PS-1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
PS-1
PS-1は日本の海上自衛隊が運用した対潜哨戒機。飛行艇。日本の新明和工業によって製造された。
目次 |
[編集] 機体
中型機であり、主翼は直線翼、水平尾翼を垂直尾翼の上に配したT字尾翼を採用した。エンジンは石川島播磨重工業(IHI)でライセンス生産したターボプロップエンジン4基を搭載している。機体の大きな特徴は、機首に立っている迎え角や偏流のセンサーマストである。波高3メートルの荒れる海への着水が出来るほか、時速50~53ノット(時速100km程度)で離水可能な短距離離着陸(STOL)性能を有している。60度という深い角度を持つフラップと、翼表面の気流が滑らかに流れるようにする境界層制御装置(BLC)が、この低速性能を実現した。哨戒機器は国産を目指したが完成に至らず、P-3Bが使用した吊り下げ型の曳航式ソナーを採用、着水・滑走しながらの索敵も行える。車輪はあるが、ランディング・ギヤではなく、専ら地上走行用のもので、滑走路への離着陸は出来ない。基地に隣接した水域で離着水し、基地内へはスロープを使って出入りする(車輪は海水内でも出し入れできる)。
[編集] 導入経緯
海上自衛隊では対潜哨戒機として、アメリカ合衆国から導入し、後に川崎重工業がライセンス生産したロッキードP2V-7を利用してきたが、国産機を求める声は様々な場所から聞こえてきた。
[編集] 新型飛行艇計画
かつて川西の設計陣を率いた技術者、菊原静男は1953年(昭和28)から社内で飛行艇の構想を練っており、1957年(昭和32)には防衛庁に対し、飛行艇の実験機を作らないかと持ちかけていた。これを受けて防衛庁でも飛行艇の実用化を検討して、1960年(昭和35)には、新型飛行艇を対潜哨戒機として使用する案がまとまった。
菊原達は、二式大艇の性能に興味を示し、川西の技術を自社へ移転しようと考えたグラマンから、米海軍向けのUF-1救難飛行艇(グラマンSA16「アルバトロス」飛行艇)1機を提供され、それを基に実験飛行艇UF-XSを製作した。UF-XSは1962年(昭和37)12月の初飛行から1966年(昭和41)まで実験と調査を行い、十分な基礎データを取得した。
また同時に対潜哨戒機としての技術研究も進め、ソ連の潜水艦を探知する吊り下ろし式対潜ソナー(水中音波探知装置)や、すばやく着水するための機上波高計の製作の見通しもついてきた。
[編集] 哨戒飛行艇製作
防衛庁は1960年代前半から対潜哨戒機P2V-7の後継機として、川崎重工業にP-2Jを開発させていたが、新明和の研究が進んだことを受け、1965年(昭和40)5月に新明和に対して試作機PS-Xの製作を命じた。コンセプトは「外洋における運用を第一の目的とする世界初の飛行艇」であり、高揚力装置と自動安定装置による超低速飛行と、強力な動力境界層制御BLCシステムによって高いSTOL(短距離飛翔)性能、波消し装置と新設計の機体による耐性をもつもので、二式大艇譲りの良好な凌波性能を備えた機体は、設計上は波高3メートルの荒波での離着水も可能とした。動力はゼネラル・エレクトリック社製T64ターボプロップエンジンを4基搭載したプロペラ機である。
PS-Xは1967年(昭和42)10月24日に初飛行した。その後、実験を続けると思わぬトラブルが続いて関係者を悩ませた。水上静止中・滑走中の安定性に問題があり、着水時の衝撃で機体が破損したこともあった。また、GEはこのエンジンをこのような過酷な状況で使うことを想定しておらず、海水の飛沫がエンジンに入り込んで腐食を起こすなど、たびたび問題を起こした。また、日本が初めて本格的に作った対潜ソナーは結局完成に至らず、米海軍のP-3Bで使用している吊り下げ式ソナーと対潜機器一式を採用した。
問題は山積みであったが、自衛隊の装備品運用計画を変更することはできないため、見切り発車ながら2機のPS-Xは翌1968年(昭和43)に海上自衛隊へ納入され、第4航空群(現在は航空集団直轄)第51航空隊の岩国航空分遣隊(岩国航空基地)での運用試験を経て、1970年(昭和45)に制式導入が決定、PS-1となった。23機(シリアルナンバー:5801~5823)が製造され、試作機PS-Xの2機を含めた試験用4機を除き、全て1973年(昭和48)3月1日に編成された第31航空隊へ配備された。
[編集] 運用
[編集] 哨戒能力の不足
こうして登場したPS-1だが、当時の日本の電子技術は極めて遅れていた。当機が着水しての水中ソナー探査であるのに対し、米海軍の最新型ロッキードP-3C対潜哨戒機(1968年初飛行)は空中からソノブイを投下し、無線で情報収集を行う極めて効率の良い方法で、比べてPS-1は哨戒能力が遠く及ばず、すでに時代遅れであった。ソノブイの採用案はあったものの、いちいち使い捨てでは高くつくということから、着水式の吊り下げ式にしたのだが、すでにソ連の潜水艦は高性能化しており、対抗するために新しい哨戒機材を次々に追加しなければ成らなかったため、当初29トン程度の予想が、燃料を満載すると43トンにもなってしまった。
また、荒波での着水がセールスポイントであったが、不規則な波の動きを読むことは熟練パイロットでも難しく、その上、機上波高計を含めて計器の信頼性は低かった。このため敵潜水艦の近くにいたとしても、飛行艇ならではのすばやい着水と哨戒が行えず、全く役に立たない状態が続いた。離着水の時にはプロペラが水面をたたいて負荷がかかり、ベアリングの寿命の短さは異常だった。機体もエンジンもトラブル続きで、新明和の技術者もエンジンをライセンス生産していた石川島播磨重工業の技術者も休む暇が無かった。
その上、水上でのバランス不足によって転覆事故が相次いだ。このため、防衛庁も失敗を認め、「今日の潜水艦探知技術の進歩の中で、PS-1は要求通りの性能を満たしていない」として、23機で生産を打ち切った。開発が長くかかったために開発費は高くつき、生産数が少なかったために一機あたりの単価は非常に高くなり、税金の無駄遣いとして非難されてしまった。また、ほぼ同時期に導入された川崎のP-2Jが退役まで無事故で運行しているのに対して、PS-1は退役までに6機を失い、30名以上もの自衛隊員を死なせてしまう、完全な失敗作だった。無論、グラマンからの音沙汰も無い(アメリカで飛行艇需要がなくなったこともある)。
[編集] 発展と退役
しかし、技術者たちによって改修に改修を重ね、オーバーホールの期間も徐々に長くなり、最終的に「ただの」飛行艇としては申し分の無い機体にまで成長させることができた。だからといって哨戒能力に変化は無く、やはり時代遅れであることには変わりは無かった。防衛庁と新明和は多額の開発費をかけ、度重なる改修を繰り返して育て上げたPS-1の技術を生かす方法を模索し、1970年代にPS-1の多用途化を計画した。これがUS-1へつながる。
国内では運用者も技術者も苦しめたPS-1であるが、海外での評価は高く、優秀な兵器を紹介することで著名な「ジェーン軍事年鑑」に日本製兵器として唯一掲載されたこともある。
1981年(昭和56)にロッキード事件発覚で先延ばしになったPX-L/P-3Cが導入されると、PS-1は完全に無用の存在となり、P-3Cが主力となった1989年(平成元)3月17日に最後の一機が退役、形式消滅した。
[編集] 事故
[編集] 発展

[編集] 救難飛行艇化
哨戒機としての大量導入には至らなかったPS-1だが、新明和が計画したPS-1多用途化の一環として、救難機として利用することが決定した。対潜哨戒機能の代わりに救難機器を設置、さらに離着陸のためのランディングギヤが取り付けられた。白と灰色の機体には救難機を表すオレンジのアクセントが入り、名前もUS-1に変更されて、1975年3月5日より海上自衛隊に導入された。1981年製造機からはエンジンを転換して出力が増強されたUS-1Aとなり、21世紀にUS-1A改/XUS-2の登場に至っている。
[編集] 消防飛行艇実験
救難飛行艇に引き続いて、新明和では消防飛行艇の実用化が検討された。実証のため、PS-1の1号機(5801)は新明和工業によって機内に貯水タンクが取り付けられ、消防飛行艇の技術実験が行われた。この貯水タンクは燃料タンクの一部を転換したもので、8トンの水を取り入れることができ、追加された艇底の放水扉を開くことによって、一度に大量の水を目標にかけることができる。
実験は1976年(昭和51)から1979年(昭和54)にかけて行われ、様々なデータを取得できたが、国として消防飛行艇を活用する計画はなかった。また、火災に対しては効果があっても、地震火災の場合は火の中に被災者がいるかも知れず、8トンの水の直撃で最悪は圧死、生き残っても急激な体温の低下で病死の可能性もある。また、PS-1は航続距離が短いため、淡水を確保できない場合は海水を散布することになるが、その際の地上への影響など、運用を巡って意見が割れた。さらに、国内では森林火災が起こる可能性は低く、大規模地震に備えるためだけでは維持費がかさんで割に合わない事もあって、計画はあえなく中止となった(日本では兵器化できる製品の輸出を禁じる「武器輸出三原則」があり、もともと対潜哨戒機として作られたPS-1は、消防化しても輸出は不可能であった)。5801号機は実験完了後に対潜哨戒機に復元された。
しかし、1995年(平成7)の阪神・淡路大震災によって、火災に対して空中から散水があれば被害を縮小できたのではないかという疑問が示された。これを受け、開発中のUS-1A改/XUS-2は消防飛行艇としての発展型を発表している。武器輸出三原則の緩和を見据え、消防飛行艇として海外へ販売する準備を着々と進めており、量産化の際には5801号機の経験と資料が役立つことと思われる。
[編集] スペック
- 乗員 - 12名
- 全長 - 33 m
- 全幅 - 33 m
- 全高 - 10 m
- 重量 -
- エンジン - GE/IHI T64-IHI-10ターボプロップ×4
- 出力 - 47 kW×4(2,850 ESHP×4)
- 最大速度 - 545 km/h
- 航続距離 - 4,000 km以上
[編集] 派生型
- PS-X - 対潜哨戒飛行艇の試作機。
- PS-1 - PS-Xの量産型。23機。
- PS-1改 - 救難飛行艇の試作機。
- US-1 - 量産型。6機。
- US-1A - エンジンを転換して出力を増強した形式。14機。
- US-1A改 - US-1後継救難機の試作機。新明和での呼称。
- US-2 - 量産型
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 「日本はなぜ旅客機を作れないのか」 - 前間孝則(草思社)ISBN 4-7942-1165-1
- 月刊「JWings」- イカロス出版