ダイナカール
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性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1980年5月10日 |
死没 | 1999年4月15日 |
父 | ノーザンテースト |
母 | シャダイフェザー |
生産 | 社台ファーム |
生国 | 日本(北海道白老町) |
馬主 | (有)社台レースホース |
調教師 | 野平好男(美浦) 高橋英夫(美浦) |
競走成績 | 18戦5勝 |
獲得賞金 | 1億8909万6500円 |
ダイナカールは、日本の競走馬。第44回優駿牝馬の優勝馬である。主戦騎手は、岡部幸雄。1982年の最優秀3歳牝馬、1983年の最優秀4歳牝馬。
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[編集] 戦績
1982年10月、東京競馬場でデビュー。 ダート1200メートルの新馬戦を5馬身差で勝利すると、芝に替わっての400万下特別戦、中山の3歳牝馬ステークスと3連勝を飾った。
明け4歳となった1983年の初戦は、クイーンカップ。そのスピードから後に「天才少女」と呼ばれるダスゲニーから大きく離された5着に終わった。 次走の桜花賞トライアル4歳牝馬特別は、岡部が他馬を選んだため、東信二が手綱を取った。 前走の大敗から人気を落としたが、ダスゲニーを半馬身差まで追い詰める2着と好走した。 復調気配を見せた事から、本番の桜花賞は、1番人気で迎えたが、折からの雨で馬場状態は不良。 この条件下でのスタートでの出遅れは致命的であり、大外から追い込んだものの、勝ったシャダイソフィアから0秒1差の3着に入るまでだった。
続く、優駿牝馬は鞍上に再び岡部を迎えて臨んだ。 単枠指定され、人気はダスゲニーに次ぐ2番人気。 シャダイソフィアは、東京優駿に向かったため不在だった。 ダイナカールは、道中は好位につけ、直線で早めに先頭に立ったメジロハイネとの競り合いに持ち込んだ。 少し遅れて、レインボーピット、タイアオバが外から次第に差を詰め、さらに大外からはジョーキジルクムが猛然と追い上げた。 残り50メートルで5頭が横一線となり、そのままゴール。 長い写真判定の末、勝ったのはダイナカール。 1着から5着までの着差はハナ・アタマ・ハナ・アタマで、タイム差無しという史上に残る接戦だった。
夏を休養にあてた後、秋初戦のセントライト記念は、優駿牝馬3着のメジロハイネに雪辱され、2着。続くローズステークスもロンググレイスの3着に敗れ、エリザベス女王杯は回避した。 その後、オープン特別のターコイズステークスを1番人気に応え順当に勝利した勢いで有馬記念に挑み、9番人気という低評価ながら直線一気でリードホーユーの4着と好走した。
5歳となっての初戦は、目黒記念。 1番人気に推されるも4着と敗れ、この後右前脚を骨折。 この年の秋に復帰したものの、勝ちきれないレースが続いた。 6歳時の中山記念で3着とした後、再び故障箇所が悪化。 長期休養を余儀なくされたが、1986年1月に、7歳を迎えた事7でそのまま引退する事7となった。
[編集] 引退後
引退後は、社台ファーム早来で繁殖牝馬となった。 初年度の配合相手には、同世代の三冠馬であるミスターシービーが選ばれたが、双子を流産するという不運に見舞われる。 その後も、流産が祟ったのか不受胎に悩まされたり、生まれた産駒も下級条件に留まる等と、当初の繁殖成績は不振だった。 ところが、4番仔のエアグルーヴが母子2代優駿牝馬制覇・トウメイ以来の牝馬による年度代表馬を達成し、母を越える大活躍を見せた。 エアグルーヴの登場により更なる期待が高まったもの、後に続く産駒を輩出出来ず、1999年にトニービンとの種付け中の事故で動脈破裂を起こして急逝。 エアグルーヴ以降の産駒は、若駒ステークスを制した最後の産駒・モノポライザーが目立つ程度だった。 自身は、コンスタントに活躍馬を輩出する事が出来なかったが、孫世代からはアドマイヤグルーヴ(祖母・母共に勝てなかったエリザベス女王杯を連覇)・オレハマッテルゼ(悲運の最期を遂げたエガオヲミセテの全弟)等の活躍馬が次々と現れ、名牝系としての地位を確立しつつある。
[編集] 年度別競走成績
1982年 (3戦3勝)
- 1着-3歳牝馬ステークス
1983年 (8戦2勝)
- 1着-優駿牝馬、ターコイズステークス
- 2着-4歳牝馬特別、セントライト記念
- 3着-桜花賞
1984年 (4戦0勝)
- 3着-アルゼンチン共和国杯(GII)
1985年 (3戦0勝)
- 2着-アメリカジョッキークラブカップ(GII)
- 3着-中山記念(GII)
[編集] 備考
ダイナカールは、社台レースホースにとって初の八大競走の優勝馬である。 1980代前半までは、共同馬主の馬は牧場の売れ残りで質が劣るといった偏見が強くあり、実際八大競走を制した馬もいなかった。 これに対し、社台グループ総帥の吉田善哉自身は、アンバーシャダイやシャダイソフィアなどで大レースを次々と勝っていた為、1983年当時には、共同馬主クラブへの批判が頂点に達していた。 そのような中でのダイナカールの優駿牝馬制覇は、共同馬主クラブへの偏見を解消させ、社台レースホースの会員が一挙に増加する等、後の社台グループ隆盛の一因となった。
[編集] 血統表
ダイナカールの血統 (ノーザンダンサー系/Lady Angela4×3=18.75%(父内) Hyperion5×4×5=12.50% Nearco4×5=9.38%) | |||
父
*ノーザンテースト Northern Taste 1971 栗毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Lady Victoria 1962 黒鹿毛 |
Victoria Park | Chop Chop | |
Victoriana | |||
Lady Angela | Hyperion | ||
Sister Sarah | |||
母
シャダイフェザー 1973 鹿毛 |
*ガーサント Guersant 1949 鹿毛 |
Bubbles | La Farina |
Spring Cleaning | |||
Montagnana | Brantome | ||
Mauretania | |||
*パロクサイド Peroxide 1959 栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah | |
Singing Grass | |||
Feather Ball | Big Game | ||
Sweet Cygnet F-No.8-f |