宮古市
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宮古市(みやこし)は、東北地方の北部、岩手県の三陸海岸に面する都市。旧東閉伊郡。
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[編集] 地理
- 県庁所在地の盛岡市より直線距離で東に約90kmの位置にある。
- 三陸におけるリアス式海岸の北端に位置する。
- 本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき)(重茂地区)を含む。
- 市では観光にも力を入れ、『本州最東端訪問証明書』を発行して「最東端の市」を売り込んでいる。
- 市の中心部を、西から東に「閉伊川(へいがわ)」が貫き、宮古湾へと注いでいる。
- 新里地区では「刈屋川(かりやがわ)」が流れ、川沿いに国道340号や村落が造られた。川は茂市(もいち)で閉伊川に合流し、国道340号は106号に合流する。
- 市の南部から中心部に向かって「津軽石川(つがるいしがわ)」が流れて、宮古湾に注いでいる。「鼻曲がり鮭」で有名。
- 南に隣接する山田町との境には十二神山(じゅうにじんざん)がある。自衛隊の通信施設があるため、入山の際には連絡が必要。一般道の入口は山田町側にある。
- 月山(がっさん)と言えば山形にある月山 (1984m) が有名だが、地元では重茂半島にある月山(455.9m、別名「御殿山」)も晴れの日の隠れた人気スポット。テレビ・ラジオの中継塔が建てられ、山道口まではバスも通っている。
[編集] 歴史
- 地名の由来として、寛弘年間(1004~1011)、この地方の神官が阿波の鳴門の鳴動を治めた事から、当時の天皇(一条天皇)から「都」と同訓異字の「宮古」を地名として授かった、というのが通説である(諸説あり)。
- 戦国時代以前は土岐家、閉伊家、戦国時代以降には南部家の臣下として、一戸氏分流の千徳家、津軽石家がこの地を治める。
- 宮古は、平野が狭く、西にはすぐ山地が峙えているため、昔から地理的制約による飢饉の被害が甚大であったが、周りを山に囲まれた「陸の孤島」であったため、内陸からの物資の輸送が望めず、飢饉の度に地獄絵図であったという。更に地形の特殊性によって津波の被害も大きく、明治以後も大規模な被害の出る津波が続いた(明治三陸地震・昭和三陸地震を参照のこと)。
- 江戸時代中期には、このような「陸の孤島」であったこの地域での交通網整備に尽力する人材(牧庵鞭牛和尚など)が、盛岡などとの往路の整備を完成させ、その功績は今もって賛えられている。又、現在も一部当時の往路が使用されている。
- 江戸時代末期には、東北地方最大の一揆である三閉伊一揆が勃発した。これは、盛岡藩の失政のツケを、宮古を初めとする閉伊郡に対して、重税を課して住民から搾取しようとした事が直接の原因であり、話の流れ自体は平凡な一揆であったが、この場合問題なのは規模であった。1847年、圧制に耐えかねた一揆団は、一万数千人という他に例を見ないほどの人数で盛岡城下に押しかけ、藩側に要求を呑ませたのである(藩側は後にこの要求も破り、更なる人数での一揆へと発展する)。
- 幕末から明治にかけての戊辰戦争においては、北海道にて独立を図る榎本武揚、土方歳三らの旧幕府軍艦隊(荒井郁之助総司令官)が、宮古湾に停泊する新政府軍艦隊に対し奇襲作戦を敢行する、いわゆる「宮古港海戦」が勃発し、一つの時代の終わりを告げる歴史的な場所となる。
[編集] 行政区域の変遷(市町村制施行以後)
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行される。
- 宮古村が単独で町制施行し、東閉伊郡宮古町が成立。
- 浦鍬ケ崎村が単独で町制施行し、東閉伊郡鍬ケ崎町が成立。
- 旧・山口村、近内村、田代村が合併し、東閉伊郡山口村が成立。
- 旧・千徳村、根市村、花原市村が合併し、東閉伊郡千徳村が成立。
- 旧・磯鶏村、高浜村、金浜村、小山田村、八木沢村が合併し、東閉伊郡磯鶏村が成立。
- 旧・崎山村、崎鍬ケ崎村が合併し、東閉伊郡崎山村が成立。
- 旧・津軽石村、赤前村が合併し、東閉伊郡津軽石村が成立。
- 旧・重茂村、音部村が合併し、東閉伊郡重茂村が成立。
- 旧・花輪村、老木村、田鎖村、松山村、長沢村が合併し、東閉伊郡花輪村が成立。
- 旧・田老村、乙部村、末前村、摂待村が合併し、東閉伊郡田老村が成立。
- 旧・茂市村、蟇目村、腹帯村が合併し、東閉伊郡茂市村が成立。
- 旧・刈屋村、和井内村が合併し、東閉伊郡刈屋村が成立。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 東閉伊郡、北閉伊郡、中閉伊郡が合併し、下閉伊郡となる。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 宮古町と鍬ケ崎町が合併し、新たに下閉伊郡宮古町となる。
- 1941年(昭和16年)2月11日 - 宮古町、山口村、千徳村、磯鶏村が合併し、宮古市が誕生する。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 崎山村、津軽石村、重茂村、花輪村を編入する。
- 2005年(平成17年)6月6日 - 旧宮古市、田老町、新里村が合併し、新たに宮古市となる。
[編集] 行政
[編集] 経済
[編集] 産業
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 国内
[編集] 海外
[編集] 学校
[編集] 小学校
- 宮古市立崎山小学校
- 宮古市立宮古小学校
- 宮古市立山口小学校
- 宮古市立千徳小学校
- 宮古市立磯鶏小学校
- 宮古市立鍬ヶ崎小学校
- 宮古市立愛宕小学校
- 宮古市立花輪小学校
- 宮古市立重茂小学校
- 宮古市立千鶏小学校
- 宮古市立藤原小学校
- 宮古市立崎山小学校
- 宮古市立高浜小学校
- 宮古市立鵜磯小学校
- 宮古市立津軽石小学校
- 宮古市立赤前小学校
- 宮古市立亀岳小学校
- 宮古市立田老第一小学校
- 宮古市立田老第三小学校
- 宮古市立刈屋小学校
- 宮古市立蟇目小学校
- 宮古市立茂市小学校
- 宮古市立和井内小学校
[編集] 中学校
- 宮古市立第一中学校
- 宮古市立第二中学校
- 宮古市立河南中学校
- 宮古市立宮古西中学校
- 宮古市立花輪中学校
- 宮古市立津軽石中学校
- 宮古市立重茂中学校
- 宮古市立崎山中学校
- 宮古市立田老第一中学校
- 宮古市立田老第三中学校
- 宮古市立新里中学校
[編集] 高校
[編集] 短期大学
- 岩手県立大学宮古短期大学部
[編集] 交通
[編集] 鉄道
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
[編集] バス
[編集] 道路
[編集] 高速道路
[編集] 地域高規格道路
[編集] 一般国道
[編集] 道の駅
[編集] 県道
- 一般県道
- 岩手県道115号茂市停車場線
- 岩手県道138号宮古停車場線
- 岩手県道163号津軽石停車場線
- 岩手県道177号有芸田老線
- 岩手県道200号花輪千徳線
- 岩手県道201号千徳停車場線
- 岩手県道248号浄土ケ浜線
- 岩手県道259号崎山宮古線
- 岩手県道277号宮古港線
- 岩手県道290号宮古山田線
[編集] 港湾
- 宮古港(重要港湾)
[編集] 観光
[編集] 旧跡
[編集] レジャー
- 藤の川海水浴場
- 女遊戸海岸
- 真崎海岸
[編集] 景勝
- 浄土ヶ浜
- 魹ヶ崎灯台(本州最東端)
- 魹ヶ崎(本州最東端)
- 臼木山
- ローソク岩
- 潮吹穴
- 日出島
- 「森林浴の森」の木(森の巨人たち百選)
- 田老万里の長城(高さ10m、長さ2.4Kmにも及ぶ大堤防。田老地区(旧田老町)にある。)
[編集] 祭り
- 宮古鮭まつり
- 浄土ケ浜まつり
- 宮古夏祭り
- 宮古秋祭り
[編集] 伝統芸能
[編集] 宮古を舞台とした作品
- 大いなる旅路
- 喜びも悲しみも幾歳月(ロケ地。1957年)
[編集] 出身有名人
- 愛彩(浅田りょう)- アイドル
- 天野こころ- AV女優
- 卯月妙子- 漫画家
- 小笠原善平- 軍人
- お船chan- 女子プロレスラー
- 柏葉幸子- 児童文学者
- 菊池清麿- 歴史家
- 佐香厚子- 漫画家
- 玉澤徳一郎- 政治家
- 中村貴之- NSP
- 藤原敏男- キックボクサー
- 本田竹広- ジャズピアニスト
- 三浦徳松-物理学者
- 茂市久美子- 児童文学者
- 吉田タキノ- 児童文学者
- 日蔭暢年- 柔道家
- 伊藤奏子- バイオリニスト
- 鳥取春陽- 大正時代の歌手・作曲家
- 牧庵鞭牛- 僧侶
[編集] その他
- 古くから岩手県三陸沿岸では、源義経の伝説が語り継がれている。曰く、「平泉にて自刃したのは臣下の将であって、義経自身は逃げ延び、沿岸沿いに北上して行った」と。岩手県から青森県の沿岸には、この伝承を残す寺社が多く存在し、史実はどうあれ、郷土研究家の好奇心を擽る格好の材料となっている。
- 日本で二番目に高い煙突がある(ラサ工業宮古工場構内)。
- 沖縄県宮古列島の5市町村が合併する際に、合併協議会では新たな市の名称を「宮古市」に決めたが、これを受けて、岩手県の宮古市は、同じ市名が存在すると混乱する点と、事前に岩手県の宮古市への照会が無かった事から猛反発し、宮古列島の協議会に抗議した。その後、宮古列島では住民アンケートの結果、「宮古島市」を希望する意見が多かったため、協議会は「宮古島市」を採用した。
- 市外局番 : 市内全域で0193
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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