麻垣康三
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麻垣康三(あさがきこうぞう)とは、2006年9月に任期満了に伴い内閣総理大臣、自由民主党総裁を退任した小泉純一郎の後任をめぐる、有力候補4人の名前を取り入れた造語。2005年から使用されていた「ポスト小泉レース」と同義。
河野グループ(大勇会)の麻生太郎、谷垣派(宏池会)の谷垣禎一、森派(清和政策研究会)の福田康夫、森派(清和政策研究会)安倍晋三の4人の名前から漢字一文字ずつを取って作られた言葉である(派閥通称は当時)。
一時期は福田と額賀福志郎を入れ替えた麻垣福三や河野太郎を加えた麻垣康三郎とも言われた。2006年7月、福田康夫が不出馬の意向を表明したことにより、「麻垣康三」を使用しづらくなった。
[編集] 「麻垣康三」の実態
- 『麻垣康三』の全員が世襲議員である。さらに、うち3名が首相経験者を祖父・実父にもつ。
- 自民党首脳部は2006年の総裁選を党員以外の人間も投票出来る国民参加型の選挙に変えると盛んに宣伝していたが、党内から異論が相次いだため結局は有耶無耶にされており、「国民参加型」というキャッチフレーズは自民党員の間で無かったことにされている。
- 森派(清和政策研究会)の安倍晋三は、同派の福田康夫が不出馬を表明したため、同派の所属議員86人、丹羽・古賀派(宏池会)の元自由民主党幹事長の古賀誠は安倍支持を明確にし48人の多くが支持に回り、二階グループ(新しい波)の15人も支持に回り、伊吹派(志帥会)・津島派(平成研究会)・山崎派(近未来政治研究会)の大部分も支持に回り、津島派の額賀福志郎、山崎派の山崎拓は出馬を断念し、安倍支持に傾き安倍への支持は約7割に上っている。
- 対中強硬派とされる安倍に対する対抗馬として、アジア外交を主眼におく福田康夫が反安倍勢力から期待されていた。しかし福田は靖国神社問題を争点とするのは国益に叶わないとして突如不出馬を表明した。これで福田支持であった古賀らは安倍支持に回り、安倍の優勢が確定した。
- 谷垣派(宏池会)の谷垣禎一はアジア外交を焦点に靖国問題を争点化させ、福田支持層を取り込もうとするものの情勢は厳しい。
- 河野グループ(大勇会)の麻生太郎は政策・思想が安倍に近いが自民党内のタカ派の大多数が安倍支持と見られ、苦戦が予想される。
- また麻生と同派の河野太郎と無派閥の鳩山邦夫も出馬を目指していたが、推薦人は集められず麻生選対に加わった。
- 他にも額賀福志郎・与謝野馨など有力視されていた候補は次々に不出馬を表明し、河野派及び谷垣派以外の派閥は安倍内閣におけるポストの獲得を狙って安倍支持を表明している為、『麻垣康三』との呼び方と裏腹に安倍一人勝ちの公算が強いと見られていた。
[編集] 結果
- 自民党総裁選に立候補を表明したのは安倍晋三官房長官、麻生太郎外相、谷垣禎一財務相の3名となった。世論調査などを見ても安倍総理総裁を望む声が圧倒的に多く、2006年9月20日午後に開票が行われた結果、安倍が703票中464票を獲得し(得票率約66%)、第21代自民党総裁に就任した。
- ポスト安倍には、安倍を除く「麻垣康三」のメンバー、麻生、谷垣、福田の3者がその有資格者とされる。なお、安倍政権で政調会長に就任した中川昭一、官房長官に就任した塩崎恭久らも浮上している。また、山崎拓らは加藤紘一の擁立を画策しているという向きもある。