにより今治港、及び大崎下島、大崎上島(共に広島県)と結ばれている。
[編集] 鉄道
[編集] 道路
村内に国道、主要県道はない。岡村島と大崎下島(広島県)は橋によって結ばれている。(安芸灘諸島連絡架橋構想の一つとして位置づけられる)