セゾングループ
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セゾングループ(Saison Group)とは、西武百貨店を中核とした流通系最大の旧企業グループ。堤康次郎が創業した「西武企業グループ」を母体とし、康次郎の死後、流通部門を継いだ次男清二が西武流通グループとして自立。のち西武セゾングループと改称、多角化はさらに進み「西武」を外してセゾングループと名乗ることで独立色を鮮明にした。その根底にはコクド(現・プリンスホテル)・西武鉄道を継承した異母弟堤義明との確執があるとされる。
1980年代までの急激な拡大成長の一方、1990年代初頭には平成不況を受け早くもリストラに着手したことで、加盟社数は非常に流動的であるが、最盛期の時点をもって12基幹グループ・約100社。歴史順に、西武百貨店・西友・朝日工業(西武化学工業)・西洋環境開発(西武都市開発)の4基幹グループを母体とし、「生活総合産業」宣言によりクレディセゾン(西武クレジット)・西洋フードシステムズ(レストラン西武・吉野家D&C等)・朝日航洋・セゾン生命保険(西武オールステート生命保険)を新たな基幹企業に選定。さらにバブル景気を迎えインターコンチネンタルホテル・大沢商会、ようやく利益貢献に回ったパルコ、コンビニ時代を反映するファミリーマートが加えられ12グループ体制。これらに収まらない個別事業はセゾンコーポレーションが管轄した。
[編集] 歴史
[編集] 鉄道との分裂
豪放な性格であった父・康次郎は、一代で巨額の資産を築き上げたが、清二の目には金と権力に溺れる狂人のように映った。多くの愛人を作り家族の血縁は複雑であった。清二はやがて自らの出自を悟り、戸惑い、父の実像を知るほど嫌悪を抱いた。父には絶縁を願い出て、東京大学在学中に左翼運動に希望を託し共産党に入党。革命を夢想するも挫折、さらに胸を患っての入院生活。心配する父は、清二の身分を隠し西武百貨店書籍コーナーの店員として働かせる。こうした絶望と漂流の中で、詩を書き芸術世界を通して自らの実存を問うた。28歳の若さで西武百貨店取締役店長に就任してもなお、詩人・辻井喬(ペンネーム)の立場からは、文化を破壊へと追いやる商業主義を批判し、だがしかし仮の自分である商人・堤清二との矛盾や抗いがたい現実に苦悩するのだった。
父の帝王学は「土地を守るべし」。不動産あっての西武、流通は付属品に過ぎない。西武ストアー(のちの西友、1956年)の展開や、日米親善のロビー活動をやる父が命じた米国ロス進出、いずれも失敗であった。消費者目線ではない父の手法では成長できない。まずは西武ストアーを西友ストアーと改称し、当時珍しいGMS業態を売りにチェーン拡大。高度成長と連動し急激に店舗を増やす。池袋西武も段階的増床により都内最大の百貨店に。そんな折、父の急死(1964年)で相続問題が浮上。鉄道・不動産という磐石な事業は義明のものとなり、いまだ発展途上の流通は清二が継ぐ。父の七回忌の場で、義明との相互不干渉の確認がなされ、西武の二分裂は確定的となって「西武流通グループ」を旗揚げ(1971年)。西武を名乗れど、もはや独立系となったいま、新たな方向性を見出す必要があった。
[編集] 感性の経営
1969年、撤退した「東京丸物」を継承する形でパルコ第一号店を池袋に開設。パルコに限っては、奔放な性格であるが信頼を置いていた増田通二に任せ、運営には干渉せず自由放任を与えた。1973年の渋谷進出にあたっては、若者文化やアートとの協調を掲げ、従来になかったミックス型フロア構成とバラエティ感覚で挑み大反響を呼ぶ。この成功体験により、いわゆる「文化戦略」へと舵を切る。タイミングは絶妙だった。高度成長期を経て1970年代。日本はもはや物質的には満たされ、モノそのものよりもコンセプト、さらにはカルチャーやエンタテインメント性といった要素が消費者の心を捉え始めていた。百貨店から高水準の文化を発信し、客はまるでディズニーランドを回遊するように、渋谷に点在するギャラリーや劇場を巡って知的好奇心を満たす。快適なアメニティをロボットやニューメディアがバックアップしつつ、活動主体はあくまで人間本位。優れた文化を生む自由な社風と、互いに束縛を受けない緩やかな企業連鎖。重複事業をも許容し、競合すら発展的に消化を促す。こうした数量的ではなく "文学的" 経営は当時「感性の経営」として話題となった。そのどこか消費者啓蒙的・社会批判的メッセージには、堤清二の左翼性が見出せる。こうして文化全般をポストモダン的に展開するセゾン系の手法は、1980年代に「アクロス」誌が提唱した新人類の台頭によって支えられ、先鋭的ブランドイメージを獲得した。売上規模最大の池袋本店を守りつつ、渋谷に軸足を移して施設を集積させたことも、渋谷を若者の街として急速に発展させ、のちに「渋谷系」や女子高生文化といった数々の現象を生んだ。しかし、一連の急拡大は銀行の融資に依存したもので、利益はコストに相殺され、また新たな投資をすることで見かけ上の売上規模だけは拡大するという借金体質が続いた。
[編集] 文化戦略
「文化の西武」を破綻なく完結させるには、広告から売り場の末端に至るまで外部に依存しない独自展開が必要であった。池袋西武にセゾンの文化拠点として「セゾン美術館」(西武美術館、1975年)を併設。単なる集客狙いの催事場の域を超え本格的な展示に挑み、従来扱われなかった現代アートを中心とし独自の路線を走る。更に池袋店本館には数多くの文化スペースを設け次々に新鮮な企画が打ち出された。一方でパルコ系の文化事業はそれ自体がファッション商品であると位置づける。現在六本木ヒルズが建つ場所に在った「ウェィヴ」(ディスクポート西武、1973年)は、当時まだ入手困難であった音楽を集め、新たなジャンルを開拓した。1975年に書店の「リブロ」(西武ブックセンター)、アート系書店で美術品も扱う前衛的な形態であった「アール・ヴィヴァン」(ニューアート西武)が発足。「パルコ出版」や「リブロポート」、「トレヴィル」などを通じ、決して販売部数は期待できない本格的な美術書や文芸書を独自に出版。西友は米タイム社と提携し「西武タイム」(現・角川・エス・エス・コミュニケーションズ)で情報誌を展開。これはのちにチケットセゾンを吸収し紙面と連携。1979年には、いわばアングラ系小劇場・ミニシアターの先駆け「スタジオ200」、学校外から知識・教養の普及を図る「コミュニティカレッジ」、日本初の総合スポーツ店「スポーツ館」を開設。西友はスーパー業界では劣勢であったため上質な売り場提案による差別化を検討。その一環で開発されたプライベートブランド・無印良品(1980年)が異例のヒット。また脱チェーンストアとして立地ごとにカスタマイズされた西友独自の百貨店業態を模索(のちのLIVIN)。英国のサー・テレンス・コンランとの提携による池袋西武「ハビタ館」より家具市場に参入(1982年)。映画配給・制作に乗り出した「シネセゾン」(1984年)は、旧態依然としていた映画館運営の常識を覆す斬新な取り組みが見られた。倒産した大沢商会を傘下に収めたことで(1984年)、国内高級ブランドのホールセールをほぼ独占、ファッション総合商社の西武が完成。演劇の場として銀座セゾン劇場(1987年)を開設。いかにもセゾン系なエフエム放送局「J-WAVE」(1988年)に出資。西武百貨店から生活雑貨スペース「ロフト」が分社独立(1996年)。西友側では「DAIK(ダイク)」を展開。モダンリビングのトレンドを先行し北欧家具「イルムス」を日本導入(1999年)。ホテル業では西武鉄道─国土計画グループ(当時)の「プリンスホテル」に、スケールではなく質で対抗し、少数宿泊かつ最高のラグジュアリーを提供する画期的な内容の「ホテル西洋銀座」や、国際的な最高級ホテルブランド「インターコンチネンタルホテル」などを展開した。
[編集] 生活総合産業
<執筆中> カード・保険・レジャー・自動車販売等
[編集] グループ解散へ
日本はバブル景気崩壊から90年代長期平成不況期に入ると、単なるイメージ戦略は必ずしも消費と結びつかなくなり、百貨店離れ・スーパー離れを引き起こした。高級消費財や娯楽への消費は抑制され、脱・流通として手がけられた不動産・ファイナンスは多額の負債を抱えた。カリスマ西武堤家の存在を暗黙の信用担保とした借金体質と低収益性、堤清二のワンマン体制による管理不在、あまりにも多い不採算な文化事業、独特の社内文化や感性に偏った経営。華やかなブランドイメージの影で覆い隠されてきた問題は多く、急激な社会情勢の変化で明るみになった。堤清二が代表から失脚(1991年)して、西武に復帰した和田繁明は、この末期的な現状を「西武百貨店白書」に赤裸々に記述する。こうして本業が揺らぐ中、不動産開発の西洋環境開発とノンバンクの東京シティファイナンスはともに多額の負債を抱え、1990年代のセゾンはリストラに終始した。金融当局の意向は強く、負債返済のため持株売却などにより各社はグループを離脱。2001年、最後の懸案であった西洋環境開発の清算をもってセゾングループは消滅した。
セゾン系各社は解散により資本的根拠は失ったが協力関係は強く残る。西武百貨店を傘下に置くミレニアムリテイリングは、西武鉄道との再合流を目論むもセブン&アイ・ホールディングスと電撃的に経営統合。一方で、西武沿線における協業を検討中。なお2006年9月に西武グループとクレディセゾンは「SEIBU プリンスカード」の発行を開始した。
[編集] 旧セゾングループ企業一覧
[編集] 中核5社
[編集] 西武百貨店
百貨店業。 →そごうとともにミレニアムリテイリングの傘下に。ミレニアムリテイリングもさらに2006年6月1日付でセブン&アイ・ホールディングスの完全子会社化し経営統合した。
[編集] 西友
小売業(旧・西武/西友ストアー)。スーパーマーケット「西友」・LIVINなどを運営。 →2000年に住友商事が大株主となり、その後2001年から米国ウォルマートと業務・資本提携。2005年末に連結子会社となった。
[編集] クレディセゾン
クレジットカード業(旧・緑屋)。現在も西武百貨店が一部出資。 →ユーシーカード(みずほフィナンシャルグループ傘下)と全面的な事業統合を発表。
[編集] 西洋フードシステムズ(吉野家D&C)
給食・飲食店事業・食品加工・流通など。旧・レストラン西武。 →英国コンパス・グループの傘下に入り持株会社化。
[編集] 西洋環境開発
不動産業 - 住宅・商業施設・リゾート開発業。
- →セゾングループの中核企業であったが経営破綻し2001年に特別清算。セゾングループ解体の直接的な引き金となった。「生活総合産業」を掲げ、それまでの流通グループの域から脱するという特別な使命があったが、セゾンを解体に導いた。
[編集] その他グループ会社
[編集] 良品計画
西友から独立した。全国に「無印良品」を展開。伊藤忠グループ入りの影響で殆どのファミリーマート株式を手放したが、2006年3月に株式の持ち合いを発表した。
[編集] ロフト
西武百貨店の雑貨スペース「Loft」が株式会社化し分社独立。現ミレニアムリテイリング傘下。
[編集] パルコ
ディベロッパー業。全国に商業テナントビル「PARCO」を展開。 →森トラスト傘下に。
[編集] ファミリーマート
西友子会社としてコンビニエンスストアを展開。 →1998年に伊藤忠商事グループに売却。2006年3月に良品計画との株式持ち合いを発表した。
[編集] LIVIN
西友が独自に百貨店業態として追求したもの。
[編集] リブロ
西武ブックセンターとして池袋西武に誕生、主にセゾン系テナントとして拡大した中堅書店チェーン。 →日本出版販売の傘下。
[編集] ウェィヴ
音楽・映像ソフト販売(WAVE)。 →タワーレコード傘下後、家電販売店ノジマが子会社化。
[編集] 吉野家ディー・アンド・シー
ファーストフード業。牛丼チェーン「吉野家」などを運営。西洋フードシステムズ子会社。
[編集] セゾンファンデックス
抵当証券業・消費者金融業(旧・西武抵当証券)。ほかに旧セゾングループ数社に出資するなど投資会社の一面もある。住宅金融専門会社(住専)問題で損失を被った後、クレディセゾンの完全子会社となり、「SAISONのローン百選」という名称の消費者金融業が主である。
[編集] セゾン情報システムズ
情報システム業。現在も西友、クレディセゾンが一部出資。
[編集] セゾン生命・セゾン自動車火災保険
損害保険・生命保険業(旧・オールステート自動車・火災保険/西武オールステート生命)。米国オールステート(2000年日本撤退)との合弁会社で1997年にセゾングループの傘下となる。 →2002年にセゾン生命はGEエジソン生命(現・AIGエジソン生命)に吸収合併され、セゾン自動車火災保険は同年損害保険ジャパンと業務・資本提携を行い子会社となる。現在も保険募集業でクレディセゾンなどと提携関係が続く。
[編集] セゾン証券
1994年にクレディセゾン傘下の丸一証券と新西洋証券が合併して誕生。 →2001年にマネックス証券に吸収合併される。
[編集] 東京シティファイナンス
西友子会社のノンバンク。消費者金融・モーゲージローンなどを積極的に行った結果、1999年頃から多額の不良債権が発生し経営が行き詰まり、親会社西友の決算大赤字の発端となった。 「SEIYUキャッシュポイント」という名称の共用現金自動支払い機を設置していた。 →ローンスターグループに買収され、東京スター銀行の子会社に。
[編集] SSコミュニケーションズ
西友傘下の出版社。「レタスクラブ」「マネープラス」などを発行。チケットセゾン事業も行っていた。→2001年に角川書店グループに売却、2005年に角川SSコミュニケーションズに社名変更。チケットセゾンの実質的な後身であるエンタテインメントプラスに角川グループホールディングスが5%出資しているのはこの関係である。
[編集] ヴィーヴル
西武百貨店旅行事業部ほかセゾン系レジャー部門が母体。現在はパチンコ店「コンサートホール」 を展開。クレディセゾン系。セゾン系テナントビル「ザ・プライム」にも入居。渋谷ザ・プライムにほど近いONE-OH-NINE跡地に、東急グループがマルハンを誘致したことはバブル期を象徴。
[編集] パシフィックツアーシステムズ
グループ内に散らばる旅行代理店を集約。上記ヴィーヴルから一部分離、さらに西友旅行事業部、太平洋観光が統合。 →JTB傘下。マルイ旅行センターを吸収。
[編集] 新西武自動車販売
フランス車シトロエンの輸入元。 →シトロエンが「シトロエン・ジャポン」を設立して直接販売に乗り出したことにより清算。
[編集] オートピア西洋
スズキのカーディーラー。グループ内需要を請け負う。
[編集] 朝日航洋
旧・朝日ヘリコプター。かつて池袋西武屋上は世界最大のヘリポートだったことも。西武所沢工場に整備所をもった。 →現在はトヨタグループ。
[編集] セゾン劇場
東京・銀座の「銀座セゾン劇場」運営会社。 →西友子会社で1999年に閉館・会社を清算したが、翌2000年に当時セゾングループであった東京テアトルが事業継承し「ル・テアトル銀座」として再出発した。
[編集] 財団法人セゾン文化財団
堤清二が私財で設立。自身が好んだ演劇を中心に支援活動。現在理事長を務める。セゾングループ各社が支援。
[編集] 朝日工業
旧朝日化学肥料が旧日本ニッケル(解散)の鉄鋼部門を吸収合併してできた西武化学工業が前身(当時、西武鉄道グループの一員だった)。その後セゾングループから離れるなどして、現在は阪和興業や三井物産等の商社各社、アサガミ、日本マタイ等の資本参加を受けて見事再生、JASDAQに株式上場を果たす。
[編集] 朝日食品工業
上記会社と同じく旧西武化学工業が前身。後に農芸・鉄鋼の両部門を朝日工業として企業分割、現社名へ改称。その後、長らくセゾングループの一員となっていたが現在は同グループから離脱している模様。
[編集] 評価
経営者自らが明確なビジョンを持って全面的に文化事業に取り組んだ、大企業としてはおそらく唯一の企業グループであり、企業メセナの先駆けであった。しかしながら、ポストモダニズムが何も残せず自然消滅していったように、時代の流行に踊らされていた面も否めず、賛否両論がある。堤清二は自覚的であったが「文化戦略」など結局のところ広告の仕掛けに過ぎなかった。しかし時代が求めていたのでもあり、どちらが先か、ではなく表裏一体であったろう。同時代で引き合いに出されるのがフジテレビの娯楽路線(楽しくなければテレビじゃない)で、いずれも「80年代的空虚さ」と検証される。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ミレニアム リテイリング グループ
- 西武百貨店
- ロフト
- ISP・池袋ショッピングパーク/池袋東口公共地下駐車場
- ザ・ガーデン自由が丘 (株式会社シェルガーデン)
- PARCO
- パルコスペースシステムズ
- WEBアクロス(80年代よりストリート視点の消費動向観測)
- LIBRO
- ウェィヴ
- 西友グループ
- 良品計画
- ファミリーマート
- 角川・エス・エス・コミュニケーションズ
- クレディセゾン
- セゾンファンデックス
- セゾン自動車火災保険
- セゾン情報システムズ
- 西洋フードシステムズ
- 吉野家ディー・アンド・シー
- ホテル西洋銀座
- イープラス (株式会社エンタテインメントプラス)
- ヴィーヴル
- パシフィック ツアー システムズ
- オートピア西洋
- ル テアトル銀座
- 財団法人セゾン文化財団
- 財団法人セゾン現代美術館