ソフト・マシーン
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ソフト・マシーン(Soft Machine)は、1960年代後半から1980年代初頭にかけて活動していたサイケデリック/プログレッシヴ・ロック/ジャズ・ロック/フュージョン・バンド。その活動中はメンバーの出入りが激しく、それに伴ってバンドの音楽性も多様に変化していった。元は同じバンド、ワイルド・フラワーズとして活動していたキャラヴァンと共に「カンタベリー・ミュージック」の最重要バンドでもある。
オリジナルメンバー
- デイヴィッド・アレン Daevid Allen - Guitars, Vocals
- ケヴィン・エアーズ Kevin Ayers - Bass, Vocals
- マイク・ラトリッジ Mike Ratledge - Keyboards
- ロバート・ワイアット Robert Wyatt - Drums, Vocals
目次 |
[編集] バンド結成までの流れ
オーストラリア生まれの世界を放浪するヒッピー、デイヴィッド・アレンは、パリに渡った際にビート文学の巨匠、ウィリアム・バロウズと出会う。彼とラジオの仕事などを行っていた当時に顔見知りとなったのがブリストル生まれのロバート・ワイアットである。彼がロンドンに渡った時にワイアットの母の営む下宿に住んだりもしていた。そんな彼に影響を受けたワイアットを始めとする仲間達に、ワイアットとは学生時代からの仲で当時はオックスフォード大学に在学していたカンタベリー生まれのマイク・ラトリッジも合流し、一つのサークルが形成されていく。この頃にアレンとワイアットに加え、ワイアットやラトリッジと学生時代から交流のあったブライアン・ホッパーの弟、ヒュー・ホッパーとトリオを組んでライヴを行った事もあった。トリオが短期で終了した後、アレンはヨーロッパ各地を巡り歩き、その中でケヴィン・エアーズや後に伴侶ともなるジリ・スマイスとの交流を深めていく。残りのメンバーは後にキャラヴァンとしてデビューする面々(リチャード・クーラン、パイ・ヘイスティングズ、リチャード・シンクレア)と共にワイルド・フラワーズというバンドを結成し活動する。そして1966年の夏、カンタベリーに戻ったアレンを中心に、エアーズ、ラトリッジ、ワイアットの4人でバンドが結成される。ラトリッジがパリのバロウズに電話をかけ直接使用許可を貰ってつけたその名は、「ソフト・マシーン」。
[編集] ディスコグラフィー 1
- David Allen Trio/Live 1963
- Love is a Careless Sea(Allen)
- My Head is a Nightclub(Allen)
- Capacity Travel(Allen)
- The Song of the Jazzman(Allen)
- Dear Old Benny green is a-turning in his Grave(Allen;Wyatt;Hopper;Ratledge)
- Ya Sunne WOT(Allen)
- Fredelique la Poison avec frite sur le dos(Allen)
Members:Daevid Allen(Guitar,Voice,Poetry)/Hugh Hopper(Bass Guitar)/Robert Wyatt(Drums)
with Mike Ratledge(Piano)
- The Wilde Flowers/The Wilde Flowers
- Impotence(Hopper;Wyatt)
- Those words they say(Hopper)
- Memories(Hopper)
- Don't try to change me(Hopper;Wyatt;Flight)
- Parchman farm(Booker White)
- Almost grown(Chuck Berry)
- She's gone(Ayers)
- Slow walkin' talk(Brian Hopper)
- He's bad for you(Wyatt)
- It's what I feel -A certain kind(Hopper)
- Memories -Instrumental(Hopper)
- Never leave me(Hopper)
- Time after time(Hopper)
- Jsut where I want(Hopper)
- No game when you lose(Hopper)
- Impotence(Hopper;Wyatt)
- Why do you care -With ZOBE-(Brian Hopper)
- The pieman cometh -With ZOBE-(Brian Hopper)
- Summer Spirit(Brian Hopper)
- She loves to hurt(Hopper)
- The big show(Brian Hopper)
- Memories(Hopper)
Members:Kevin Ayers(Voice,Backing Vocal)/Richard Coughlan(Drums)/Graham Flight(Voice)/Pye hastings(Voice,Guitar,12 Strings Guitar)/Brian Hopper(Guitar,Acoustic Guitar,Backing Vocal,Alto Sax,Soprano Sax,)/Hugh Hopper(Bass Guitar)/Mike Ratledge(Flute ,Piano)/Richard Sinclair(Rhythm Guitar)/Robert Wyatt(Voice,Backing Vocals,Drums,Percussions,Tambourine)
with Bob Gilleson(Drums)
[編集] 1966年~1969年
4人組で本格始動したバンドは、ロンドンのUFOクラブを根城にヨーロッパ各地で精力的に演奏活動を行いつつ独自の音楽を模索していく。その音楽のかたちは、所謂サイケデリック・ポップとも呼べるものだった。ロンドンのサイケデリック・シーンで注目を浴びるようになった彼等は同じくUFOクラブを中心に活動していたピンク・フロイドやジミ・ヘンドリックスらとも交流を持つようになり、ステージを共にする事もあった。1967年、パリ公演からの帰途、アレンが麻薬所持などのトラブルによりイギリスへの入国許可が下りずそのまま脱退(彼はそのままパリに留まり、スマイスと共に後にゴングへと発展するプロジェクトを立ち上げる)。このアレンの抜けた穴を埋める為であろうか、ラトリッジのかねてからのジャズ志向のためか、この頃から彼の弾くオルガンの音をファズをかけて歪ませるようになる。この音色が所謂サイケデリックに分類されていた彼等の当時の音楽に、モノクロームな色彩を与えるようになる。これがカンタベリー系と呼ばれる音楽の一つの指標ともなっていく。残った3人は、ジミ・ヘンドリックスのアメリカ長期ツアーに参加。ツアー途中の1968年、ニューヨークにてデビュー・アルバム『The Soft Machine』を制作する。この頃のステージで、後にポリスのメンバーとなるギタリスト、アンディ・サマーズをアレンの代役に起用している。デビュー・アルバムは評判が良く、レーベルは次回作の制作を打診するが、当のメンバーは余りにも長期に亘ったツアーに疲れ果て、バンドは殆ど解散状態にあった。そんな状況に嫌気のさしたエアーズは、地中海に浮かぶバレアレス諸島のイビサ島へと移住して脱退。活動再開を期したメンバーは、ヒュー・ホッパーを新しいベーシストに加えトリオ編成となり、1969年にセカンド・アルバム『Volume Two』を制作(ホッパーの兄ブライアンもホーン奏者としてアルバムに参加)。ジャズ志向が強く、実験音楽などにも造詣の深いアヴァンギャルドな感性の持ち主・ホッパーの加入により、バンドはアレン=エアーズ主導時代のサイケ・ポップ路線から、ホッパー=ラトリッジ主導のジャズ・ロック路線へと変革を遂げていく。
[編集] ディスコグラフィー 2
スタジオ・アルバム
- Jet-Propelled Photographs (1967)
- That's how much I nedd you now(Wyatt)
- Save Yourself(Wyatt)
- I should've known(Hopper)
- Jet-propelled photographs -a.k.a. Shooting at the Moon-(Ayers)
- When I don't want you(Hopper)
- Memories(Hopper)
- You don't remember(Wyatt;Allen)
- She's gone(Ayers)
- I'd rather be with you(Ayers)
Members:Daevid Allen(Lead Guitar)/Kevin Ayers(Bass,Vocal)/Mike Ratledge(Piano,Organ)/Robert Wyatt(Drums,Vocal)
- The Soft Machine (1968)
- Hope for Happiness
- Joy of a Toy
- Hope for Happiness:Reprise
- Why am I so Short?
- So boot if at all
- A certain kind
- Save yourself
- Priscilla
- Lullabye Letter
- We did it again
- Plus Belle qu'une Poubelle
- Why are we sleeping?
- Box 25/4 Lid
Kevin Ayers(Bass,Vocal)/Mike Ratledge(Organ)/Robert Wyatt(Drums,Vocal)
- Volume Two (1969)
- Pataphysical Introduction - Pt.1
- A Consice British Alphabet - Pt.1
- Hibou, Anemone and Bear
- A Consice British Alphabet - Pt.2
- Hulloder
- Dada was here
- Thank you Pierrot Lunaire
- Have you ever been Green?
- Pataphysical Introduction - Pt.2
- Out of Tunes
- As long as he lies perfectly still
- Dedicated to you, but you weren't Listening
- Fire Engine passing with Bells clanging
- Pig
- Orange Skin Food
- A Door poens and closes
- 10:30 returns to the Bedroom
Hugh Hopper(Bass)/Mike Ratledge(Organ)/Robert Wyatt(Drums,Vocal) with Brian Hopper(Saxophones)
- Spaced (1969)
- Sapced One
- Spaced Two
- Spaced Three
- Spaced Four
- Spaced Five
- Spaced Six
- Spaced Seven
Hugh Hopper(Bass)/Mike Ratledge(Electric Piano,Organ)/Robert Wyatt(Drums) with Brian Hopper(Saxophones)
ライブ・アルバム
- Live at the Paradiso (1969)
- Hulloder
- Dada was here
- Thank you Pierrot Lunaire
- Have you ever been Green?
- Patapgysical Introduction - Pt.2
- As long as he lies perfectly still
- Fire Engine passes with Bells clanging
- Hibou, Anemone and Bear
- Fire Engine Passes with Bells clanging
- Pig
- Orange Skin Food
- A Door opens and closes
- 10:30 returns to the Bedroom
Hugh Hopper(Bass)/Mike Ratledge(Electric Piano, Organ)/Robert Wyatt(Drums, Vocals) Recorded at the Paradiso, Amsterdam, Netherland 1969/03/29
[編集] 1970年~1972年
独自のジャズ・ロックを模索する中で、リード楽器としてホーンを必要としたバンドは、当時キース・ティペット・グループ(KTG)に在籍していたエルトン・ディーン(Alto Sax, Saxello)と出会う。彼を筆頭にKTGのメンバー5人(ジミー・ヘイスティングズ、ラブ・スポール、ニック・エヴァンズ、リン・ドブソン)が参加。バンドは一気に大所帯の8人編成となり、1970年に3枚目のアルバム『Third』を制作。しかし、経済面の問題で最終的にバンドに残ったのはディーン一人となり、バンドはカルテット編成に落ち着く。そして1971年、4枚目のアルバム『Fourth』制作(このアルバムの1曲目に収録された「Teeth」にてダブルベースを弾いたロイ・バビングトンも、後に正式なベーシストとしてバンドに加入する事になる)。ディーンの影響でバンドの音楽性は更にジャズ色を強めて行く事になるが、それと引き換えに、元々アレンの影響が強くエピキュリアン的な感性を持っていたワイアットは、徐々にシリアスなジャズへと向かっていくバンドの中で存在感を弱めていく。彼のヴォーカル曲も『Third』に収録された「Moon in June」にて最後となり、バンドは完全にインストゥルメンタル・グループ化。ワイアットの居場所は益々狭められる事となり、彼はこの年脱退(その直後に自らのバンド、マッチング・モールを立ち上げアルバムを制作)。後任のドラマーにはディーンのバンド・メイト、フィル・ハワードが参加し、5枚目のアルバム『5』の制作を開始する。しかし、この頃からより先鋭的なフリー・ジャズ化を志向するディーン・ハワードと、予め展開を決めた上でのジャズ・ロックを志向するホッパー・ラトリッジとの間に齟齬が生じるようになる。その結果、ハワードはアルバム制作期間中にバンドを脱退。次のドラマーとしてイアン・カーの率いるジャズ・ロック・バンド、ニュークリアスからジョン・マーシャルが加入し、アルバムは完成する。そしてアルバム完成と時を同じくして、自ら率いるバンドでの活動を優先する為にディーンも脱退する。『Third』の発表された1970年から『5』発表の1972年までのこの時期に録音された様々な音源が発掘され日の目を見ている現状からも、バンドの最盛期をこの期間とする見解を持つファンは多い。
[編集] ディスコグラフィー 3
スタジオ・アルバム
- Backwards (1969 - 1970)
Elton Dean(Alto Sax,Saxello)/Lyn Dobson(Soprano Sax,Tenor Sax)/Nick Evans(Trombone)/Hugh Hopper(Bass)/Mike Ratledge(Electric Piano,Organ)/Robert Wyatt(Drums,Vocal)
- Third (1970)
Elton Dean(Alto Sax,Saxello)/Lyn Dobson(Flute,Soprano Sax)/Nick Evans(Trombone)/Jimmy Hastings(Flute,Bass Clarinet)/Hugh Hopper(Bass)/Mike Ratledge(Piano,Organ)/Roert Wyatt(Drums,Vocal)
- Fourth (1971)
Elton Dean(Alto Sax,Saxello)/Hugh Hopper(Bass Guitar)/Mike Ratledge(Piano,Organ)/Robert Wyatt(Drums)
Guest:Roy Babbington(Double-Bass)/Marc Charig(Cornet)/Nick Evans(Trombone)/Jimmy Hastings(Alto Flute,Bass Clarinet)/Alan Skidmore(Tenor Sax)
- Fifth (1972)
Elton Dean(Alto Sax,Saxello,Electric Piano)/Hugh Hopper(Bass Guitar)/Mike Ratledge(Electric Piano,Organ)/Phil Howard,John Marshall(Drums)
Guest:Roy Babbington(Double Bass)
ライブ・アルバム
- Somewhere in Soho
- Breda Reactor
- Noisette
- Facelift
- Virtually
- The Peel Sessions
- BBC Radio 1 Live in Concert
- Live in France
[編集] 1973年~1981年
脱退したディーンに代わって、マーシャルと同じニュークリアスから加入したのがカール・ジェンキンス(Oboe, Sax, Kb)である。ディーンのフリー・ジャズ的なスポンテイニアスなインプロヴィゼーションとは異なり、ジェンキンスのプレイはスコアとアンサンブルを大事にしたものであり、その影響でバンドの音楽性は洗練された都会的な雰囲気を覗かせるようになる。又彼のペンになる曲はミニマル・ミュージックの影響からかリズムやフレーズの反復を多用、幻想的な音像をも提示するようになる。フリー・ジャズへの接近著しかったディーン時代に比べ、平易なジャズ・ロックへと向かってジェンキンスがイニシアティヴを持つようになっていく。ラトリッジはこの変化に即応するが、アヴァンギャルド志向のホッパーには物足りなかったようで、彼は1973年『6』制作終了後に脱退。後任のベーシストに『Fourth』にてゲストとしてダブルベースを演奏したこれも元ニュークリアスのバビングトンがつく。ここに於いてオリジナルメンバーはラトリッジ一人、残りを全員元ニュークリアス組が占める事になり、この4人編成で『6』と同じく1973年に『7』を制作・発表。この時点に於いてはラトリッジの提示する従来のジャズ・ロックと、ジェンキンスの提示するミニマリズムとが拮抗・均衡して、独特の質感を持った音世界が提示されていた。又、ここから従来のオルガン、電子ピアノだけでなくシンセサイザーが導入された事もバンドの音の質的変化を促した。そして、1975年に発表された『Bundles(収束)』に於いて、バンドはアレン脱退以来のギタリスト、アラン・ホールズワース(ニュークリアス~テンペスト)を加える。このホールズワースのギターによってバンドはフュージョンへの路線を進む。ファズ・オルガンよりも更に強力な音を持つリード奏者が入った事も加わって、今度はラトリッジが居場所をなくしていき脱退。ここに於いてオリジナルメンバーは完全に姿を消し、バンドは元ニュークリアス人脈によって乗っ取られた形になる。この状況を皮肉って一部の口さがないファンは『Bundles』をバンドルズではなく"ブンドル(分捕る)ズ"などと呼んでいたりする…。ラトリッジ脱退を境にバンドは更にフュージョン路線を邁進。アルバム1枚のみで持ち前の放浪癖を発揮して脱退したホールズワースに代わり、元ダリル・ウェイズ・ウルフのギタリスト、ジョン・エサリッジをメンバーに迎える。又、ホーン奏者としてアラン・ウェイクマン(イエスのリック・ウェイクマンの兄弟)を加え、ジェンキンスはキーボード選任となる。この編成で1976年にバンドとしては実質ラストとなるスタジオ・アルバム『Softs』を制作・発表する。ジェンキンス流ジャズ・ロックの決定版とも呼べる後期の名作アルバムである。その後今度はバビングトンが脱退。その後に一時ブランドXのパーシー・ジョーンズが一時在籍したが、程なくアラン・ガウエンのバンド、ギルガメッシュからスティーヴ・クックが正式加入。ヴァイオリニストのリック・サンダースをメンバーに加えて行われた1977年のパリ公演を収録し、これまでのジャズ・ロックやフュージョンを更に超越し、半ばテクノにまで接近した感も抱かせるライヴ・アルバム『Alive & Well』を発表した段階(1978年)で、バンドとしてのソフト・マシーンは実質的に終わる。その3年後、1981年に発表されたラスト・アルバム『The Land of Cockayne』に於いては、バンドのメンバーはジェンキンスとマーシャルの二人だけのユニット状態となっており、その他のパートは全員ゲスト参加という編成で制作されている。ジャズ系のプレイヤーを多数ゲストとして起用した豪華な内容のイージーリスニング・アルバムとなった。名義こそソフト・マシーンではあるが、実質的にはジェンキンスのソロ・プロジェクトと考えても差し支えないだろう。
[編集] ソフト・ワークス~ソフト・マシーン・レガシィ
2003年に、エルトン・ディーン、アラン・ホールズワース、ヒュー・ホッパー、ジョン・マーシャルの4人により「ソフト・ワークス」が結成された。同年にアルバム『Abracadabra』が発表され、来日公演も実現。 その後脱退したホールズワースの後を受け、これも又元マシーンのメンバーだったエサリッジが加入、バンド名も「ソフト・マシーン・レガシィ」と改まり、ライヴを中心に活動。 2枚組ライヴ・アルバムが発表されているが、スタジオ盤は制作されていない。 尚、エルトン・ディーンが2006年2月8日に死去した。
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