大竹まこと
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大竹 まこと(おおたけ まこと、1949年5月22日 - )は俳優、お笑いタレント。本名、大竹真。
シティボーイズ(大竹まこと・斉木しげる・きたろう)のリーダー。
東京都出身。東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業。
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[編集] 人物
眼鏡にヒゲ、スーツ姿で常に不機嫌な表情をしている、40歳頃から白髪頭といったいでたち。
実は双子で、弟は「ケンタウロスの伝説」「万歳ハイウェイ」等の漫画原作者としても知られる元バイク雑誌編集者の大竹オサム。前述の出身中学も双子を研究サンプルとして教育するいわゆる「双子研」。ちなみにNHK職員にそっくりな双子の兄弟がいるという噂が一時期たったが、出所は大竹本人。以前NHKで丹波哲郎に偶然会ったとき、丹波から逃げるために「私は大竹の双子の弟です」という嘘をついた事から、丹波経由でこの噂が広がった。しかしこの冗談を漫画家の中山ラマダは真に受けてしまい、「大竹まことにはNHKに双子の弟がいる。」と漫画に描いてしまったことがある。
一部で青山学院大学出身(中退)というプロフィールが流出しているが、そのことについては本人がTV番組中に否定。「どこからそんな話が出たのか……」と語る。
1971年秋、通っていた俳優養成所を中退した仲間が集まり、劇団『表現劇場』を結成する。このときの仲間に、のちシティボーイズを結成する、きたろう、斉木しげるの2人とそして俳優の風間杜夫がいたことは有名なエピソードである。弟子に漫談のユリオカ超特Qがいる。
1977年の映画「八甲田山」ではエキストラとして兵士のひとりを演じ、その時の過酷な撮影のエピソードをトーク番組などでしばしば紹介する。なお、劇中で吹雪のなか発狂して全裸になり、雪に突っ伏して死ぬ兵士が大竹まことだという噂が昔からよく聞かれるが、それは原田君事という別の俳優である。
1988年頃から、メジャーデビュー前のX JAPAN(当時のバンド名は「X(エックス)」)のYOSHIKIらとの交流もあり、1991年と1992年には日本武道館で行われた、YOSHIKI主催のインディーズレーベル「EXTASY RECORDS」のイベント「EXTASY SUMMIT」に司会者として参加した事がある。
1996年8月、東京都杉並区の交差点で大竹まことの運転する乗用車とバイクが衝突。バイクを運転していた男性が死亡、後部座席の女性も重傷を負った。大竹は事故直後、直ちに警察に通報するとともに、粛々と現場検証及び取調べに立ち会ったという。大竹に道路交通法上の過失はなく、刑事処分は無かった。この事故以降、大竹の芸風は大きく変化した。
昔は生放送で手を付けられないほどに暴れ、例えば「夕やけニャンニャン」では常滑川まことの名で立見里歌を追いかけ回したり、新田恵利が歌っている背後で衣装を脱いだり(下着をおろしたらしい)していた。他番組でも、斉藤慶子に抱きついたり、吉本多香美の股間を覗いたり、神田うののスカートをめくったりとセクハラをはたらくなど「芸能界一の暴走王」とも言われている。
また別の番組では当時アイドルとしてデビューしたばかりの山瀬まみに対し生放送中に強引にセクハラ行為をして(番組セットも破壊し、この一件で数年間の日テレへの出入り禁止処分を受けた)以降、山瀬まみが徹底的に大竹まことを嫌っていたことは有名である(今現在は和解している)。
しかしプライベートな場では非常に物腰が柔らかいことで知られており、後輩芸能人も常に「さん」付けで呼ぶ。(ただし、共演した高田純次にはロケ番組内で「そうやって(紳士的に振舞って)クドくんでしょ?!」と突っ込まれる。)
料理の腕前はプロ級であり、「よそ見包丁(包丁でタマネギ等をよそ見しながらきれいに切る事)」が出来る。本人によれば、売れない時代にヒモ(岡本麗)をしており、その時に腕を磨いたという。また、日本テレビ系「ごちそうさま」でも半年間料理コーナーを担当し、料理本も執筆していることからもその事実が伺える。 2007年4月5日放送分のいきなり黄金伝説3時間スペシャルでは、クリームシチューを1週間で500杯食べ切る伝説に挑戦していたアンタッチャブルを励ます為に、オマール海老・キャビア・トリュフ等の高級食材をふんだんに用いた自家製のクリームシチューを振舞った。
舞台ではシュールな笑いを繰り広げるコントが多いためボソッとした一言で笑いをとる役が多く、トーク番組たけしのTVタックルでもそのようなスタンスをとっているが、テーマによってはヒモエピソードはもちろん、貧乏時代から多くの人間の姿を見てきたことを遠慮なく披露することがある。TBSの中居正広の素人応援トーク番組にゲストで出演した際には、ゲイを番組でカミングアウトしようとして無職の息子と対立する素人の父親に、目をむいてこんこんと長台詞で説教し、親子の和解を強くすすめる熱い姿を見せている。
若手お笑い芸人への造詣が深くM-1グランプリとABCお笑い新人グランプリでは審査員を務めている。
[編集] 出演
[編集] バラエティ番組
- 5時SATマガジン(1981年 - 1993年、中京テレビ)
- 夕やけニャンニャン(1985年 - 1987年、フジテレビ)
- 通称「夕ニャン」。常滑川まことと名乗ったのはこの番組内。
- パオパオチャンネル(1987年 - 1989年、テレビ朝日)
- 1987年10月から1989年9月まで放送されていた低年齢層向けバラエティー番組。木曜日の司会者、アシスタントは井森美幸。
- ビートたけしのTVタックル(1989年 - 、テレビ朝日)
- 大竹まことのただいま!PCランド(1989年 - 1992年、テレビ東京)
- キスした?SMAP(1993年 - 1996年、朝日放送)
- 愛称キスSMA。Kinki Kids、円広志、コロッケらとレギュラー出演。
- 大阪ほんわかテレビ(1993年 - 、よみうりテレビ)
- BLT(1995年-1996年、日本テレビ)
- 痛快!エブリデイ(関西テレビ)
- M-1グランプリ(2001年 - テレビ朝日)
- あんたにグラッツェ!(2001年 - 2002年、中京テレビ)
- あんグラ☆NOW!(2002年 - 2004年、中京テレビ)
- ときめきタイムリー(よみうりテレビ)
- 情報満載 ひるまで!すっぴん!(2003年 - 2004年、よみうりテレビ)
- ドリーム・プレス社(2006年 - 、TBS)
[編集] 映画
[編集] ラジオ
- 大竹まこと 少年ラジオ(文化放送)
- 大竹まこと ゴールデンラジオ(2007年5月7日放送開始予定 月-金曜13:00 - 15:30)
- ビートたけしのオールナイトニッポン(ニッポン放送、1987年3月 - 6月)
- フライデー事件で謹慎中のビートたけしの代理パーソナリティを務めた。番組名は「ピンチヒッター 大竹まことのオールナイトニッポン」。つなぎのパーソナリティであることから、肩書きに必ず「ピンチヒッター」をつけられてしまうことが気に入らない旨をトークのネタにしていた。同様の理由で番組ノベルティなどは存在しなかったが、番組がある程度軌道に乗ってきたのを期に、自らノベルティ企画を提案。当時交流のあった日比野克彦がデザイン協力した特製「原稿用紙」を全額自費で製作し、リスナーにプレゼントする予定だった。しかしノベルティ完成の翌々週に、ビートたけしが電撃的に番組に復帰したため、大竹の役目は終わり、リスナーにノベルティが配られることはなかった。このノベルティ製作にかかった費用は、約3ヵ月間の同番組出演のギャラを超えたと、本人が番組内で話している。
- 大竹まことの金曜日のたまごたち(ニッポン放送、1986年 - 1987年)
- プロ野球オフシーズンのつなぎ的番組だったが、番組内のコーナーにて募集したオリジナルのパンを、木村屋總本店とタイアップし発売している。
[編集] 著書
- こんな料理で男はまいる。(ISBN 4048533746)
- こんな料理で女もまいる。(ISBN 4048535161)
- TVタックルで「あまり売れませんでした」とカムアウトしていた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- GothanCafe' (双子の弟·大竹オサムの店)