林田健司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林田 健司(はやしだ けんじ、1965年11月23日 -)は、日本の歌手、作曲家、アレンジャー。数は少ないが、作詞も行う。東京都出身。身長178cm、血液型A型。
目次 |
[編集] 概要
林田自身のシングル・アルバムには、特に大ヒットと言える曲はないが、他のアーティストへ提供した曲は大ヒットしており、むしろ作曲家としての知名度が高く、林田の知名度を一気に上昇させたのは、SMAPに提供したシングル『$10』、『君色思い』、『KANSHAして』、『青いイナズマ』である。元々『君色思い』以外は、林田自身が先にシングル・アルバムの収録曲として発表していたものだったが、人気アイドルSMAPのヒットで、林田自身のファンも増やす結果となった。他にも、大ヒットしたブラックビスケッツの『スタミナ』や、KinKi Kids、SPEED、藤井隆、中山美穂、奥井雅美など、多数のアーティストへ楽曲提供を行っている。
歌手としての林田自身の歌唱力、特にファルセットは絶品とファンに評され、バラードからロックまで作品に対する評価は非常に高い。林田がデビューした当時は国内ではまだマイナーな部類であったR&Bを自身の楽曲に積極的に採り入れるなど、業界関係者から「時代の先駆者」として評価されている。また、レイザーラモンHGがよく使う「フォー!」も林田は既にデビューアルバムから取り入れている(例えば、「1、2、3、4(フォー)!」は3rdアルバム収録曲「Shake×2」で取り入れている)。
2000年に一時期休養する前は、コンサートツアーで全国の大ホールを常に満員にし、現在でも多数のファンサイトが作られるなど、人気は根強いものがある。また、ビビる大木も、自身のラジオ番組『オールナイトニッポン』の1コーナー「ベストヒットニッポン」で、林田のシングル曲「花に水やるラブ・ソング」を「昔よくバイト先の有線で聴いてお気に入りの曲だった」と語っている。
2001年に活動を再開して以降は、他のアーティストへの楽曲提供にやや比重を置きつつあるが、「野望ツアー」と題したキャンペーンで地方巡業(コミュニティーFM局に出演するなど)を積極的に行い、自らユニット『東京コール・プロジェクト』を率いるなど、精力的に活動している。
2005年で40歳となったが、そんな年齢を感じさせないパワフルさは健在である。
最近では、英語表記で「Kwenji Hayashida」とwを入れることもある。
[編集] 来歴
- 1991年、BMGビクターよりシングル『SHERRY』でデビュー。当初はカップリングの「夏を揺らさないで」がデビュー曲となる予定だったが、「SHERRY」が当時、深夜に大量に放映していた「ブティックJOY」CMのタイアップになったため、急遽変更された。
- 同年、デビューアルバム『RAPHLES(ラフレス)』発売。「RAPHLES」の意味について、林田自身は「デビュー前に音楽を辞めようか悩んでいたとき、たまたまデパートの屋上にある100円占い機を試したところ、『アナタノカイウン(開運)ノキーワードハRAPHLESデス』と書かれていたから」と語っている。
- 1992年発売の2ndシングル『Jealousy In Love』がメナード化粧品のCM曲として、1993年発売の3rdシングル『Heart Of Gold』がミラービールのCM曲として、1994年発売の5thシングル『Crazy Funky Down』が日本テレビ系『マジカル頭脳パワー!!』のED曲としてタイアップされる。
- 1994年、米倉利紀の4thアルバム『adesso』で数曲の楽曲提供とコーラスに参加する。この時、同じくコーラスを担当した、後に夫人となる"Can-dee"こと高尾のぞみと知り合う。
- 1998年、のぞみ夫人が劇症肝炎で急逝。このとき、コーラスで高尾のぞみを重宝していた山下達郎はショックを受け、「ライブを本気で辞めようと思った」と述べている。この夫人の死がきっかけとなり、林田は後に一時期休養することになる。
- 2000年、突然の休養宣言。「デビューから10年を一区切りと考えていた」との言葉を残し、所属事務所を辞め、当時所属していたビクターエンタテインメントとも契約を解消した。当時のファンクラブも解散し、表舞台から姿を消す。
- 2001年、シングル『imaがよければいいんじゃない?』で復活宣言。以後、精力的に活動。
- 活動再開後は、自身のライブと、KinKi Kids(シングル『ビロードの闇』、『夏模様』)、石田燿子(アルバム曲)、アニメ『こいこい7』(OP曲)、忍足侑士(アニメ『テニスの王子様』登場人物)、中森明菜(シングル『落花流水』など)など、他のアーティストへの楽曲提供が活動の中心となっている。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
BMGビクター
- SHERRY(1991年7月25日)
- Jealousy In Love(1992年4月21日)
- Heart Of Gold(1993年5月12日)
- 青いイナズマ(1994年4月21日)
- Crazy Funky Down(1994年11月2日)
- 花に水やるラブ・ソング(1995年2月22日)
ビクターエンタテインメント
- ダラダラしようよ(1996年4月24日)
- Physical#2(1996年9月21日)
- STAY(1997年2月5日)
- 青春謳歌(1997年7月24日)
- パッとした瞬間(1998年6月3日)
- 僕なりの勇気(1998年10月21日)
- まだまだ(1999年2月24日)
- 紅いマボロシ(1999年4月21日)
- 今夜は DISCO 2000(2000年3月23日)
レントラックエンタテインメント
自主制作
- Mr.Raphles「Y.T.O」「Eat Time」(2005年11月19日)
- Sketch of Raphles「MottO xxx」「Love Sick Friday」(2006年8月30日)
- Sketch of Raphles 2「King Of Monkey」「晴れ…1999」(2006年11月17日)
[編集] アルバム
BMGビクター
- RAPHLES(1991年8月7日)
- Unbalance(1992年5月21日)
- VOX(1992年10月21日)<ミニアルバム>
- GEBO(1993年6月2日)
- 紅組(1994年4月21日)
- 白組(1994年4月21日)<※『紅組』『白組』は共に「花の紅白歌合戦」と題して同日発売>
- RAPHLES Ⅴ(1994年11月23日)
- RAPHLES HISTORY~Best of Kenji Hayashida(1996年5月3日)<ベストアルバム>
- RAPHLES HISTORY 2(1998年5月21日)<アルバム収録曲を中心としたベストアルバム>
- ゴールデン☆ベスト(2005年4月20日)<ベストアルバム>
ビクターエンタテインメント
- Marron(1996年5月22日)
- 東洋一(1997年9月22日)
- Oil Men(1998年3月18日)<リミックスベストアルバム>※アナログ盤
- Oil Men+(1998年3月18日)<リミックスベストアルバム>
- マボロシ(1999年4月21日)
- 今夜はBEST 2000(2000年5月24日)<一部新作含むベストアルバム>
レントラックエンタテインメント
- Doors(2001年10月24日)
- Harvest Night(2002年9月25日)<ライブアルバム>
- Cross Point(2002年12月18日)
- NU(2003年10月22日)<ミニアルバム>
自主制作
Brand New Record
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 林田健司 KENJI HAYASHIDA OFFICIAL WEBSITE本人による公式サイト
カテゴリ: 日本のミュージシャン | 日本の歌手 | 日本の作曲家 | 1965年生