八幡市
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八幡市(やわたし)は、京都府の南部、大阪府との境界線沿いに位置する市である。石清水八幡宮の門前町として発達した。
また、1970代以降、京阪電鉄樟葉駅(大阪府枚方市)に近い男山地区で、京阪電鉄や日本住宅公団(現・都市再生機構)などが住宅を造成して、大阪市方面のベッドタウンとして人口が増加した。
八幡市には幾つかの飛地があり、それらは京都市と久世郡久御山町との境や京田辺市と大阪府枚方市との境に置かれている。
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[編集] 地理
木津川を挟んで久世郡久御山町、洞ヶ峠を越えて大阪府枚方市に接しており、市の中央を国道1号が南北に貫いている。 国道1号と直行するような形で府道や市道が整備されており、京田辺市とつながっている。
市の西側は淀川で、対岸に京都府乙訓郡大山崎町、大阪府三島郡島本町、大阪府高槻市を眺望できる。市の北端のかわきた自然運動公園内に、木津川、宇治川、桂川の3川合流点があり、近くを通る国道478号で大山崎町とつながっている。
鉄道駅は3駅ある。京阪本線の八幡市駅・橋本駅。鋼索線の男山山上駅。 八幡市駅には急行・準急・普通が停車する。橋本駅は普通・準急のみ停車する。 鋼索線は市内一の名所である石清水八幡宮への参詣客が利用する。
バス路線が非常に充実している。京阪バス(主体は旧・京阪宇治交通)が、京阪本線の樟葉駅と八幡駅を軸に多数の系統を設けており利用率も充分によい。樟葉駅を出て目前に広がる大きなバスターミナルが八幡市における交通の便利さを物語っている。
男山を取り巻くように住宅地や田園が広がり、特に男山西側の地域は男山団地と呼ばれる人口密集地である。
[編集] 歴史
[編集] 沿革
- 1889年(明治22年)、八幡町、都々城村、有智郷村が町・村制施行。
- 1954年(昭和29年)、上記3町村が合併して八幡町となる。
- 1977年(昭和52年)11月1日、市制を施行し、京都府内で11番目の市となる。
[編集] 行政
- 市長: 牟礼 勝弥
[編集] 産業
産業の規模は人口の割に小さい。 農業の比率が高く、梨が名産品として定評がある。秋には観光梨園が開かれる。 工業は主として国道1号線沿いに立地している。金属加工などが代表的である。立地を活かし、倉庫・物流拠点としての利用もある。
商業は八幡市にとって頭痛の種ともいえる。八幡市の人口を大きく支える男山団地と周辺の邸宅街での消費は枚方市楠葉地区に流れており、市内での滞留率が非常に低い。また近年開発が進んだ市東部の邸宅街には小規模ながら商業地区が形成されているものの、隣接する久御山町や京田辺市にある大型店に客が流れている。客が流れていることと同時に、雇用機会も流れてしまい、八幡市のセールスポイントともいえる交通の便の良さが裏目に出ているとも考えられる。ゆえに市の財政事情は厳しい。
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 海外
[編集] 地域
[編集] 教育
[編集] 小学校
2005年に校区の見直しや、八幡市立第四小学校、第五小学校、東小学校の統廃合が決定した。
- 八幡市立八幡小学校
- 八幡市立東小学校
- 八幡市立中央小学校
- 八幡市立橋本小学校
- 八幡市立有都小学校
- 八幡市立南山小学校
- 八幡市立八幡第二小学校
- 八幡市立八幡第三小学校
- 八幡市立八幡第四小学校
- 八幡市立八幡第五小学校
- 八幡市立美濃山小学校
[編集] 中学校
- 八幡市立男山中学校
- 八幡市立男山第二中学校
- 八幡市立男山第三中学校
- 八幡市立男山東中学校
[編集] 高等学校
[編集] 隣接する自治体
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
[編集] 道路
隣市の枚方市が「京阪間にろくな道無し」と言われるのに対して、八幡市では市街地においても大きな渋滞が発生することは少ない。 開発段階から生活道路と産業道路や幹線道路の分離が考慮されてきたことが伺える。しかし、第二京阪道路や京都第二外環状道路が開通する以前は国道1号、京都府道・大阪府道13号京都守口線、京都府道22号八幡木津線などは市域において混雑が顕著であった。
[編集] 名所・旧跡
[編集] その他
- ボートピア京都やわた
[編集] 出身者
- 佐藤康光(将棋棋士/元将棋名人・永世棋聖)
- 河内貴哉(広島東洋カープ・投手)
- 宇野雅美(東京ヤクルトスワローズ・投手)
- 藤田宗一(千葉ロッテマリーンズ・投手)
- 佐藤アツヒロ(俳優。元・光GENJI。小学生の中頃まで住んでいた)
[編集] 外部リンク
- 京都府八幡市 (公式サイト)
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