ダンシングブレーヴ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1983年5月11日 |
死没 | 1999年8月2日 |
父 | Lyphard |
母 | Navajo Princess |
生産 | Glen Oak Farm/Taylor Made Farm |
生国 | アメリカ |
馬主 | ハーリド・ビン・アブドゥッラー |
調教師 | Guy Harwood(イギリス) |
競走成績 | 10戦8勝 |
獲得賞金 | 520,851ポンド 4,000,000フラン 140,000ドル |
ダンシングブレーヴ(Dancing Brave)は、イギリスの競走馬。アメリカで生産され、イギリス、フランス、アメリカで計10戦8勝の成績を残した。主な勝ち鞍は英2000ギニー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス、凱旋門賞等。1980年代の欧州最強馬との声も高く、インターナショナルクラシフィケーション(現ワールドサラブレッドレースホースランキング)では史上最高の141ポンドのレートが与えられている。
[編集] 生涯
アメリカのグレンオーク牧場で生産されたダンシングブレーヴは、イヤリングセールでサウジアラビアのハーリド・ビン・アブドゥッラー王子に20万ドルで落札されイギリスに渡り、躍動する勇者(Dancing Brave)と名付けられた。
2歳時を2戦2勝で終えたダンシングブレーヴは、明け3歳になると、クレーヴンステークス(GIII)で初重賞制覇を成し遂げ、次走2000ギニーに出走するとグリーンデザートに3馬身の差をつけ圧勝。エプソムダービーではスタミナ不足が心配されたが、ふたを開けてみると1.5倍の圧倒的な一番人気に押されていた。レースでは道中前が壁になるアクシデントがあり直線に入ってもまだ後方のまま、残り2ハロンの時点で先頭のシャーラスタニとの差は12馬身差以上、絶望的ともいえる差があった。ここからダンシングブレーヴは驚異的ともいえる鬼脚(ラスト1ハロン10秒3)を繰り出し、シャーラスタニとの差を見る見るうちに縮め、その差を1/2馬身差にまで追いつめたところがゴールだった。エプソムダービーは負けたものの、その強さを知らしめたダンシングブレーヴは次走エクリプスステークスに出走した。ここでトリプティクに4馬身差をつけ勝利するとキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに向かう。一番人気こそ英愛ダービーを制したシャーラスタニに譲ったが、果たしてダンシングブレーヴの末脚に敵うものはいなかった。
秋初戦、凱旋門賞の叩き台となったセレクトステークスでは10馬身差で圧勝。本番の凱旋門賞では、1965年と並ぶ史上最強のメンバーが集まった。出走馬はベーリング、シャーラスタニ、 シャーダリ、トリプティク、アカテナンゴ、おまけに東京優駿(日本ダービー)優勝馬シリウスシンボリ等、出走15頭中11頭までがGI馬という史上最高のメンバーが揃った。このレースでは最後の直線入り口の時点で最後方という絶望的な位置にいたが、そこから神がかりと言われる程の末脚で全馬まとめてゴボウ抜きし、気が付けばベーリングに1馬身半差で勝利、しかもコースレコードのおまけ付きであった。この後アメリカに遠征しブリーダーズカップ・ターフに出走するもダートを横切るコースが合わなかったか4着に敗退し、これを最後に引退。一説によるとダートを横切る際に他馬が跳ね上げた砂の塊が目を直撃するというアクシデントが起きたとも言われている。
引退後はイギリスで種牡馬入りしたが、不治の病である(また奇病とも言われる)マリー病に蝕まれたことを理由に、種牡馬として見切りをつけられてしまう(一説にはこのマリー病を理由に殺処分されそうになったという話もある)。それを聞いた日本の生産者団体が購買し、日本へ輸出される事となる。その後、イギリスに残した産駒からコマンダーインチーフ(エプソムダービー)やホワイトマズル等が出て、欧州のホースマン達を「早すぎた日本への輸出」と嘆かせた。これらの産駒はいずれも日本に輸入され、中央・地方で活躍馬を出している。日本でもキョウエイマーチ、キングヘイロー、テイエムオーシャンを輩出し成功した。その後も体調が不安定で必ずしも順調な種牡馬生活とは言えなかったが、関係者の尽力もあって少ないながらも産駒を出し続けた。1999年心不全により死亡。
なお、その後も母の父としてスイープトウショウやメイショウサムソンを出しているほか、ホワイトマズルやキングヘイローといった後継種牡馬もGI勝ち馬を輩出し、その血脈は現在でも生産者や競馬ファンからの注目を集めている。
[編集] 代表産駒
- 1990年産
- コマンダーインチーフ(イギリスダービー、アイルランドダービー)
- ホワイトマズル(イタリアダービー、ドーヴィル大賞典)
- ダンシングサーパス(オーストラリアトロフィー)
- 1997年産
- ジョウテンブレーヴ(マイラーズカップ、エプソムカップ、京阪杯、東京スポーツ杯3歳ステークス)
- 1998年産
- テイエムオーシャン(秋華賞、桜花賞、阪神3歳牝馬ステークス、札幌記念、チューリップ賞)
- エリモピクシー(ファイナルステークス)
- ダンシングカラー(ベンジャミンステークス)
- 1999年産
- スナークスズラン(淀短距離ステークス)
- ヤマニンイデアル(ききょうステークス)
[編集] 血統表
ダンシングブレーヴの血統 (リファール系(ノーザンダンサー系)/4代内アウトブリード) | |||
父
Lyphard 1969 鹿毛 アメリカ |
Northern Dancer 1961 鹿毛 カナダ |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Goofed 1960 栗毛 アメリカ |
Court Martial | Fair Trial | |
Instanteneous | |||
Barra | Formor | ||
La Favorite | |||
母
Navajo Princess 1974 鹿毛 アメリカ |
Drone 1966 芦毛 アメリカ |
Sir Gaylord | Turn-to |
Somethingroyal | |||
Cap and Bells | Tom Fool | ||
Ghazni | |||
Olmec 1966 栗毛 アメリカ |
Pago Pago | Matrice | |
Pompilla | |||
Chocolate Beau | Beau Max | ||
Otra F-No.3-d |
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