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旧・高野町
廃止日 |
2005年3月31日廃止 |
廃止理由 |
対等合併 |
庄原市、甲奴郡総領町、比婆郡口和町、比婆郡西城町、
比婆郡高野町、比婆郡東城町、比婆郡比和町→庄原市 |
現在の自治体 |
庄原市 |
廃止時点のデータ |
国 |
日本 |
地方 |
中国地方、山陽地方
中国・四国地方
|
都道府県 |
広島県 |
郡 |
比婆郡 |
団体コード |
34604-7 |
面積 |
159.18km² |
総人口 |
2,417人
(2005年3月30日) |
隣接自治体 |
島根県:雲南市、飯石郡飯南町、
仁多郡仁多町、仁多郡横田町、
広島県:庄原市、三次市、
比婆郡口和町、比婆郡比和町 |
町の木 |
イチョウ |
町の花 |
シャクナゲ |
町の鳥 |
キジ |
高野町役場 |
所在地 |
〒727-0402 |
広島県 |
庄原市高野町新市1171-1 |
電話番号 |
0824-86-2111 |
外部リンク |
庄原市HP |
位置 |
東経132度54分25.1秒
北緯35度2分1秒 |
|
特記事項 :
町役場のデータは庄原市役所高野支所のものである。
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■Template (■ノート ■解説) ■日本の市町村pj |
高野町(たかのちょう)は、かつて広島県比婆郡におかれていた町。 2005年3月31日に庄原市と甲奴郡総領町、比婆郡の全5町(口和・西城・高野・東城・比和)が対等合併して成立した庄原市に移行し廃止した。同時に比婆郡も恵蘇・奴可・三上各郡の統合で成立して以来106年半に及ぶ歴史に終止符を打った。
[編集] 町名の由来
[編集] 沿革
- 1889年4月1日市町村制施行。高野町域には当時恵蘇郡高野山村があるのみであった。
- 1898年10月1日恵蘇・奴可・三上各郡が統合して比婆郡が成立したことに伴い比婆郡高野山村となる。
- 1902年6月20日地理的事情により高野山村が上高野山村(上湯川・下湯川・新市・南・和南原)と下高野山村(上里原、岡大内、奥門田、高暮、下門田、中門田)に分割される。
- 1955年1月1日上高野山・下高野山両村が対等合併して高野町が成立する。
- 2005年3月31日庄原市と甲奴・比婆両郡の全6町が対等合併して成立した庄原市に移行したことに伴い消滅する。同時に比婆郡も106年半の歴史に終止符を打つ。
[編集] 歴代町長
[編集] 主要施設
[編集] 地理
[編集] 河川
- 猿政山(標高1,267.7m)
- 大万木山(標高1,218.0m)
- 毛無山(下湯川・新市境、標高1,155m)
- 毛無山(島根県境、標高1,062m)
- 鉄屋山(標高1,051.6m)
- 黒石山(標高1,021.7m)
- 熊山(笠尾山、標高1,018.9m)
- 大鬼山(標高1,004m)
- 船山(標高939.7m)
- 火室山(標高846.7m)
- 蔀山(標高775.1m)
[編集] 名所・旧跡
[編集] 産業
- 農業が主産業で、特産品としては大根やりんごがある。
[編集] 大字(2005年3月30日当時のデータ)
- 上里原(あがりはら)
- 岡大内(おかおおうち)
- 奥門田(おくもんで)
- 上湯川(かみゆかわ)
- 高暮(こうぼ)
- 下湯川(しもゆかわ)
- 下門田(しもんで)
- 新市(しんいち)
- 中門田(なかもんで)
- 南(みなみ)
- 和南原(わなんばら)
[編集] 交通(2005年3月30日当時のデータ)
[編集] 鉄道
[編集] 道路
[編集] 国道
[編集] 主要地方道
[編集] 一般県道
[編集] 教育(2005年3月30日当時のデータ)
[編集] 小学校
[編集] 中学校
[編集] 高等学校
[編集] 備考
- 高野町は甲奴郡総領町(082488)、比婆郡比和町(082485)とともに本州で最後まで残った市外局番6ケタ地域の一つであった(082486、2004年2月28日変更)。
[編集] 関連項目