カーボベルデ
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- カーボベルデ共和国
- República de Cabo Verde
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(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : Cântico da Liberdade
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公用語 ポルトガル語 首都 プライア 最大の都市 プライア 大統領 ペドロ・ヴェロナ・ロドリゲス・ピレス 首相 ジョゼ・マリア・ヌヴェズ 面積
- 総計
- 水面積率世界第166位
4,033km²
極僅か人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第165位
415,294人
103人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(Xxxx年)
xxx,xxxカーボベルデ・エスクードGDP(MER)
- 合計(Xxxx年)世界第xx位
xxx,xxxドルGDP(PPP)
- 合計(2002年)
- 1人当り世界第179位
6億ドル
1,400ドル独立
- 日付ポルトガルより
1975年7月5日通貨 カーボベルデ・エスクード(CVE) 時間帯 UTC (-1)(DST: なし) ccTLD CV 国際電話番号 238
カーボベルデ共和国、通称カーボベルデは、大西洋の北、アフリカの西沖合いに位置する島国。もともとはポルトガル領であった。史跡としてはかつてポルトガルの重要な植民地であったが、フランシス・ドレイクによって破壊された町シダーデヴェリャが残っている。
目次 |
[編集] 国名
正式名称は、República de Cabo Verde。通称、Cabo Verde。
公式の英語表記は、Republic of Cape Verde。通称、Cape Verde。
日本語の表記は、カーボベルデ共和国。通称、カーボベルデ。カーボヴェルデ、カボベルデとも表記する。
国名は、アフリカ西端の岬、カーボ・ベルデ(ベルデ岬、ポルトガル語で緑の岬の意)に由来する。
[編集] 歴史
[編集] 初期
ポルトガルの冒険家が1456年と1460年に、最初にこの諸島に着いた時は無人だったが、卓越風、海流などにより、ギニア海岸地方よりセレール族、ウォロフ族、Lebou、ムーア人の漁師などが訪れていたと思われる。
アラブ人、フェニキア人が昔から訪れていたという民話伝承がある。ポルトガル冒険者 Jaime Cortesão はアラブ人は塩田に塩を取りに来ていた事を記録していて、Sal Island (Salt Island, サル島, 塩の島)を指していると思われる。
現代の作家 Gavin Menzies, ギャヴィン・メンジーズ は著作”1421 中国が新大陸を発見した年”, (2002年)の中で15世紀の中国、明時代の冒険家 鄭和が1420年にこの島に到達していると論じている。(この本で著者はクリストファー・コロンブスの前に鄭和一行がアメリカ大陸を発見していたとする議論を展開している)
[編集] Climate
Annual Weather Conditions
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Temperature
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Rainfall mm
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January |
75°F
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24°C
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5.3mm
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February |
75°F
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24°C
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3.8mm
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March |
77°F
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25°C
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1.3mm
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April |
77°F
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25°C
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0.0mm
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May |
78°F
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25°C
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0.0mm
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June |
79°F
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26°C
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0.0mm
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July |
81°F
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27°C
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0.8mm
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August |
84°F
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29°C
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14.1mm
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September |
85°F
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29°C
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33.6mm
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October |
83°F
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29°C
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6.5mm
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November |
81°F
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27°C
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2.5mm
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December |
77°F
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25°C
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1.6mm
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[編集] (記録が残っている)発見
分かっているカーボベルデ史の日付は、15世紀に到達した最初のポルトガル冒険者による。1444年、ディアゴ・ディアスはいくつかの島を発見した。その後数十年に、エンリケ航海王子の仕事に就いていた、カダモストとアントニオ・ノリが残りの島々を発見した。1462年にポルトガル居住者は初めてサンティアゴに到達し、熱帯最初のヨーロッパ人の居住地となるリベイラ・グランデ(今のシダデ・ヴェラ)を創設した。16世紀には奴隷貿易で栄えた。海賊はしばしばポルトガル居住地を攻撃した。1585年、サー・フランシス・ドレイクはリベイラ・グランデを略奪した。リベイラ・グランデは1712年のフランスの攻撃の後、1770年に首都となるプライアに比べてその重要性を失った。
1912年のカトリック百科事典によると、カーボベルデ諸島はポルトガル人によって1460年に発見され、ギニアは1445年に発見された。これらの領土はクレメンス7世により、1553年の1月31日に司教管区に選ばれた。
[編集] 奴隷貿易港から商業港へ
カーボベルデ諸島は、18世紀終盤以降経験する頻発する干ばつと飢餓と、奴隷貿易の衰退により、そのはかない繁栄は緩やかに消滅した。しかしながら、中央大西洋航路にまたがるその位置は、カーボベルデをして理想的な補給港たらしめていた。19世紀に、サン・ヴィセンテ島にあるミンデロはその素晴らしい港により、重要な商業港となっいった。
[編集] PAIGC
ポルトガルは、カーボべルデのナショナリズムを緩和させるために、その地位を植民地から海外行政地域に変更した。しかし1956年、カーボべルデ人のアミルカル・カブラルとラファエル・バルボザは、ひそかにポルトガル領ギニア(現 ギニアビサウ)で、ポルトガル領ギニアとカーボべルデの独立のためのギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)を結成した。PAIGCはカーボベルデとポルトガル領ギニアの経済、社会、政治状態の向上を求め、2両国の独立運動の基礎をなす。1960年にその本部をギニアのコナクリに移すと、翌年からポルトガルに対する武装抵抗を始めた。妨害行為は結果的に10,000人のソビエト連邦のサポートを受けたPAIGCの兵士と、35,000人のポルトガル人とアフリカ人の軍隊による戦争になった。
1972年までには、ポルトガル軍の駐留にも関わらず、PAIGCはポルトガル領ギニアのほとんどをコントロールしていた。地理的に隔絶しており、物流がな理由で、PAIGCはカーボべルデのポルトガル支配を破壊しようとはしなかった。しかし、1974年4月のポルトガルの革命を受けて、PAIGCはカーボベルデでも活発な政治運動になった。
[編集] カーボベルデの国会成立、独立
1974年12月にPAIGCとポルトガルは、ポルトガル人とカーボベルデ人による暫定政府の同意書にサインした。1975年の1月30日、カーボベルデ人は国会を選出し、ポルトガルから独立の法的承認を1975年7月5日に受け取った。
[編集] PAICV
ギニア・ビサウの1980年の政変の直後(ポルトガル領ギニアは1973年に独立を宣言、1974年法律上の独立を認められる)、2両国間の関係は緊張した。カーボベルデはギニア・ビサウとの統一の望みを捨て、カーボベルデ独立アフリカ党(PAICV)を設立した。諸問題は以来解決されて、両国間の関係は良好である。PAICVとその先行者は一党体制を成立し、独立から1990年までカーボベルデを統治した。
[編集] 複数政党体制へ
政策の開始への増大するプレッシャーを受けて、PAICVは一党体制の終わりへの憲法改正案を議論するための緊急議会を1990年2月招集した。反対グループたちは集まって、1990年4月にプライアで民主運動(MoD)を形成した。PAICVとMoDなどの政党は共に、1990年12月の大統領選挙への異議を唱える権利をキャンペーンした。一党体制状態は1990年9月28日に廃止され、初の多数政党の選挙は1991年1月に行われた。MoDは国会での多数席を勝ち取り、MpDの大統領候補アントニオ・マスカレニャス・モンテイロはPAICVの候補者を破った。彼は最初の大統領を、1975年からのアリスティダス・ペレイラから継いだ。1995年12月の議会選挙は国会でのMoDのマジョリティーを増大させ、全72席のうちの50席を占めた。1996年2月の大統領選挙では、マスカレーニャス・モンテイロ大統領を選出した。1995年12月と1996年2月の選挙は自由公平に、国内と国外のオブザーバーによって評価された。
2000年と2001年の大統領選挙キャンペーンでは、2人の元首相ペドロ・ピレスとカルロス・ヴェイガが主な候補者だった。ピレスはPAICV統治時代に、ヴェイガはモンテイロの大統領時代に首相だった。両者とも半数近くの得票数の歴史的接戦で、ピレスが17票差で勝った。
[編集] 政治
[編集] 地方行政区分
[編集] 地理
カーボベルデ諸島(ベルデ岬諸島)は大小15の火山群島からなり、最高峰はフォゴ島のカノ山(2829m)。熱く乾燥した気候で、干ばつが何年も続く事があり、農作物などの被害を受けやすい。
カーボベルデはバルラヴェント諸島とソダヴェント諸島に分かれている。
バルラヴェント諸島
- サント・アントニオ島
- サンビセンテ島
- サンタ・ルシア島
- ブランコ島
- ラソ島
- サン・ニコラウ島
- サル島
- ボア・ヴィスタ島
ソダヴェント諸島
- サン・ティアゴ島
- マイオ島
- フォゴ島
- ブラヴァ島
- ロンボ島
[編集] 経済
農業、漁業が主産業。資源が少ない為、経済建設を進めており、安定した政治と自由経済とが相まって、順調な経済成長が進んでいる。政府は、債務削減、成長産業への優遇税制導入、マクロ経済の安定、海外直接投資の呼び込み、社会サービスの向上などを主要の政策としている。
[編集] 国民
人口統計 : クレオールが70%、その他は少数のヨーロッパ人(1%)を除くとアフリカ系住民
言語 : 公用語がポルトガル語だが、最も広く使われているのはクレオール語
[編集] 文化
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Ano Novo | |
1月13日 | 民主主義の日 | Dia da Democracia | |
1月20日 | 英雄の日 | Dia dos Heróis Nacionais | アミルカル・カブラルの命日 |
2月か3月 | 謝肉祭 | Carnaval | 復活祭の46日前、移動祝日 |
3月か4月 | 復活祭 | Páscoa | 春分の日の後の最初の満月の次の日曜日、移動祝日 |
7月5日 | 独立記念日 | Dia da Independência | |
11月1日 | 万聖節 | Dia de Todos os Santos | |
12月25日 | クリスマス | Natal |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] Information Sites
- Cape Verde Overview in English
- Cape Verde Photos
- Cape Verde Portal News & Info sharing site (in English)
- Cape Verde - Morabeza
[編集] 政府
- República de Cabo Verde 政府公式サイト(ポルトガル語)
- Assembleia Nacional de Cabo Verde 国会の公式サイト
- 日本外務省 カーボベルデの情報
[編集] 概説
- BBC News - Country Profile: Cape Verde
- CIA World Factbook - Cape Verde
- Cabo Verde Chronological References
[編集] Directories
- Open Directory Project - Cape Verde directory category
- Stanford University - Africa South of the Sahara: Cape Verde directory category
- The Index on Africa - Cape Verde directory category
- University of Pennsylvania - African Studies Center: Cape Verde directory category
- 世界の国々 > アフリカ
-
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