島本町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
島本町(しまもとちょう)は、大阪府の北東部、三島郡にある町。京都府乙訓郡大山崎町との境、桂川・宇治川・木津川が山崎地峡で合流して淀川となる場所にあり、京都盆地から大阪平野へ抜ける交通の要衝として古くから栄えた。大阪市や京都市のベッドタウンとして住宅地開発も進んでいる。
目次 |
[編集] 地理
淀川の支流、水無瀬川の流域の大部分を占めている。町域は北西-南東方向に長く、北西に行くほど標高を増す。町全体の七割近くが山岳・丘陵地である。南東の淀川沿いに小さく開けた低地に市街地があり、ここを東海道新幹線、東海道本線、阪急京都本線、名神高速道路などの交通幹線が集中して通り抜けている。桂川、宇治川、木津川の三河川が合流する地点にあたり、それぞれの河川の水温が違うため、冬には霧が多く発生する。 海抜は釈迦岳が最高であり631,4メートル、最低は高浜の8,5メートルである。
- 山: 釈迦岳
- 河川: 淀川、水無瀬川
[編集] 隣接している自治体
[編集] 歴史
島本町は天王山と男山に挟まれており、摂津国と山城国を結ぶ道の中で唯一山越えをしなくてすむ交通の要所である。古くから朝廷と大宰府を結ぶ山陽道(後の西国街道)が通っており、その環境下で繁栄してきた。
水無瀬川と淀川が合流する付近(現在の広瀬地区、東大寺地区)は水無瀬とよばれ、古くは東大寺の荘園であった。景色の美しさとたなびく霞で知られ、「万葉集」の時代から歌枕とされた。後鳥羽上皇はこの地をことのほか愛し、何度も行幸をしてついには水無瀬離宮を造営したほどであった。上皇が亡くなった後、離宮跡は水無瀬神宮となった。その他、小倉百人一首のうち50句を合わせ言葉の順番に並べると、水無瀬の絵図が完成する。これは藤原定家が絵図に一致する歌を集めたためといわれている。また先述のように、島本町には藤原定家と親交も深かった後鳥羽天皇の別荘があったことから、この地は「小倉百人一首のふるさと」と言われている。また、新古今和歌集巻一冒頭の「夕さればみなもとかすむみなせ川夕べは秋となどおもふらん」は後鳥羽上皇がこの地を詠んだものである。
また、桜井地区は湊川の戦いに出陣する楠木正成が嫡子楠木正行と別れた「桜井の別れ」の地として太平記に登場する。現在の島本町章は、「嶋本」の文字を楠木氏の家紋である菊水に似るよう変形させたものである。
その他、豊臣秀吉(羽柴秀吉)と明智光秀が戦った山崎の戦いの古戦場としても知られる。
1889年(明治22年)4月1日 大沢、尺代、山崎、東大寺、広瀬、桜井、高浜の七村が合併して島本村となる。 1940年(昭和15年)4月1日から町制施行している。
[編集] 町政
一時期町議会の女性比率が44,4%と日本一女性率が高い議会になったことがある。
[編集] 経済
大都市に近く澄んだ水が豊富なため、工場の進出が相次いだ。特に大正時代に進出したサントリー(当時は壽屋)の山崎蒸溜所は、同所で作られるウイスキーのブランド名ともなっており有名。他には同時期に進出したユニチカ(当時は日紡絹糸)、第二次大戦後に進出した積水化学工業、NEOMAX(旧・住友特殊金属)などの工場もあり、工業都市の性格が強い。
近年では大阪市や京都市の都市圏拡大に伴い、それらの衛星住宅都市としての地位も獲得しつつある。 小野薬品工業株式会社 水無瀬研究所・サントリー株式会社 研究センター等がある研究都市でもある。
[編集] 地域
[編集] 地区
島本町の地区区分は下記に記すとおりである。
- 青葉 一~三丁目
- 江川 一丁目、二丁目
- 大沢 大字大沢
- 桜井 大字桜井、一~五丁目
- 尺代 大字尺代
- 高浜 大字高浜、一~三丁目
- 東大寺 大字東大寺、一~四丁目
- 百山 百山
- 広瀬 大字広瀬、一~五丁目
- 水無瀬 一丁目、二丁目
- 山崎 大字山崎、一丁目~五丁目
- 若山台 一丁目、二丁目
[編集] 教育・福祉・文化
[編集] 教育施設
[編集] 幼稚園・保育所
-
- 島本町立
- 第一幼稚園
- 第二幼稚園
- 第二保育所
- 第四保育所
- 島本町立
-
- 私立
- 山崎幼稚園
- 山崎保育所
- 私立
[編集] 小学校
[編集] 中学校
[編集] 高等学校
-
- 大阪府立
[編集] 専修学校
[編集] その他町内施設
[編集] 文化施設
- ふれあいセンター
- 町立図書館(ふれあいセンター4階)
- 町立体育館
[編集] ホール・公民館
- 島本町住民ホール
- ケリアホール
[編集] 福祉施設
- 町立やまぶき園
[編集] その他の施設
- 町立人権文化センター
- 島本町教育センター
- 町立キャンプ場
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
[編集] 道路
- 高速道路
- 名神高速道路大山崎インターチェンジ(京都府乙訓郡大山崎町)が近くにある。
- 一般国道
- 府道
- 京都府道・大阪府道67号西京高槻線通称西国街道(旧山陽道)
- 京都府道・大阪府道734号柳谷島本線
- 大阪府道124号桜井駅跡線
[編集] 路線バス
※開催期間中の毎土、日曜日、JR山崎駅及び阪急電鉄水無瀬駅と京都競馬場間にバスを運行(有料) ※〈運行時間〉阪急水無瀬駅 8:10~14:10、おおよそ20分間隔 JR山崎駅8:20~14:10、おおよそ20分間隔
[編集] 観光・旧跡名所
[編集] 産業
- サントリー山崎蒸溜所(大山崎町と跨って所在している)
[編集] 旧跡名所
- 客殿と茶室が国の重要文化財に指定、境内の湧き水「離宮の水」は名水百選に選出、また石川五右衛門がつけたといういわれのある手形が門の右手上に残っている。この手形は、石川五右衛門が盗みに入ろうとしたが、神威により入れなくて、逃げ去る時、付けたと言われている。
- 待宵小侍従碑
- 石清水八幡宮の別当の娘で、歌人の母をもつ「待宵小侍従」。太政大臣の子・藤原伊道に嫁ぎ、四十歳頃その夫に先立たれた。それから二条天皇、高倉天皇などに仕え、宮仕えを終えてから歌人としての名を挙げる。「待宵小侍従」と呼ばれる所以は、当時大評判になった「待つ宵にふけゆく鐘の声きけばあかぬわかれのとりはものかは」の一首からだ。待ち詫びる心に濃厚な色香の漂う恋の歌。平安の歌姫のこの碑は、高槻城主永井直清によって慶安3年(1650)建てられたもの。所在地:島本町桜井3
[編集] 祭り
- 島本夏祭り(8月上旬)
- 島本町文化祭(11月3.4.5日)
[編集] 出身有名人
[編集] その他
[編集] 島本町の通話
市外局番は075、市内局番は961~963で、京都MAに属する。他の大阪府内に通話するときは県外通話となる。
平成以前は管轄の山崎電報電話局が準市外局扱いで、長岡京市、向日市、大山崎町(市内局番分割後)の全域及び京都市、久御山町、大津市(いずれも市外局番075の地区に限る)への通話の際には市外局番が必要であったが、現在は前述の区域へは市外局番なしで通話可能で市内料金が適用され、他の京都府内の通話は県内市外料金が適用される。
[編集] 島本町の郵便
山崎郵便局管轄区域。618-00## という番号で、これは京都府乙訓郡大山崎町と共通である。
[編集] 島本町の上水道
以前は100%自己水(名水百選の地下水)だった。しかし上水道安定供給のため、平成10年10月以降大阪府営水道(高度浄水処理水)を導入、現在は自己水90%府営水10%のブレンドとなっている。
[編集] 政治運動
2006年12月時点の町長である川口浩は、「ゆけ~♪ゆけ~♪わがぐちひろし~♪」と、川口浩の探検隊シリーズのテーマソングを車から流しながら政治活動をする事がある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
このページはウィキプロジェクト 日本の市町村のテンプレートを使用しています。
- 大阪府の自治体等
-
大阪市: 都島区 | 福島区 | 此花区 | 西区 | 港区 | 大正区 | 天王寺区 | 浪速区 | 西淀川区 | 東淀川区 | 東成区 | 生野区 | 旭区 | 城東区 | 阿倍野区 | 住吉区 | 東住吉区 | 西成区 | 淀川区 | 鶴見区 | 住之江区 | 平野区 | 北区 | 中央区 堺市: 堺区 | 中区 | 東区 | 西区 | 南区 | 北区 | 美原区 その他市部: 岸和田市 | 豊中市 | 池田市 | 吹田市 | 泉大津市 | 高槻市 | 貝塚市 | 守口市 | 枚方市 | 茨木市 | 八尾市 | 泉佐野市 | 富田林市 | 寝屋川市 | 河内長野市 | 松原市 | 大東市 | 和泉市 | 箕面市 | 柏原市 | 羽曳野市 | 門真市 | 摂津市 | 高石市 | 藤井寺市 | 東大阪市 | 泉南市 | 四條畷市 | 交野市 | 大阪狭山市 | 阪南市 三島郡: 島本町 豊能郡: 豊能町 | 能勢町 泉北郡: 忠岡町 泉南郡: 熊取町 | 田尻町 | 岬町 南河内郡: 太子町 | 河南町 | 千早赤阪村
カテゴリ: 日本の市町村のスタブ項目 | 大阪府の市町村 | 島本町