古賀誠
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古賀 誠(こが まこと、1940年(昭和15年)8月5日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(9期)。古賀派会長。福岡県みやま市出身。
生年月日 | 1940年(昭和15年)8月5日 |
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出生地 | 福岡県山門郡瀬高町(現・みやま市) |
出身校 | 日本大学商学部卒業 |
学位・資格 | 商学士 |
前職・院外役職(現在) | 参議院議員秘書 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・国家基本政策委員会委員 衆・懲罰委員会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
福岡7区 |
当選回数 | 9回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(古賀派) |
党役職(現在) | 道路調査会顧問 |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館431号室 |
ウェブサイト | ~至誠通天~古賀 誠 HP |
目次 |
[編集] 来歴
2歳の時に父がフィリピン・レイテ島で戦死。女手一つで苦労する母親の姿を見て、政治家を志す。鬼丸勝之参議院議員の秘書を経て、1980年に衆議院議員に初当選。以来、連続9回当選。野中広務とは派閥は違うが師弟関係にあり、2000年には野中の指名で自民党幹事長に就任。また、加藤紘一の側近とも見られていたが、「加藤の乱」に際しては、当時幹事長職にあった野中の意向に沿って反加藤として動き、加藤と訣別して堀内派の結成に奔走した。小泉純一郎政権下では道路公団民営化反対派の中核となるなど、野中、亀井静香らと並んで「抵抗勢力」側の代表的な政治家の一人とみなされるようになる。
高齢者問題を政策の中心に据えており、有力な道路族でもある。また野中の路線に連なる自民党ハト派の中心人物であり、与党人権問題懇話会の座長を勤めるなど人権問題への積極的な取り組みを見せており、人権擁護法を推進している。これらの政治姿勢に加え、やはり野中譲りの強面と宏池会には珍しい武闘派であることから、名実ともにその後継者と目されるが、息子のスキャンダルなど様々な疑惑報道もある。
靖国神社総代・日本遺族会会長として戦没者遺族の救済でも活躍しているが、歴史認識や靖国神社問題が深刻化する中で、戦没者遺族の代表者としての立場と野中から引き継いだ中華人民共和国とのパイプ役としての立場の間で今後苦境に立たされる可能性もあるといわれている。そのためか遺族会会長でありながら2005年6月11日には「近隣諸国への配慮が必要」などと発言し、後に批判が殺到すると「私見として述べた」など釈明に追い込まれた。
2005年の郵政民営化関連法案を巡る政局では、綿貫民輔、亀井らと法案反対の動きを見せていたが、土壇場の衆議院本会議採決では、採決直前に退席し、棄権。その後の第44回衆議院議員総選挙では当選するものの、自民大勝で小泉首相の求心力は高まり、一方の古賀はこのようなある意味では二股膏薬的な態度をとったことから影響力は低下した。そのためか族議員としての有力な権力基盤である道路調査会の会長ポストを明け渡した。
2006年2月には、派内の反対派と妥協する形で、丹羽雄哉と共に宏池会の共同代表となる。ただし、小泉首相の事実上の後継者である安倍晋三が後継総裁に有力視される中、派の主導権は丹羽や柳澤伯夫らに握られており、実際、2006年の自由民主党総裁選挙では、かつて側近として仕えた加藤の後継者である谷垣禎一、「士志の会」を結成するなど親しい関係にある麻生太郎ではなく、派の方針にしたがい、安倍を支持した。しかし、安倍が総裁に選ばれるや否や、宏池会の理念と安倍の理念とは大きな溝があるという旨の発言をしている。
安倍内閣成立の論功行賞で、丹羽が総務会長就任で派閥を離れると、機先を制して丹羽・古賀派の共同代表から、単独会長に就任。マスコミも、これを機に呼称を古賀派へ改称した。太田誠一をはじめ、派内幹部の多くと若手を抑えていると見えるが、丹羽周辺は反発しており、復党した前オーナー・堀内光雄の動向と併せて、今後も波乱が予想される。
近年は、党の福岡県支部連合会の会長として、党勢の維持・拡大に努めてきた。しかし、2006年から相次いで行われた福岡市と北九州市の市長選挙で、政府与党推薦の候補が相次いで敗れたため、「幹事長が即辞めたのに自分が残るわけにはいかない」として、一部の反対の声を押し切り、2007年2月、県連会長を辞任した。後任には原田義昭衆議院議員が就任。
漫画家の小林よしのりとは思想的に共鳴する部分があり、親しい交友関係にある。
[編集] 大宏池会構想
古賀絡みで自民党内の政局でたびたび噂されるものとして、「大宏池会」がある。これは、丹羽・古賀派の古賀が、総裁候補である谷垣派の谷垣禎一、麻生派の麻生太郎のいずれかを担いで、分裂している池田勇人以来の名門派閥を再結集するという構想である。実現すれば津島派を追い抜いて町村派に継ぐ党内第二派閥の規模になるが、各派の利害も絡んで実現の目処は全くたっていない。
[編集] 略歴
- 1940年8月5日 - 福岡県瀬高町に生まれる。
- 1959年 - 福岡県立山門高等学校を卒業。
- 1965年 - 日本大学商学部を卒業。
- 1979年 - 衆議院議員総選挙に立候補し、次点。
- 1980年 - 初当選。宏池会に所属する。
- 1996年 - 橋本龍太郎内閣(第2次)で運輸大臣 として初入閣。
- 2000年 - 自由民主党で野中広務の後継指名で幹事長就任。
- 2001年 - 自由民主党で道路調査会長に就任。
- 2002年 - 日本遺族会会長に就任。
- 2005年 - 新日本プロレスIWGP実行委員会会長兼コミッショナーに就任。
- 2006年 - 宏池会会長に就任。
[編集] 関連項目
[編集] 関連人物
[編集] 著書
- 『女性の声がみちをひらく』(2004年)
[編集] 外部リンク
- ~至誠通天~古賀 誠 ホームページ(公式サイト)
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