高田みづえ
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高田 みづえ(たかだ みづえ、1960年6月23日 - )は、元女性アイドル歌手。鹿児島県揖宿郡頴娃町出身。
[編集] 来歴・人物
フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で第18回グランドチャンピオンに輝き1977年『硝子坂』でデビュー。歌手生活8年間で通算7度NHK紅白歌合戦に出場した(1977年~1984年まで。なお1979年のみ落選)。
『硝子坂』『だけど…』『ビードロ恋細工』『花しぐれ』と4曲連続ベストテンヒットを飛ばし、1977年に日本レコード大賞新人賞、日本歌謡大賞新人賞、FNS歌謡祭最優秀新人賞など数々の新人賞を受賞。
1980年に『私はピアノ』、1983年に『そんなヒロシに騙されて』(サザンオールスターズ(両曲ともヴォーカルは原由子)のカバー。前者はアルバム『タイニイ・バブルス』に、後者はアルバム『綺麗』に収録)などが大ヒットとなる。また女性アイドルの中では、大人びた高い歌唱力を評価されることが多かった(この2曲は桑田佳祐作詞作曲)。そのためか、アイドルでありながらヒット曲の多くがカバー曲だった(デビュー曲『硝子坂』は木之内みどりのカバー、『潮騒のメロディー』はフランク・ミルズのインスト曲『愛のオルゴール』に日本語詞をつけたもの、『真夜中のギター』は千賀かほるのカバー、『秋冬』は原大輔、三ツ木清隆などとの競作など)。
当時の所属プロダクションはバーニングプロダクション、レコード会社はテイチク/UNIONで、レコードはすべて廃盤になったが、CDでシングルAB面収録ベスト盤やアルバム曲も収録した6枚組み全集が発売された。
TBSの番組『8時だョ!全員集合』にゲスト出演したときは、毎回のようにザ・ドリフターズのメンバーと水を掛けるコントを演じて、お茶の間のタレントとしても人気を博した。
1985年に当時大関だった若嶋津六夫と結婚して芸能界を引退。現在は松ヶ根部屋のおかみさんとして相撲部屋の切り盛りをしている。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 硝子坂(1977年) 作詞 島武実/作曲 宇崎竜童 高田みづえのデビュー曲
- だけど…(1977年) 作詞 島武実/作曲 宇崎竜童
- ビードロ恋細工(1977年) 作詞 島武実/作曲 宇崎竜童
- 花しぐれ(1978年) 作詞 松本隆/作曲 都倉俊一
- パープルシャドゥ(1978年) 作詞 松本隆/作曲 都倉俊一
- なぜ…(1978年)
- 女ともだち(1978年) 作詞 松本隆/作曲 筒美京平
- Dream on Dream(1979年)
- 青春II(1979年) 作詞・作曲 松山千春
- 潮騒のメロディー(1979年) 作詞 斉藤仁子/作曲 F.ミルズ/子守唄を聞かせて 作詞 谷山浩子/作曲 馬飼野俊一(発売当初のA面)
- どうして私を愛したのですか(1980年)
- 私はピアノ(1980年) 作詞・作曲 桑田佳祐 高田みづえ最大のヒット曲
- 愛のイマジネーション/真夜中のギター(1981年)
- 涙のジルバ(1981年) 作詞・作曲 松宮恭子
- 夢伝説(1981年) 作詞 竜真知子/作曲 馬飼野康二
- 愛の終りに(1982年)
- ガラスの花(1982年) 作詞・作曲 谷村新司
- 通りすぎた風(1983年) 山口百恵の未発売曲のカバー
- 純愛さがし(1983年)
- 蒼いパリッシュ(1983年) 作詞・作曲 桑田佳祐
- そんなヒロシに騙されて(1983年) 作詞・作曲 桑田佳祐
- 秋冬(1984年) 作詞 中山丈二/作曲 堀江童子
- 原宿メモリー(1984年)
- かげふみ(1984年)
- 悲しきロンリーガール(1985年)
- チャイナライツ/カーテン・コール(1985年)