日光二荒山神社
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日光二荒山神社 | |
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所在地 | 栃木県日光市山内2307 |
主祭神 | 二荒山大神(大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命) |
社格等 | 式内社(名神大)・下野国一宮・国幣中社・別表神社 |
創建 | 神護景雲元年(767年) |
本殿の様式 | 権現造 |
例祭 | 4月17日 |
日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は栃木県日光市にある神社。正式名称は二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)であるが、宇都宮市の二荒山神社との区別のために鎮座地を冠して日光二荒山神社と呼ばれる。
目次 |
[編集] 祭神
日光の三つの山の神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)を総称して二荒山大神と称し、主祭神としている。
三つの山とは、男体山(二荒山、2486m)、女峯山(2464m)、太郎山(2368m)の三山である。この山々は神体山いわゆる神奈備であり、神が鎮まる霊峰として古くから信仰されてきた。この日光の神々は「日光三山」「日光三所大権現」などと呼ばれ、山の名前からもわかる通り、これらの神々は親子と考えられてきた。
二荒山大神に現在の神が当てられたのは12世紀頃だと言われる。さらには本地垂迹説によりそれぞれの神に仏が当てられ、現在でも輪王寺ではこれらの仏を祀っている。
男体山 | 大己貴命 | 千手観音 |
女峯山 | 田心姫命 | 阿弥陀如来 |
太郎山 | 味耜高彦根命 | 馬頭観音 |
[編集] 歴史
下野国の僧勝道上人(735-817)が前日光から更に奥地に修行場を求め、大谷川北岸に766年に現在の四本龍寺の前身の紫雲立寺を建て、それに続いて神護景雲元年(767年)、二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたのが当社の始まりと伝える。この祠は現在の別宮となっている本宮神社である。登頂を志して多くの失敗を重ねたあと、782年には二荒山の到頂に成功し、そこに奥宮を建て、日光修験の基礎を築いた。その後、神仏習合の霊場として栄えることとなった。社伝などでは勝道上人が起源と説明されるが、実際には太郎山神社周辺で古代の祭祀の痕跡をしめす遺跡が見つかっており、相当古くから聖地として信仰の対象になってきたことが分かる。しかし、なぜ祭神が出雲神である一方、下野国の開祖で下毛野氏の祖とされる豊城入彦命でないのか、不明かつ不自然である。出雲神は尾張や三河の民が祭る神であり、徳川家康の威光をもって出雲神を祭神としたということであれば明快であるが、下毛野氏の氏寺の修行僧であった開祖・勝道上人が下毛野氏ゆかりの神々を祀らなかったのは不自然であろう。
二荒山(ふたらやま)の名は、諸説あるが観音菩薩が住むとされる補陀洛山(ふだらくさん)が訛ったものといわれ、のちに弘法大師空海がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたといわれる。空海はその訪れた際に女峯山の神を祀る滝尾神社を建てたという。また、円仁も日光を訪れたとされ、その際に現在輪王寺の本堂となっている三仏堂を建てたといい、この時に日光は天台宗となったという。その後、二荒山の神を本宮神社から少し離れた地に移して社殿を建て、本宮神社には新たに御子神である太郎山の神を祀った。「日光三所」はこのとき新たに建てた現在の本社と本宮神社、そして滝尾神社をさす。
なお、延喜式神名帳に名神大社とある「下野国河内郡 二荒山神社」とは旧河内郡池辺郷(現在の宇都宮市)に鎮座する宇都宮二荒山神社である。日光二荒山神社をこの名神大社とする説もあるが、旧日光市は旧都賀郡である。
戦国時代には、後北条氏に加担したため、豊臣秀吉に領地を没収され衰退した。江戸時代初め、隣接して徳川家康を祀る日光東照宮が創建され、当社はその地主神として徳川幕府から厚く崇敬を受けた。明治6年の近代社格制度制定時に国幣中社に列格した。第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
江戸時代までは神領約70郷という広大な社地を有していた。今日でも日光三山を含む日光連山8峰(男体山・女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山・大真名子山・小真名子山・赤薙山)や華厳滝、いろは坂などを境内に含み、その広さは3400ヘクタールという、伊勢神宮に次ぐ面積となっている。
[編集] 祭事
- 武射祭・蟇目式(ひきめしき)神事(1月4日)
- 開山祭(5月5日)
- 弥生祭(4月13日 - 4月17日。4月17日の例祭を含む)
- 登拝祭(7月30日 - 8月8日)
- 日光連山登拝祭(8月下旬)
- 仲秋登拝祭(9月21日)
- 閉山祭(10月25日)
[編集] 施設
[編集] 境内外社
[編集] 別宮
[編集] 付属施設
- 宝物館
- 神苑
[編集] 文化財
[編集] 建造物
- 重要文化財「本殿」
- 重要文化財「唐門」
- 重要文化財「掖門及び透塀」2棟
- 重要文化財「拝殿」
- 重要文化財「鳥居」
- 重要文化財「神輿舎」
- 重要文化財「大国殿」
- 重要文化財「末社朋友神社本殿」
- 重要文化財「末社日枝神社本殿」
- 重要文化財「神橋」
- 重要文化財「別宮滝尾神社本殿」
- 重要文化財「別宮滝尾神社唐門」(附 石玉垣)
- 重要文化財「別宮滝尾神社拝殿」
- 重要文化財「別宮滝尾神社楼門」
- 重要文化財「別宮滝尾神社鳥居」(社殿正面)
- 重要文化財「別宮滝尾神社鳥居」(神木三本杉前)
- 重要文化財「別宮滝尾神社鳥居」(霊石子種石前)
- (附)「参道」(楼門より三本杉に至る)
- (附)「石橋及び石柵」
- (附)「石燈籠」 5基
- 重要文化財「別宮本宮神社本殿」
- 重要文化財「別宮本宮神社唐門及び透塀」2棟
- 重要文化財「別宮本宮神社拝殿」
- 重要文化財「別宮本宮神社鳥居」
- 重要文化財「中宮祠本殿」
- 重要文化財「中宮祠拝殿」
- 重要文化財「中宮祠中門」
- 重要文化財「中宮祠掖門及び透塀」2棟
- 重要文化財「中宮祠鳥居」
- 重要文化財「中宮祠鳥居」
- (附)「銅燈籠」2基
[編集] 美術工芸品
- 国宝「小太刀 銘来国俊 黒漆蛭巻太刀拵」
- 国宝「大太刀 銘備州長船倫光 貞治五年二月日」
- 重要文化財「金銅装神輿 3基、金銅装唐鞍 3具」
- 重要文化財「金銅蛭巻兵庫鎖太刀拵」
- 重要文化財「金銅沃懸地太刀 中身無銘」
- 重要文化財「三鈷柄剣」
- 重要文化財「山金造黒漆蛭巻大太刀 中身無銘(号柏太刀)」
- 重要文化財「山金造波文蛭巻大太刀 中身無銘(号祢々切丸太刀)」
- 重要文化財「太刀 銘遠近 附黒漆太刀鞘」
- 重要文化財「太刀 銘吉平」
- 重要文化財「太刀 銘備州住兼重作」
- 重要文化財「太刀 銘備州長船康光応永廿二二年二月日」
- 重要文化財「太刀 銘豊後国行平作 附黒漆太刀拵」
- 重要文化財「太刀 銘来国光」
- 重要文化財「大太刀 無銘(号瀬登太刀)」
- 重要文化財「銅燈籠」
- 重要文化財「後撰和歌集」
- 重要文化財「下野国男体山頂出土品」
[編集] 名所・旧跡
- 世界遺産:文化遺産「日光の社寺」
- 国指定史跡「日光山内」
[編集] 年表
<>は関連事項
- 766年:勝道上人、紫雲立寺(四本龍寺)を建てる。
- 767年:勝道上人、二荒神の祠(本宮神社)を建てる。
- 782年:勝道上人、奥宮を建立。
- 784年:勝道上人、中宮祠とその神宮寺の中禅寺を建立。
- 808年:橘利遠、本宮神社の社殿造営。
- 810年:朝廷より「満願寺」の号を賜る
- 820年:空海、日光を訪れ、滝尾神社、若子神社を建立。
- 836年:二荒神、正五位下の神階を賜る。(869年には正二位となっている)
- 848年:円仁、日光を訪れ、本堂、薬師堂を建立。
- 927年(延長5)12月26日:<延喜式完成。>
- 967年(康保4)7月9日:<延喜式施行。>
- 1141年:藤原敦光、「中禅寺私記」を書く。
- 1315年:仁澄、中禅寺の大造営を行なう。
- 1616年:<徳川家康、薨去>
- 1617年:天海、日光東照社を建立し、元和の造営を行なう。
- 1636年:天海、寛永の大造替を行なう。
- 1645年:朝廷より、宮号勅許を賜り、日光東照宮と改める。
- 1649年:日光連山の一つの白根山が噴火し、社殿焼失。
- 1651年:<徳川家光、薨去>
- 1653年:大猷院廟、建立。
- 1868年(明治1)3月:<神仏分離令>
- 1868年:戊辰戦争。旧幕府軍が立てこもるが、政府軍の板垣退助の説得により戦場を移す。
- 1968年:神体動座。
- 1871年5月14日(明治4):<社格制度制定>
- 1872年(明治5):山内の女人牛馬禁制解禁。
- 1872年(明治5):日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社に分かれる。
- 1873年:国幣中社に列格。
- 1945年(昭和20)12月15日:<神道指令>
[編集] 交通
[編集] 外部リンク
- 日光二荒山神社 (公式サイト)
- 日光二荒山神社(栃木県神社庁)
- 日光国立公園ホームページ
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