石川嘉延
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生年月日 | 1940年(昭和15年)11月24日 |
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出身地 | 静岡県小笠郡佐束村 |
出身校 | 東京大学法学部 |
学位 | 法学士(東京大学) |
前職 | 自治省行政局公務員部長 |
世襲の有無 | 世襲ではない |
在任期間 | 1993年(平成5年)8月 ‐ (現職) |
当選回数 | 4回 |
所属(推薦)党派 | 無所属 (自由民主党・公明党推薦) |
ウェブサイト | 静岡県/ようこそ知事室へ |
石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - )は、平成期の官僚、政治家。
静岡県知事。内閣府中央防災会議委員。全国知事会理事・災害対策委員会委員長・総務委員会委員・道州制委員会委員。「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」知事・市町村長連合会議(座長増田寛也)メンバー。学校法人静岡文化芸術大学理事長。財団法人全日本剣道連盟顧問。
目次 |
[編集] 来歴
- 静岡県小笠郡佐束村(現静岡県掛川市)出身。静岡県立掛川西高等学校を経て、東京大学法学部卒業後、自治省に入る。静岡県総務部長、自治大臣官房審議官、自治省行政局公務員部長などを経て、1993年に知事に就任する。以降連続4期当選。
- 片山虎之助は、親族であり、東京大学、自治省での先輩。
[編集] 略歴
- 1959年(昭和34年)3月 静岡県立掛川西高等学校卒業
- 1964年(昭和39年)3月 東京大学法学部卒業
- 1964年(昭和39年)4月 自治省入省
- 1984年(昭和59年)4月 静岡県総務部長
- 1991年(平成3年)10月 自治大臣官房審議官
- 1992年(平成4年)7月 自治省行政局公務員部長
- 1993年(平成5年)8月 静岡県知事
[編集] 業績
[編集] 行政改革
- 静岡県庁など県組織の機構改革を進めている。組織のフラット化を進め、総室&室体制に再編するとともに、県職員のポストを大幅に削減した。
- 職員数自体も8年間で約800人を削減し、今後4年間でさらに400人の削減を目指している。
[編集] 新公共経営の導入
- 行政学に基づく「新公共経営(New Public Management)」を全国に先駆けて導入している。
- 国や他の地方公共団体においても活用できる手法であると標榜し、総務省、総務省新たな行政マネージメント研究会、各都道府県へ資料提供し、「目的指向型行政運営システム」の普及を目指している。
- 電子県庁化を積極的に進め、数値目標を明記した業務棚卸表を導入し政策の立案、評価を実施している。また、長期人材育成システムを導入し、NPM総括リーダーやNPMリーダーといった専門性の高い人材を職員の中から育成している。
[編集] 富国有徳の推進
- 「富国有徳」とは、国際日本文化研究センター教授川勝平太が提唱し、内閣総理大臣小渕恵三が推進した理念。
- 「富国有徳」とは、「社会規範や良識、マナーが行き渡った中で、多くの人が、私欲にとらわれず、社会のために役立とうという志を持って活躍している社会を表しているということ」だと定義される。
- 静岡県の総合計画に盛り込まれ、「富国有徳しずおかの挑戦」をキャッチコピーとしている。
- 富国有徳の県づくりを進めるため、志の高い「プレーヤー」の育成、定住の促進、活躍できる地域環境の整備の三点を静岡県が担うべきだとしている。
[編集] ファルマバレー構想
- 「ファルマバレー構想」とは、産・学・官(産業界、大学、研究機関、市町村)が連携し、富士山山麓に医療産業、ウェルネス産業、先端健康産業を集積させる構想である。
- 「県民の健康増進・疾病克服、産業の活性化・集積による県民の経済基盤の確立、そしてこれらの成果に基づく『快適空間の創造』」[1]を目指している。
- 2002年、静岡県長泉町に静岡県立静岡がんセンターを設立し、ファルマバレー構想の中核を担わせている。
[編集] 発言
[編集] 新幹線の素通り
[編集] 新幹線新駅
- JR東海に対し、新幹線新駅の新設を提言している。
[編集] 東海道線サービス品質
- さらにJR東海に対して、静岡県内の東海道本線についても、車両を313系電車(中京圏と同一レベルのもの)(新車で転換クロスシート車)にグレードアップし、さらに快速列車の運転を求めている。
- 2006年に車両の更新は実現したものの、中京圏で使われている転換クロスシート車ではなく、快適性で劣るロングシート車であった。また、新型車両以外にも中京圏の中古車両も投入されたが、県の要望と関連はないと思われる。また快速列車の運転についても、JR東海側は「予定はない」としている。
[編集] 女系天皇
- 2005年、福祉団体「柏朋会」の会報『ざ・とど』にて、寬仁親王が女系天皇容認論に対する見解を発表すると、石川はこれに対し自身の意見を発言した。
- 2005年11月14日、石川は定例記者会見で、寬仁親王の見解に対し、同様な考えを持っており共感したと発言した。さらに皇位継承資格者議論に対し、拙速な議論に疑問を呈し「伝統的な国のあり方にかかわるものを、わずか数か月で結論を出して、ある方向に持っていこうとするのはとんでもない話。余りにも拙速。有識者会議(=皇室典範に関する有識者会議)には皇室問題について長年研究してきた人が何人入っているかというとお寒い限り」と評した。
[編集] 公務員の飲酒運転を免職処分とする動きについて
[編集] 必修科目未履修問題
- 2006年10月27日の定例記者会見で、必修科目未履修問題(履修単位不足問題)に関連し、高等学校の責任のみならず教育の中央集権化も遠因であると指摘した。
- 必修科目が未履修となるのカリキュラムを組んだ高等学校は言語道断だと厳しく批判した。
- 静岡県でも必修科目未履修の高等学校が相次いで見つかったことに触れ、静岡県教育委員会に「悪法も法と踏まえて対応しないといけない」と注文を付けた。
- 「ゆとり教育で全国一色に染め上げてしまった」文部科学省による教育の中央集権化も遠因であるとし、現状の教育行政について批判した。さらに、時期を同じくして続発するいじめ自殺問題においても、文部科学省職員が全国各地に調査に赴いていることを指摘し、そこまでしないと是正できない地方の教育や、それで解決するかのような報道に対し、疑問を示した。それらを踏まえ、未履修問題を機会に地域で解決できれば地方分権化にとっても望ましいとした。
[編集] 静岡空港建設
- 2007年2月21日、静岡県議会にて静岡空港が経営破綻した際の責任について質問され、石川は「在任中であれば最も重いのは『辞職』。知事として評価を下げ、次の選挙で落選のリスクを負う。退職後であれば『歴史的評価を下げること』になる」と答弁し、石川自身の強い覚悟を強調した。さらに、静岡県知事選挙では石川は毎回空港推進を訴えて当選しており、静岡県議会等議決機関の諒承も全て取っていることを指摘しつつ、「組織で仕事をする場合、独断ではできない。失政があれば社長以下総退陣することになる」と発言している。
- 民間会社が設置する私設空港なら赤字は許されないが、地方公共団体等が設置する公設空港の場合、当該地域への空港建設および運営にともなう経済波及効果も勘案し総合的に判断すべきであり、赤字即失敗とは判断しきれない。特に、静岡空港の場合、静岡県東部を中心とする観光産業や西部を中心とする製造業への経済波及効果が想定されるため、空港単体では成功か失敗かは判断できないことも想定される。
[編集] 人物像
[編集] ファッション
- 黄色のネクタイを愛用しており、石川のトレードマークとなっている。黄色のネクタイは多数所有しており、石川の好みを知った人から黄色のネクタイをプレゼントされることもある。公務、政務等、ネクタイを着用する機会がある場合、常に黄色のネクタイを着用している。選挙でも石川の支持者は黄色いハンカチを石川に向けて応援する風景が見られる。
[編集] 剣道
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 土居弘幸「県理事からのメッセージ」『静岡県/ファルマバレー構想の推進体制』静岡県庁
[編集] 外部リンク
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第5代 斉藤滋与史 |
第6代 1993年8月3日 ‐ - |
第7代 - |