八代駅
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八代駅(やつしろえき)は、熊本県八代市萩原町一丁目1番1号に所在する九州旅客鉄道(JR九州)・日本貨物鉄道(JR貨物)・肥薩おれんじ鉄道の駅。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
島式ホーム1面と相対式のホームに切り欠き式を追加した2面4線構造である。相対式ホームの鹿児島側と切り欠き式ホームを肥薩おれんじ鉄道が使用する。ホームの中間部分にJRと肥薩おれんじ鉄道の仕切があり乗換取扱を行っている。
- 0番線:肥薩おれんじ鉄道線(川内方面)
- 1番線:南半分は肥薩おれんじ鉄道線(川内方面)、北半分はJR
- 2番線:JR
- 3番線:JR
- 駅本屋は熊本方面 (JR)のホームに面する。
- マルス端末機及びPOS端末機を設備している。
- 運転信号関係はJR九州直営。出改札業務のみ九州交通企画に業務委託されている。
- JR駅舎と肥薩おれんじ鉄道駅舎の両方にコインロッカーが設置されている。
[編集] 駅弁
- 鮎屋三代(天然鮎を使った出汁で炊いたご飯にタレで煮た鮎が乗っている)
- 阿蘇赤うし(牛の時雨煮と焼き肉)
[編集] 貨物駅
[編集] 駅周辺
駅舎のある西側は八代市の中心市街地の東端を成している。東側の駅裏は日本製紙八代工場となっている。 また、駅前には産交バスの八代駅前バス停がある。乗り場が複数あるので注意が必要。
[編集] 歴史
- 1896年(明治29年)11月21日 - 九州鉄道の駅として開業。当時は現在の球磨川前川橋付近にあった。
- 1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道の国有化により国鉄の駅となる。
- 1908年(明治41年)6月1日 - 当駅~人吉駅間が延伸開通。同時に現在地に移転。旧駅は(貨)球磨川駅として開業。
- 尚、初代本屋駅舎は駅移設後は香椎駅本屋として移築され現駅ビル改築時まで残存した。また新八代方面から八代駅に向かう路線がクランク状なのは当時の駅移転痕跡の残滓である。
- 1923年(大正12年)7月15日 - 当駅~日奈久駅間が開通。
- 1945年(昭和20年)6月10日 - 球磨川駅を当駅に併合。ただし、引き続き貨物施設として存続。
- 8月11日 - 米海軍空母艦載機波状空襲攻撃により当駅~肥後高田駅間の球磨川鉄橋が被災落橋し現在も橋脚に痕跡残る(球磨川橋梁8月29日復旧)
- なおこの前後から、連合軍の南九州上陸オリンピック作戦の前哨として、中南九州の交通の要所が大日本帝国陸海軍軍事輸送妨害のために集中攻撃の対象となり、ことに駅関係施設以外では球磨川橋梁以外にも、鹿児島本線川内川橋梁や日豊本線小丸川橋梁が落橋被害を蒙り、いずれも8月末までに復旧していなかった。同年8月22日に肥薩線第二山神トンネル内で乗客の復員軍人多数が犠牲になった肥薩線列車退行事故はすなわち、その時点において肥薩線が、南九州方面から中九州以遠を徒歩連絡なしに列車が直通運転可能な唯一のルートであった事が遠因である。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によJR九州・JR貨物の駅となる。
- 1989年(平成元年)11月12日 - 旧球磨川駅にあった貨物設備を旅客駅隣へ移転。同時に着発線荷役方式を導入。
- 2004年(平成16年)3月13日 - 当駅~川内駅間が肥薩おれんじ鉄道に移管。
[編集] 隣の駅
- 肥薩おれんじ鉄道
- 肥薩おれんじ鉄道線
- 八代駅 - 肥後高田駅