北別府学
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北別府 学(きたべっぷ まなぶ、1957年7月12日 - )は、鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市)出身。昭和後期から平成期(1970年代後半~1990年代前半)のプロ野球選手(投手)。愛称は「ペイ」、「ぺーさん」。
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[編集] 来歴・人物
宮崎県立都城農業高等学校2年時、秋季大会で完全試合を達成。1975年、ドラフト1位で広島東洋カープに入団。2年目から先発ローテーション入りし、3年目に10勝を挙げるとこの年から11年連続2桁勝利を達成。1982年には20勝し最多勝と沢村賞を獲得、1986年には最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、沢村賞に輝き、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。江川卓と並び、1980年代のセ・リーグを代表するピッチャーの一人である。1992年7月16日の対中日戦で200勝を達成し、名球会入りを果たした(球団史上初にして、球界における20世紀最後の200勝投手である)。1994年限りで現役引退。この年のホーム最終戦(9月20日)となる巨人戦で引退登板が予定されていたが、巨人との激しい優勝争いの中、試合展開も二転三転(結局8対7で広島の勝利)する状況で、ついに登板の機会はなく、セレモニーのみとなった。引退後は広島ホームテレビ・テレビ朝日野球解説者に就任し、その後2001年から2004年まで広島の投手コーチを務めた。2005年より広島ホームテレビ解説者、デイリースポーツ野球評論家。
非常に優れた制球力から『精密機械』の異名を取り、投手王国と呼ばれた1980年代の広島の主軸として活躍した。そのコントロールのよさを示すエピソードとして、本塁上の三角形地点に置いた3個の空き缶を、たった3球投げただけで全て倒してのけたという話がある。また、広島投手コーチ時代に「筋肉番付」で「ストラックアウト」に挑んだ際にも、現役選手ですらなかなか達成できないパーフェクトを成し遂げていた。そのようにコントロールに絶対の自信を持っていたからか、現役時代は審判の判定にクレームをつけることが多かった。野球中継の解説においても「最近のピッチャーは大人しいですね。私は審判とも戦っていましたよ」と語っている。
セ・リーグの最多被本塁打記録(380本)の保持者でもある。それまでは金田正一の379が最高であったのだが、北別府は現役の最後の最後でその記録を更新してしまった。ホームグラウンド・広島市民球場の狭さが災いしたと言える。また、日本シリーズには5回出場(1979年・1980年・1984年・1986年・1991年)し、先発として6試合に登板しているが、防御率3.21ながら0勝5敗と、不運にも一度も勝利投手になれなかった。
[編集] 略歴
- 身長・体重 180cm・86kg
- 血液型 O型
- 投打 右投げ右打ち
- 球歴 都城農高 - 広島東洋カープ(1976年 - 1994年)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1975年・1位(広島東洋カープ)
- 守備位置 投手
[編集] 所属球団
[編集] 背番号
[編集] 経歴・タイトル
- 年間MVP 1回(1986年)
- 沢村賞 2回(1982年、1986年)
- 最多勝 2回(1982年、1986年)
- 最高勝率 3回(1980年 - 1981年、1991年
- 最優秀防御率 1回(1986年)
- ベストナイン 2回(1982年、1986年)
- ゴールデングラブ賞 1回(1986年)
- オールスター出場 7回(1979年 - 1980年、1982年 - 1984年、1988年、1992年
[編集] 記録達成歴
- 1984年:6月28日、100勝達成。
- 1985年:8月4日、1000奪三振達成。
- 1987年:9月29日、150勝達成。
- 1990年:7月30日、1500奪三振達成。
- 1992年:7月16日、200勝達成。
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 試合数 | 勝数 | 敗数 | セーブ | 奪三振 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1976年 | 広 島 | 9 | 2 | 1 | 0 | 18 | 4.03 |
1977年 | 広 島 | 33 | 5 | 7 | 0 | 90 | 5.52 |
1978年 | 広 島 | 39 | 10 | 7 | 0 | 98 | 4.58 |
1979年 | 広 島 | 36 | 17 | 11 | 0 | 155 | 3.58 |
1980年 | 広 島 | 30 | 12 | 5 | 0 | 82 | 4.04 |
1981年 | 広 島 | 32 | 16 | 10 | 0 | 123 | 3.31 |
1982年 | 広 島 | 36 | 20 | 8 | 1 | 184 | 2.43 |
1983年 | 広 島 | 33 | 12 | 13 | 0 | 106 | 3.96 |
1984年 | 広 島 | 32 | 13 | 8 | 2 | 99 | 3.31 |
1985年 | 広 島 | 35 | 16 | 6 | 2 | 85 | 3.57 |
1986年 | 広 島 | 30 | 18 | 4 | 0 | 123 | 2.43 |
1987年 | 広 島 | 29 | 10 | 14 | 0 | 119 | 4.37 |
1988年 | 広 島 | 27 | 11 | 12 | 0 | 112 | 3.13 |
1989年 | 広 島 | 22 | 9 | 10 | 0 | 69 | 5.48 |
1990年 | 広 島 | 17 | 8 | 4 | 0 | 58 | 4.39 |
1991年 | 広 島 | 25 | 11 | 4 | 0 | 73 | 3.38 |
1992年 | 広 島 | 26 | 14 | 8 | 0 | 101 | 2.58 |
1993年 | 広 島 | 13 | 6 | 6 | 0 | 38 | 5.22 |
1994年 | 広 島 | 11 | 3 | 3 | 0 | 24 | 5.68 |
通 算 | 515 | 213 | 141 | 5 | 1757 | 3.67 |
(表中太字は、シーズンのリーグ最高記録)