フィジー
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- フィジー諸島共和国
- Republic of the Fiji Islands(英語)
Matanitu Tu-Vaka-i-koya ko Viti(フィジー語) -
(国旗) 国章 - 国の標語 : Rerevaka na Kalou ka Doka na Tui
(フィジー語: 神を畏敬し、女王を尊敬する) - 国歌 : God Bless Fiji
-
公用語 英語、フィジー語
ヒンドゥスターニー語(ヒンディー語、ウルドゥー語)首都 スバ 最大の都市 スバ 大統領 ジョセファ・イロイロ 首相 ライセニア・ガラセ 面積
- 総計
- 水面積率世界第151位
18,270km²
極僅か人口
- 総計(2005年)
- 人口密度世界第153位
893,354人
48人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
49億フィジー・ドルGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第141位
28億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第149位
50億700万ドル
5,800ドル独立
- 日付イギリスより
1970年10月10日通貨 フィジー・ドル(FJD) 時間帯 UTC +12(DST: なし) ccTLD FJ 国際電話番号 679
フィジー諸島共和国(―しょとうきょうわこく)、通称フィジーは、オセアニアの国。首都はビティレブ島のスバ。南太平洋のフィジー諸島に位置する島国である。300余の火山島と珊瑚礁からなる。西にバヌアツ、東にトンガ、北にツバルがある。
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[編集] 国名
正式名称は、Republic of the Fiji Islands(リパブリック・オブ・ザ・フィージー・アイランズ)。通称、Fiji。
日本語の表記は、フィジー諸島共和国。通称、フィジー。他に、フィジイ、フィジィ。
1998年にフィジー共和国から改称した。また、漢字では「斐濟」と表記する。
[編集] 歴史
- 紀元前1300年前と推定される土器類がヴィティ・レヴ島から発掘されている。
- 約8000年前、この地にメラネシア系パプア人が住みついた。その後、トンガ人が移り住み、ポリネシア文化の影響を受けた。
- 1643年、オランダのタスマンが北部に上陸。
- 1774年、イギリス人航海家のクックが南部上陸。
- 1874年、イギリスの植民地となる。
- 1879年、イギリスは1916年まで砂糖のプランテーションのため大勢のインド人労働者をフィジーに移民させる。その多くのインド人はフィジーに定住したが、フィジー社会を劇的に変化させる事になる。
- 1970年、イギリス連邦内で独立。
- 1987年、インド系が政権をとるが、5月と9月にフィジー系のランブカ陸軍中佐によるクーデターが起こり10月に共和国宣言をし、イギリス連邦を離脱。
- 1990年、フィジー系の憲法を公布。
- 1992年、選挙で、ランブカ率いるフィジアン党(SVT)が政権を維持。
- 1994年、カミセセ・マラが大統領に就任。
- 1997年、改正憲法公布。イギリス連邦に再び加盟。
- 1998年、国名を現在の国名に変更。
- 1999年、インド系首相就任。
- 2000年、フィジー系の武装集団が首相を人質に国会議事堂を占拠し、軍が戒厳令を発令し文民暫定政権が発足する。
- 2001年、総選挙を行う。
- 2006年 軍によるクーデター。2000年のクーデターにおける首謀者らの恩赦法案を巡って、首相と軍司令官の対立が昂じた末の出来事。
[編集] 政治
パプアニューギニアと並ぶ南太平洋の島嶼国のリーダーで、現在はフィジー系が政権を掌握している。 アジア・太平洋諸国との関係を重視している 大統領を元首に頂く象徴大統領制、首相が行政権を掌握する議院内閣制で、議会は二院制であるが、イギリス国王を元首に頂く立憲君主制への復帰も検討されている。
[編集] 地方行政区分
フィジーは、4つの地域(division)という行政区画に分かれる。()内は地域政府所在地。
- 中央地域、Central Division(スバ、Suva)
- 北部地域、Northern Division (ランバサ、Labasa)
- 東部地域 Northern Division (レブカ、Levuka)
- 西部地域 Western Division (ラウトカ、Lautoka)
群島の北部にあるロツマ島は、保護領である。
[編集] 地理
南太平洋のメラネシア南東端に位置しビティレブ島などの330あまりの島がある 火山島が多く、珊瑚礁が多く平野が少ないのが特徴である
[編集] 経済
主に農業や衣料や観光で成り立っている。観光で得る収入は2億7000万ドルにのぼり、耕地面積は26万haある。農業に従事する人は13万人いる。輸出可能な商品はほとんどなく、貿易は大幅な輸入超過である。
[編集] 国民
住民は、フィジー系が51%、インド系が44%、ヨーロッパ人や他の太平洋の島民、華人などが5%である。
宗教は、キリスト教が52%、 ヒンドゥー教が38%、イスラム教が8%、その他2%である。
言語は、公用語が英語で、他にフィジー語、ヒンディー語が使われる。
[編集] フィジー系とインド系の対立
先住民であるフィジー系と、新しい住民であるインド系の対立は激しい。
フィジー系のみで構成される伝統的社会指導者評議会(GCC)による大統領任命が行われるなど、歴史的には政治面でのフィジー系の優遇政策がとられてきた。
そのような状況の中、1999年5月の総選挙でインド系首相が就任したが、2000年5月にフィジー系の政治的優位の強化を主張する武装勢力によるクーデターが発生するなど、その対立は根深い。
ライセニア・ガラセ政権がフィジー系・インド系の対立の改善を図るが、2000年のクーデターでフィジー系の攻撃標的にされた軍司令官が宥和政策を拒否、2006年12月ガラセ首相を強行解任。大統領が司令官の方針に同調。
[編集] 文化
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元旦 | ||
3月~4月 (イースター前の金曜日) | 聖金曜日 | 移動祝日 | |
3月~4月 (イースター前の土曜日) | 聖土曜日 | 移動祝日 | |
3月~4月 | イースター | 移動祝日 | |
5月 | 預言者ムハンマド降誕祭 | 移動祝日 | |
5月 | 青年の日 | 移動祝日 | |
5月 | ラトゥー・サー・ララ・スクナ・デー | 移動祝日 | |
6月 | 女王誕生祭 | 移動祝日 | |
10月 | フィジーデー | 移動祝日 | |
11月 | ディーワーリー | 移動祝日 | |
12月25日 | クリスマス | ||
12月26日 | ボクシング・デー |
[編集] 関連項目
- フィジー関係記事の一覧
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
[編集] その他
- イギリス連邦加盟国
- アンティグア・バーブーダ | イギリス | インド | ウガンダ | オーストラリア | ガイアナ | ガーナ | カナダ | カメルーン | ガンビア | キプロス | キリバス | グレナダ | ケニア | サモア | ザンビア | シエラレオネ | ジャマイカ | シンガポール | スリランカ | スワジランド | セーシェル | セントクリストファー・ネイビス | セントビンセント・グレナディーン | セントルシア | ソロモン諸島 | タンザニア | ツバル | ドミニカ国 | トリニダード・トバゴ | トンガ | ナイジェリア | ナウル | ナミビア | ニュージーランド | パキスタン | バヌアツ | バハマ | パプアニューギニア | バルバドス | バングラデシュ | フィジー | ブルネイ | ベリーズ | ボツワナ | マラウイ | マルタ | マレーシア | 南アフリカ | モザンビーク | モーリシャス | モルディブ | レソト
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