飯泉嘉門
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飯泉 嘉門(いいずみ かもん、1960年(昭和35年)7月29日-)は徳島県知事。大阪府池田市出身。帝塚山学院中等部から私立灘高等学校に進学。東京大学法学部卒業。1984年(昭和59年)4月に旧自治省に入省。その間に新潟県、山梨県、埼玉県、旧郵政省、徳島県に出向。徳島県商工労働部長、同県民環境部長を経て、2003年(平成15年)5月に同知事就任。
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[編集] 飯泉県政
[編集] Jリーグ誘致
2003年(平成15年)の県知事選の公約で、当時日本フットボールリーグ (JFL) の強豪チームであり、徳島県鳴門市をホームタウンとする大塚製薬FCを母体に、Jリーグに加盟するチームを作ることを表明した。Jリーグの球団があり、2002 FIFAワールドカップの会場ともなった新潟県や埼玉県に飯泉が出向していた経験から、徳島にもJリーグの球団を誘致することで地域の活性化を目指したとされる。
大塚製薬を母体とするJリーグ球団の構想は1993~94年頃にも盛り上がっていたが、当時はJリーグへの参入条件が厳しく(J2リーグが存在していなかったため)、運営費の高騰が予想されることなどから断念せざるを得ない事情があった。飯泉が公約としてJリーグ参入を表明したことで、今度こそは実現するのではないかと地元のサポーターを中心に盛り上がりを見せた。
地域と行政が一体となった誘致運動を起こし、大塚製薬FCがJFLで2年連続優勝するなどの成績を残したことから、2005年シーズンより四国初となるJ2リーグへの参入が決定した。チーム名は公募により、1995年から98年までつけていた「ヴォルティス」を復活させ、「徳島ヴォルティス」となった。
[編集] しゃべり場とくしま
飯泉の知事就任後、「しゃべり場とくしま」と名付けられた知事と県民とのパネルディスカッションが行われている。
テーマを定めず、県民から広く意見を募集することを目的としており、徳島市などの中心部だけではなく山村を含めた県内各地で2~3か月に1回程度開催されている。
[編集] 徳島県知事とは?
徳島県は元々自由民主党の圧倒的な地盤で、これまでの知事は全員、保守系の候補が当選してきた。だが、圓藤寿穂の汚職による辞任に伴う2002年(平成14年)の県知事選では野党の推薦・支援を受けて立候補した大田正が圓藤の批判票を集める形で当選。革新系の大田が知事になったことで圧倒的に保守系の議員が多い県議会との対立は決定的となった。
翌2003年(平成15年)、大田の知事不信任案は可決・成立され、直後の知事選では革新系の大田、与党の推薦・支援を受けた飯泉らが立候補した。田中康夫の不信任に伴う長野県知事選で田中が大差で当選して間もないこともあって注目されたが、徳島では飯泉が当選し、革新系の徳島県政はわずか1年で幕を閉じることとなった。
2007年4月8日投開票の、徳島県知事選挙も引き続き立候補し、自民・公明の推薦(公明は、前回の県本部推薦から党本部推薦に切り替えた)を受け、再選を果たした。前回大田を推薦した民主・社民は候補を擁立できず、共産は山本千代子を公認したが、他党は自主投票に回った。
[編集] 外部サイト
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