河野太郎
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生年月日 | 1963年(昭和38年)1月10日 |
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出生地 | 神奈川県平塚市 |
出身校 | ジョージタウン大学卒業 |
学位・資格 | |
前職・院外役職(現在) | 日本端子社員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
法務副大臣 |
世襲の有無 | 三世 祖父・河野一郎 大叔父・河野謙三 父・河野洋平 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
神奈川15区 |
当選回数 | 4回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(麻生派) |
党役職(現在) | 神奈川県連会長 |
会館部屋番号 | 衆・第二議員会館206号室 |
ウェブサイト | 河野太郎オフィシャルウェブサイト |
河野太郎(こうの たろう、1963年(昭和38年)1月10日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員。父は、衆議院議長の河野洋平。河野一郎は祖父、河野謙三は大叔父に当たる。
目次 |
概要
- 1963年1月10日に河野洋平の長男として生まれる。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校時代は、祖父、大叔父、父と同様、陸上競技を部活に選択する。1981年慶應義塾大学経済学部に入学。慶大を中退し、1982年、アメリカ・ジョージタウン大学に留学。比較政治学専攻。議員のスタッフを務めたり、ポーランドに渡ったりする。1985年に大学を卒業。
- 帰国後、1986年に富士ゼロックスに入社。1993年、日本端子に転じ、サラリーマン生活を送る。小選挙区比例代表並立制の導入に伴い、父・洋平の選挙区が二分されたため、1996年の第41回衆議院議員総選挙に神奈川15区から自民党公認で立候補し、当選する。自民党ではしばらく無派閥、その後に宮澤喜一が会長を務めていた宮澤派(宏池会)に所属していたが、1999年、父に従い同派を離脱し、河野グループ(大勇会)に移った。2000年の第42回衆議院議員総選挙で再選、2003年の第43回衆議院議員総選挙で三選。
- 2002年12月には、川口順子外相に対し、「国民に対して説明責任を果たしていない」と非難して衆議院外務委員会理事を辞任。同年4月には、父・洋平の肝臓病悪化に伴い、生体肝移植のドナーになって肝臓移植手術が行われ、話題となった。
- 総務大臣政務官、法務副大臣を経て、現在、自民党神奈川県連会長である。
- 母方の曾祖父に二代伊藤忠兵衛がいる。
政策
- 「小さな政府と大きな年金」が持論であり、国民年金は、消費税を財源として保険料を廃止する一方で、厚生年金は、民間の個人年金のような積立方式へと改めることを主張している。
- 憲法9条の改定や、横須賀港への米軍の原子力空母配備を支持するなど、外交や安全保障のスタンスは親米リアリズムであり、護憲派として知られる父・洋平とは一線を画す。だが、イラクへの自衛隊派遣や、首相の靖国神社参拝には消極的であるなど、中道寄りな発言も目立つ。
- 自らの政権構想では、「日中関係を良好に保ち、中国の民主化促進に努める」とし、有名な親中派である父との立場の違いも覗かせた([1])。
- 自民党の議員の中では環境問題に熱心であり、核燃料再処理への反対と、段階的な脱原発をライフワークとしている。
主な活動
- 名門河野家の4代目ということでマスコミからも当初から注目され、本人も積極的にマスコミに出て発言をし、党を超えて広範な人脈をつくっている。辻元清美議員が2005年総選挙で復活当選して登院の際、「太郎ちゃん、またよろしくね。3年6ヶ月ぶりに国会に戻ってきて最初に会ったのが太郎ちゃんだったよ」と言ったという([2])。
- インターネットでの活動にも積極的であり、ブログやメールマガジンの発信はもちろん、mixiに『河野太郎と語る日本の未来』というコミュニティも自ら開設している([3])。また、法務副大臣時代には、2ちゃんねるの管理人・西村博之とも対談した([4]等)。
- 親会社のフジタが撤退し、存続の危機に陥っていたJリーグ・湘南ベルマーレの取締役会長を、2000年から2005年まで務めた(政務官と副大臣の時代は除く)。
- 2005年の第44回衆議院議員総選挙の際、自民党神奈川県連会長の立場から小泉純一郎首相(当時)へ比例代表南関東ブロックに重複立候補するよう要請したが、公職選挙法により、ブロック内に張ってある同首相の名前や写真が入った政党ポスターをはがす必要があることが判明。そのため、同首相は重複立候補を断念したという経緯が全国報道された。
- 2006年5月11日に自民党本部で会見を開き、9月に行われる自由民主党総裁選挙に立候補を表明した。年金改革や教育の地方分権を政策の柱にすることを会見で明らかにしたが、推薦人が集まらず立候補を断念した。
- 同年9月15日、竹中平蔵総務相が小泉内閣の終了と同時に、参議院議員も辞職するということを受けて、自身のブログで『ふざけんじゃねえ』と題し、「あなたを国会議員にしたのは有権者だ。閣僚を辞めるのは結構だが議員を辞めるのは無責任」([5])と竹中を批判したところ、ブログが炎上した。
- 同年9月22日、法務省のプロジェクトチームの主査として、一定の日本語能力や、特定技能、日本企業との雇用契約などを条件に、外国人労働者の受け入れ拡大を提言する報告書をまとめた([6])。なお、受け入れは、「国内対策を尽くした上でなお労働者の確保が困難」な分野に限るとした。また、在留外国人の総数には上限を設けるとし、その出身国も、「多様化について配慮し、特定の国に偏らないよう努める」としている。
著書
- 『河野太郎の国会攻略本』 ISBN 4901234374
- 『決断 河野父子の生体肝移植』 ISBN 4022579226