SURF&SNOW
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SURF&SNOW (サーフ・アンド・スノウ)
- 松任谷由実 (ユーミン) のアルバムの名称。SURF&SNOW VOLUME ONEの項を参照。
- 松宮一彦がTBSラジオやNACK5で放送したラジオ番組のタイトル。1.のアーティストであるユーミンに承諾を得て番組のタイトルが付けられた。本稿で表記する。
ラジオ番組のSURF&SNOW(サーフ・アンド・スノウ)は、1985年10月にTBSラジオで放送開始した、音楽を中心とした松宮一彦がパーソナリティーの番組である。
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[編集] 概要
原則として生放送だったが、松宮がスポーツ中継やテレビ番組への出演などの関係でスケジュール的に生放送が困難な場合には録音放送となることもあった。
放送開始当初は月~金の帯番組としてスタート。松宮の軽妙なDJに加え、練りこまれた選曲、後にブレイクするアーティストをいち早く発掘する姿勢などがリスナーに受け、TBSラジオの深夜帯を代表する人気番組に成長する。また時には大胆な企画にも取り組み、1989年4月1日(正確には3月31日深夜)にはエイプリルフール特別企画として、当時ニッポン放送で裏番組「HITACHI FAN! FUN! TODAY」「ぽっぷん王国」を担当していた上柳昌彦アナをゲストに呼んだこともあった。(ちなみにこの時のオープニングは、上柳が「SURF&SNOW」を担当する代わりに松宮が「FAN!FUN!TODAY」を担当するというジョークとなっており、松宮は1曲目が終わるまで番組に登場しなかった)
また同番組のエンディングテーマには同番組が注目する新進アーティストを起用することが原則となっており、メジャーデビュー前の久保田利伸や、デビュー間もない頃のKAN・富樫明生などが起用されている。ちなみに久保田利伸は番組中に流れるサウンドステッカーも手がけていた。
1992年4月には「パックインミュージック21」の金曜日枠に組み込まれたが、番組人気の低下に伴い1993年10月以降は放送時間が頻繁に変更される流浪の番組状態に突入。1994年には再び月~金の帯番組として復活したものの、1995年には日曜日の昼の番組の1コーナーに格下げとなり、1996年10月を持って同番組は終了した。
松宮は1998年6月末でTBSを退社した後、同年10月よりNACK5にて同タイトルの番組をスタート。絶大な人気で同時間帯の聴取率1位を取った。しかし、松宮のスキャンダルで番組は半年で打ち切りになってしまった。
なお1988~1990年には、北海道放送・毎日放送でもナイターオフシーズンのみ週1回同番組が放送されていた。ただしこちらは録音バージョン(30分番組)となっており、TBSラジオ版とは全くの別内容。
[編集] 放送時間
[編集] TBSラジオ時代
- 1985年10月7日~1986年4月4日 月曜日~金曜日23:45~25:00
- 1986年4月7日~1988年10月7日 月曜日~金曜日24:00~24:56
- 1988年10月10日~1990年10月5日 月曜日~金曜日24:00~25:00
- 1990年10月8日~1991年4月5日 月曜日~金曜日24:00~24:45(「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」枠内)
- 1991年4月8日~1991年10月4日 月曜日~金曜日24:00~24:40
- 1991年10月7日~1992年4月2日 月曜日~木曜日24:00~24:40
- 1992年4月10日~1993年10月1日 金曜日24:00~26:00(「パックインミュージック21」金曜1部)
- 1993年10月8日~1994年4月1日 金曜日20:00~21:00(松宮は「夜はこれから」(18時台)「ザ・ヒットパレード」(19時台)に引き続いての出演。)
- 1994年4月11日~1994年9月12日 月曜日21:00~22:00
- 1994年10月3日~1995年10月6日 月曜日~金曜日23:00~23:55
- 1995年10月15日~1996年10月6日 「サンデー・ミュージックJAM」(日曜日13:00~14:55)の1コーナーに。
[編集] NACK5時代
- 1998年10月4日~1999年3月28日 日曜日18:00~20:00
[編集] 30分の録音バージョンをネットしていた局
- 毎日放送
- 1988年10月~1989年3月 土曜日21:00~21:30
- 1989年10月~1990年3月 土曜日21:00~21:30
- 北海道放送
- 1989年10月~1990年3月 土曜日22:00~22:30
[編集] 備考
週1時間時代(1993年10月~1994年9月)、大相撲本場所中には大相撲ハイライト番組「まった無し!大相撲」が放送されたため、後ろ20分が短縮された。(ただし1994年7月名古屋場所中から「まった無し~」の時間が移り、これによる短縮は無くなった。)
1993年10月29日、1994年3月18日及び同年6月13日は2時間放送、1993年12月24日は3時間放送。
[編集] 歴代エンディングテーマ担当アーティスト
- 久保田利伸(1985年10月 - 1986年10月)
- 横山輝一(1986年10月 - 1987年10月)
- KAN(1987年10月 - 1988年4月)
- THE ALFEE(1988年4月 - 1988年10月)
- Sing Like Talking(1988年10月 - 1989年4月)
- 富樫明生(1989年4月 - 1990年4月)
- 安藤まさひろ(1990年4月 - 1991年4月)
- LINE-UP(1991年4月 - 1991年10月)
- 林田健司(1991年10月 - 1993年3月)
- ロッテンハッツ(1993年4月 - 1994年10月)
- ONE STEP Communicate(1994年10月 - 1996年10月)
[編集] その他
- 月~金の帯番組だった時代には、時報開始と同時に番組を開始することに異常なまでのこだわりを持っていた。そのためラジオマスター(主調整室)に用意されている、放送事故防止のために時報が鳴り終わるまでスタジオからの音が流れないようになっている機構(送出ロック)を、わざわざ解除してもらっていたという。ただ時にはスタッフの気が先走りすぎて、時報が鳴る前に番組のサウンドステッカーを流してしまうこともしばしばあった。