パオパオチャンネル
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パオパオチャンネル(ぱおぱおちゃんねる)はテレビ朝日と静岡県民放送(現:静岡朝日テレビ)で1987年10月から1989年9月まで放送されていた子ども向けバラエティー番組。
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[編集] 概要
放送時間は平日(月~金)夕方の18時~18時50分(19時から巨人戦中継時は18時30分までに短縮して放送。日本シリーズ時は番組は休止となった)。曜日ごとに違った司会者、異なったテーマで放送され、ウッチャンナンチャンや井森美幸、森口博子、ダチョウ倶楽部など、のちにブレイクしたタレントがそれ以前に多数出演していた番組としても知られる。なお、1989年4月以降は放送時間が17時~17時50分に変更され、静岡地区では編成上の都合で打ち切りとなり、関東のみの放送となった。
番組中盤に藤子不二雄アニメが放送されていた。コーナー間にあった「ピッカピカ音楽館」からは数々のヒット曲が生まれた。中でも「ヤーレンソーラン北海道」はローカルテレビ番組の曲としては異例の15万枚の売り上げを記録した。なお、「ピッカピカ音楽館」は北海道テレビ放送など一部地域では5分間のミニ番組として放送されていた。スポンサーは小学館(静岡県民放送を除く)で、タイトルの「ピッカピカ」は同社の学習雑誌「小学一年生」のキャッチコピー「ピッカピカの一年生」に由来する。
一時期、クロスネット時代のテレビ信州(1988.07~1989.03、ローカルニュース「信州Today」があったため18:25で飛び降り、当時長野朝日放送は未開局)や石垣ケーブルテレビでも放送されたこともあった。
既にこの時間帯はニュース番組が定着していたことから、この編成方針に対して異を唱えた系列局もあり、大半の地域では「ピッカピカ音楽館」(ミニ番組扱い)以外のネットを拒み、ローカルワイドニュースを編成していた(例・「ニュース・ウェーブ」=朝日放送・「ニュースファイルHOME」=広島ホームテレビ、等)。
[編集] 司会者
- 月曜日 まるむし商店、ダチョウ倶楽部→関根勤、田中律子
- 火曜日 所ジョージ、茶柱久美子→(1989年以降のアシスタント ちはる、大原麻琴、咲浜小百合)
- 水曜日 高田純次、吉沢秋絵(~1989.03)→高田純次、細川直美(1989.04~)
- 木曜日 大竹まこと、ビシバシステム(アシスタント 井森美幸、森口博子、志村香、浅倉亜季→井森美幸、森口博子、中村綾、増田未亜、茅野早智恵、三野輪有紀)
- 金曜日 ウッチャンナンチャン、BaBe→ウッチャンナンチャン、劇団SHA・LA・LA(出川哲朗主宰)、千葉美加、五味岡たまき(1988.10で降板)。BaBe降板後つなぎ役としてダンプ松本が数週間に渡り出演したことがある。
[編集] 藤子アニメ
※但し、プロ野球中継が19時から組まれている場合は、アニメの放送は休止となった。
[編集] ピッカピカ音楽館
- ヤーレンソーラン北海道(赤坂東児)
- 火つけ気つけ火の用心(天沼デン助)
- あたしだってアイドルしたい(Ya&Yaクラブポチ組)
- チョコレートドリーム
- ドラえもんのおまじない~ナルケマ レバンガ カピカッピ - 藤子・F・不二雄が歌詞を担当した。
- ピッカピカウォッシュ-お風呂での身体の洗い方をテーマにした曲。全裸の子供達が多数出演していた。
- ひとりでオシッコ(水谷優子) - パオパオチャンネル初回に放送
- 6色えのぐの大かつやく
- まさかのさかな
- とうちゃんがんばる
- 歌ができるまでの歌
- ねこのひげ
- 元気でドラゴン
- シャワワ新幹線
- アレレのトイレ
- ハンバーグソング
- パスタのパ
- 1年生リッパ節
[編集] 主な企画
[編集] 月曜日
- ダチョウ倶楽部のプロレス天気予報
- 脱退前の南部虎弾も出演
- ダチョウ倶楽部のメンバーがプロレスで明日の天気を決めるというコーナー。
- 肥後克広が晴を担当「サンシャイン太陽」の名で太陽をかたどったコスチュームで出場。
- 寺門ジモンが雨を担当「レインドロップ雨」の名で水滴をかたどったコスチュームで出場。
- 上島竜兵が曇りを担当「くもりバンベイダー」の名で出場。
- 試合中関東地方(静岡含む)の実際の翌日の天気が字幕表記された。
- セキネ大使
- 2代目司会の関根がマグマ大使のパロディーで登場。子供の悩みを解決されていた。
- ママは大食い!
月曜日の企画は家族参加傾向のものが多く、他にも親子で出場する企画が多く行われていた。
[編集] 火曜日
- よい子の展覧会
- 視聴者投稿の絵画を紹介、司会の所が審査をしていた。
- テレビ宝くじ
- 視聴者が任意の3桁の数字を書き応募。
- 当選景品はPCエンジンを初めとする当時流行のゲーム機器などであった。
- 当選番号が複数ある場合、所の裁量で決定した。
- 当選番号が該当無しの場合、景品は繰り越しとなり次週は複数の景品が獲得出来た。
- 抽選の際にティンパニを叩いて臨場感を上げていたが、前週に該当無しの場合楽器が増えていき、最大6名となったことがある。
- パオパオ7
- ドッチボールの勝ち抜き戦で、視聴者参加チームと対戦していった。
- 熱血パン取りマッチ
- 幼稚園男児による対決でボクサーパンツの上に短パンを履き、短パンをはぎ取るコーナー。
- だまってジャガーについてこい!
- 出前ジャガー
- 勝ち抜き5じゃんけん
- 視聴者参加型のゲームで、両手、足、頭、口でグー・チョキ・パーを出し、差分で勝敗を決め、勝ち抜くコーナー。
- 消しゴムのカスや缶ジュースのプルトップを集める企画
火曜日の企画は所のトーク的なものが多く、視聴者の手紙による質問を所が答えていた。また初期はテレ朝アーク放送センターの地下1階にあった番組スタッフルームをスタジオとしていたため、オフィス的な雰囲気があった。
[編集] 水曜日
- ポンポンマッチショー
- 視聴者参加の一発芸を行い、公開録画で観覧している女性から芸次第でカラーボールを投げつけるコーナー。
- クイズ100万人の子供
- 視聴者小学生参加のクイズで一般常識等の問題が出題された。
- 学校対抗牛乳早飲み選手権
- 視聴者高校生参加のコーナーで、3人1組で学校の制服を着て出場。3人が牛乳一気のみを先に出来た方が勝利であった。
- ニュース
- 高田と吉沢が別名のキャスターを名乗り、パオパオに関するエピソードを紹介した。
水曜日の企画は比較的青年向けの企画が多く、参加対象も高校生以上対象のものが目立っていた。また公開録画閲覧資格は13歳~22歳の女性に限定されていた。
[編集] 木曜日
- Dr.大竹ラボ
木曜日の企画は理科の実験が中心で、他の曜日と比べ教養番組の性格が強かった。途中からは視聴者からの質問に対しての実験も行われた。
[編集] 金曜日
- 勝ち抜きアメフトかるた
- 視聴者参加型のゲーム。
- 当時の流行歌の歌手の写真が並べられ、イントロが流れたら当該の歌手の写真をアメフトの要領で取り、裏面の点数を競うコーナー。得点の多いチームが勝利。
- 特別企画として歌手の写真に代えて寿司の模倣物を並べ、寿司ネタを言ったらそれを取るという回もあった。
- 1988年4月~10月頃までウッチャンナンチャンはオープニングから当コーナー終了まで牛を初め様々なコスチュームで出演していた。初代コスチュームの牛は「ヤーレンソーラン北海道」のヒットにちなんだものである。
- ドラえもん博士大賞・ドラえもん博士クイズ
- 視聴者参加型のクイズ。ドラえもんに関するクイズを、勝ち抜き方式で競う。3回開催された。
- ただし問題にはかなりの珍問(方倉陽二著の「ドラえもん百科」に掲載されていて漫画には載っていない、公式ではないと思われる設定等)や、明らかな誤答(完全な間違い(この場合に、正答を答えて失格になった出場者がいる)や、解答となり得る答えが複数あっても回答を一つだけに設定したもの(他の解答を言って失格になった出場者がいる)が含まれており、製作体制にはかなり問題があった。
- 途中からレギュラー化されドラえもん博士クイズとしてドラえもんに関しての様々な問題が出題された。また司会の内村・南原も解答者として解答した。
- ぶら下がり健康クイズ
- 視聴者小学生参加の学校対抗コーナー。3人1組で学校指定の体操着着用(それとは別に下の名を書いたゼッケンを取り付けていた)でぶら下がり健康器にぶら下がってウッチャンナンチャンが問題を出題、ヒントから答えを導き出していた。但しぶら下がり健康器から落ちてしまったら解答権は無くなる。
- 靴下脱がし選手権
- 特設のリング上で靴下を脱がしあうコーナー。女子はミニスカート姿で競技を行うため、パンチラ(アンダースコート)が非常に多く、お色気番組顔負けの過激なコーナーであった。
- 床泳ぎ選手権
- 視聴者参加型のレース。
- 男子4人1組で、プールを模倣した床をあたかも泳ぐようにしてリレー形式に競い合うコーナー。
- 実況は松苗慎一郎テレビ朝日アナウンサーが務めた。
- 4コース対抗で、視聴者から毎回勝利チームの予想を公募していた。
- 海パンの色は第1コースが赤、第2コースが黄色、第3コースが緑、第4コースがピンクであった。
- モスラはみんな生きている
- 視聴者参加型のレース。
- 前述の床泳ぎ選手権の後継コーナーで3人1組で第1走者は玉子、第2走者は幼虫、アンカーはモスラのコスチュームでレースを行い玉子と幼虫は床泳ぎの要領でリレーを行った。難易度的に見ると玉子は殻を背負いながら進んでいったので玉子が最も難易度が高かった。
- 前述「プロレス天気予報」と当コーナーは冒頭に「ぼくらはみんな生きている」がBGMで流れていたが、当コーナーは途中でBGMが「モスラのテーマ」に変更した。
- 途中数回、司会の内村(玉子)、南原(幼虫)として参加したりゲストが参加したことがある(何れも第1コースで2・3コースは視聴者参加のチームであった)。
- キャラクターの色は第1コースがピンク、第2コースが水色、第3コースがオレンジ色であったが、途中から第1コースと第3コースの色がトレードされている。
- どんぶり神経衰弱
- 卓上に16個並べられた同じ柄のどんぶりの中身を当てるコーナー。
金曜日の企画はスポーツをテーマとしたものが多く、公開録画の観覧者席も競技場をアレンジしたものであった。
「パオパオ激論コーナー子供まで生テレビ」のコーナー司会に安達祐実が出演していた。
[編集] 特記事項
- 当番組の放映時間帯は前述の通りニュース番組が定着していたことから、重大ニュースを報道する必要がある際報道特番に差し替えられたり、番組の途中で放送を急遽打ち切りニュースに切り替えられたりしたことが多発していた。例として以下のケースが見られる。
- 1988年3月に上海列車事故が発生した際、邦人修学旅行団体が乗車していたため放送を短縮、ニュースシャトルを拡大版に変更、当該日に放送予定であった第1回ドラえもん博士大賞は翌週に延期された。
- 1988年秋に西武ライオンズがパシフィック・リーグ優勝決定の際、急遽優勝決定祝賀番組に差し替え、当該日の司会であるウッチャンナンチャンも祝賀番組に出場していた。
- 1988年秋以降昭和天皇の病気により特に病状が宜しくない際には番組を途中で打ち切ったりしたことが数回あった。
- 他に新内閣発足直後の新大臣決定の速報に差し替えられたことがある。
- なお、関東地区では番組直前の17:55からミニニュースを、同時ネットだった静岡地区では17:30~18:00でローカルニュースを編成していた。静岡地区はもともとこの時間帯がローカルニュース枠であったが、関東のそれは18時台に報道番組がなくなったことへの「自己フォロー編成」と取ることができる。
- 平日18時台はテレビ東京で子供向け番組を多数放映していたが、当番組開始で子供を対象とした番組のライバル関係が発生した。
- 1988年5月5日に、「ピッカピカ音楽館」の特番が放映され、ウッチャンナンチャン司会で当時流行歌のランキング番組として放映されていたザ・ベストテンの要領でピッカピカ音楽館で実際放送された作品のベストテンを紹介した。ちなみに第1位は「ヤーレンソーラン北海道」であり得票数は第2位とは大差をつけていた。
- 当番組とニュースシャトル放送開始に先立って番組枠確保のため、多くの番組が時間変更や放送打ち切りとなる事態が発生した。同じような傾向として1992年にTBSテレビ系列でムーブが放送開始されたが、当番組と同じように曜日毎に司会を分担させ、異なるテーマの番組を放送したことがあるがこの際も同じ現象が発生している。
- 当番組は生放送であるが故、思いがけないハプニングも度々発生していた。前述の緊急ニュースに伴う突発的な企画の変更が発生したほか、プロ野球中継を19時から控えているため30分の短縮版で放送するはずであったところを雨天で中継予定の試合が中止となり急遽通常の50分放送に変更したことが数回発生している。また木曜の実験コーナーで玉子を誤って落下させたり、金曜の「ぶら下がり健康クイズ」で先攻を決めるじゃんけんで、あいこが続きなかなか決まらなかったり、「モスラはみんな生きている」でスタートで使うガンの弾がセットされていないため、内村のかけ声「ヨーイ、パーン」でスタートしたことがあった。
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