日光市
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日光市(にっこうし)は、関東地方の北部、栃木県の北西部に位置する市。
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[編集] 概要
日光東照宮や輪王寺の門前町として発達し、中禅寺湖を抱える観光都市として有名である。明治時代に奥日光は外国人向けに日本最初の避暑地として開発され、今日のリゾート産業につながっている。
2006年3月20日に、今市市、日光市(旧制)、足尾町、藤原町、栗山村が新設合併し、現在の日光市が発足した。新市制下の市役所本庁は、旧今市市役所(今市本町)である。全国の市では静岡市を抜き、高山市と浜松市に次いで全国第三位、栃木県全体の約22%を占める広大な面積を有している。
旧日光市の日光の社寺を筆頭に、日光杉並木や鬼怒川温泉、川治温泉などの観光資源、ラムサール条約に登録された戦場ヶ原をはじめ鬼怒沼湿原、龍王峡などの景勝地、足尾の渡良瀬川など、「都市」としてのみならず、「エリア」として見ても莫大な観光地を有する地域になっている。このため、2006年3月の合併よりも前から、都市としての「日光」と、エリアとしての「日光」が混同される傾向が見られるため、このページでは、合併前の旧市町村名を明記して掲載する。
新市の将来像は、「四季の彩りに風薫るひかりの郷」を掲げ、国際観光都市としての更なる振興を図っている。
[編集] 地理
栃木県の北西部に位置する。いろは坂を登った男体山の南麓に奥日光が位置し、いろは坂を下った南東麓に日光市街地が位置する。気候は典型的な内陸性気候を呈しており、冬には雪も多い。
(※ 旧日光市に当たる箇所は斜体で表示する。)
- 山:日光白根山(県最高峰)、男体山、毘沙門山、赤薙山、庚申山、小法師山、赤倉山、中倉山、巣神山
- 川:鬼怒川、大谷川、渡良瀬川、田川、男鹿川
- 瀑:華厳の滝、裏見滝、寂光滝、湯滝、竜頭の滝
- 湖:中禅寺湖、湯ノ湖、川俣湖、八汐湖、五十里湖
- 湿原:戦場ヶ原、小田代原、鬼怒沼
- 温泉:日光湯元温泉、鬼怒川温泉、川治温泉
[編集] 水力発電所
- 日光第一発電所
- 日光第二発電所
- 赤沢発電所
- 所野第一発電所
- 所野第二発電所
- 所野第三発電所
[編集] 旧日光市のデータ
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合併後の現在の日光市(新日光市)の面積が余りにも大き過ぎるので、合併前の従来の日光市(旧日光市)のデータも右記の通り掲載する。
新日光市は新設合併によって設置された自治体であり、これに伴って旧日光市は廃止されている。従って、新日光市と旧日光市は、制度上異なる自治体となる。
なお、旧日光市の市庁舎本庁(現:日光市役所日光庁舎)は、日光東照宮や日光駅の近くに立地している。郡については、旧日光市は旧上都賀郡に属する。
[編集] 今回の合併での問題点
(※「日光」の頁も参照せよ。)
道路標識など、一般に「日光」「日光市」というと、日光東照宮や輪王寺の門前町である旧日光市を指す事が多い。
しかし、新日光市は、「日光市」というよりも「日光エリア」の様相であり、新制において「日光」というのは、新制での市役所本庁がある旧今市市を指す事になってしまう。もし、標識の「日光」を旧今市市に設定すると、観光客が訪れた際に場所を錯いうる点が、問題点となっている。
このため、このページでも各地区を表記して、新日光市と旧日光市を区別しながら掲載している。
[編集] 歴史
当初、旧日光市は輪王寺の門前町であった。東照宮が日光に設置された理由は、輪王寺の住職が徳川氏と関係を持っていたためである。日光参詣のために、日光街道を初め、日光西街道(壬生通り)、日光例幣使街道、日光北街道、会津西街道など、多くの参拝路が整備された。
新日光市の行政区画は、江戸時代の天領である日光神領の領土にほぼ相当する。その中で、日光東照宮の門前町、言うなれば「中央政府直轄地域の首府」が、旧日光市に相当する。
- 江戸時代まで
- 782年(延暦元年):勝道上人が四本龍寺(現輪王寺)を建てる。
- 784年(延暦3年):勝道上人が中禅寺湖畔に中禅寺を開く。
- 1617年(元和3年):日光東照宮建立。以来、江戸時代には日光街道の終着地、日光東照宮の門前町となる。
- 明治維新以後
- 1889年(明治22年)4月1日:町制施行により上都賀郡日光町が発足する。
- 1890年(明治23年)8月1日:旧国鉄(現東日本旅客鉄道)日光駅開業。
- 1929年(昭和4年)10月1日:東武日光駅開業。
- 1954年(昭和29年)2月11日:日光町が小来川村を編入して市制を施行し、日光市が発足する。
- 2006年(平成18年)3月20日:(旧)日光市、今市市、足尾町、藤原町、栗山村の合併により新設された日光市が発足する。
[編集] 行政
[編集] 警察署
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 海外
[編集] 国内
[編集] 産業
主な産業は、観光と鉱工業である。
[編集] 鉱工業
大谷川水系の豊富な水と険しい地形による落差を利用して、かつては水車動力を利用した紡績事業が行われていた。それらの施設は再利用され現在は水力発電が行われている。
又、足尾銅山産出の銅を水力発電の電力を利用して精錬していた。アルミニウムの精錬事業も行われている。
他には、コンクリートブロックの作成なども行われている。かつては砕石業も行われていた。
- 金属精錬
- 古河電気工業
- 古河スカイ
- コンクリートブロック
- 日光コンクリートブロック
[編集] 学校
[編集] 高等学校
- 栃木県立
- 栃木県立日光明峰高等学校(旧日光市)
- 栃木県立足尾高等学校(募集停止。日光明峰高等学校に統合。旧足尾町)
- 栃木県立日光高等学校(募集停止。日光明峰高等学校に統合。旧日光市)
- 栃木県立今市高等学校(旧今市市)
- 栃木県立今市工業高等学校(旧今市市)
[編集] 中学校
- 市立
旧日光市
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旧今市市
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その他の地区
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[編集] 小中併設校
- 市立
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[編集] 小学校
- 市立
旧日光市
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旧今市市
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その他の地区
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[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
- 東武鉄道、JR東日本、野岩鉄道、わたらせ渓谷鐵道の路線が乗り入れている。
- JR東日本日光線は、日光駅と宇都宮駅の間を結ぶ路線である。1982年まで、東北本線(宇都宮線)上野駅から定期の直通急行列車が運行されており、それ以後も2006年まで新宿駅などから行楽期に臨時列車が多く乗り入れていた。
- 東武日光線は、東武日光駅と東武動物公園駅の間を結ぶ路線である。東京と県内沿線を結ぶ都市間輸送を主体とし、東武動物公園駅から東武伊勢崎線経由で浅草駅を結ぶ特急列車が主体のダイヤ構成となっている。
- 東武鬼怒川線は、新藤原駅と下今市駅の間を結ぶ路線である。東武日光線と同様に、下今市駅より東武日光線・東武伊勢崎線経由で浅草駅を結ぶ特急列車が主体のダイヤ構成となっている。
- 新藤原駅より野岩鉄道会津鬼怒川線経由、会津鉄道会津線直通で会津田島駅へ乗り入れている。
- 2006年3月18日より、東武日光線および東武鬼怒川線は栗橋駅にてJR東日本と接続し、特急列車が新宿駅へ乗り入れている。
- わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線は、間藤駅と桐生駅の間を結ぶ路線である。
なお、東武鉄道・JR東日本の浅草・新宿~日光間における優等列車については、いずれも「スペーシア」の項目を参照のこと。
[編集] 主な路線
(※ 旧日光市の駅、路線は斜体で表示する。)
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 廃止された路線
[編集] バス路線
- 関東自動車
- 東武バス日光(日光駅~中禅寺温泉~湯元温泉)他
- 東武ダイヤルバス(日光駅~所野~下今市駅)他
- 日光交通(低公害バス 戦場ヶ原~小田代ヶ原)(定期観光バス)
- 藤田合同バス (東武矢板線の転換バス路線)
- しおや交通
- (鬼怒川温泉駅 - 女夫渕)(土日のみ運行)
- 日光市営バス
- (日光駅~清滝~足尾銅山・双愛病院)
- 合併前までは足尾町営バスとして運行されていた路線。国土交通省により、自治体が運営する路線バスは他の自治体に跨がないように指導されていたが、住民の利便性を考慮し特例として日光駅まで運行されていた。合併によってこの制限から解放され、1日2往復設定されていた日光市内の清滝折り返し便が日光駅まで直通できるようになり、日光駅発着便が4往復に増便されることとなった。ただし路線が競合する東武バスとの協議により、旧日光市内での乗降制限は継続されている。
- (市役所~小百)(市役所~下猪倉)(市役所~大渡)(市役所~温泉保養センター)
- 合併前までは今市市営バスとして運行されていた路線である。元々は関東自動車の一般路線が運行されていた区間、系統である(温泉保養センター行きを除く)。
- (今市車庫~行川~小来川森崎)
- (鬼怒川温泉駅~川治温泉駅~~青柳~女夫渕)
- 合併前までは、栗山村営バスとして運行されていた路線である。元々は東武鉄道バスが運行していた。温泉ブームの影響等の要因が追い風となり、バス車両のサイズは大型車であった。
- (日光駅~清滝~足尾銅山・双愛病院)
[編集] 道路
[編集] 高速道路・有料道路
[編集] 一般国道
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[編集] 栃木県道
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[編集] 観光
「日光を見ずして結構と言うなかれ」という格言の通り、自然の景勝と歴史的建造物が主な観光資産である。
[編集] 宗教施設
これら三社寺は日光の社寺として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
[編集] 旧日光市
[編集] 日光市街地
[編集] 奥日光地区
[編集] 霧降地区
[編集] 今市地区
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[編集] 鬼怒川地区
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[編集] 三依地区
- 五十里湖
- 三依そば街道(国道121号。沿線にはそば屋が多い)
[編集] 栗山地区
[編集] 足尾地区
[編集] 特産品
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[編集] 出身有名人
- 旧日光市出身者
- 旧日光市以外の出身者
[編集] 日光が舞台の作品
[編集] 唱歌
1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』第四集奥州・磐城編は、上野駅から東北本線を経て弘前駅まで行き、常磐線経由で上野に帰るような構成となっているが、その往路にて、宇都宮駅から日光線に入り、日光にわざわざ立ち寄っている。これは、大和田の歴史好きと、日光がこの地域において外せない名所であった事が関係していると見られている。
- 11.いざ乗り替えん日光の 線路これより分かれたり 二十五マイル走りなば 一時半にて着くという
- 12.日光見ずは結構と いうなといいし諺(ことわざ)も おもいしらるる宮の様 花か紅葉か金襴か
- 13.東照宮の壮麗も 三大廟の高大も みるまに一日(ひとひ)日ぐらしの 陽明門は是(これ)かとよ
- 14.滝は華厳の音たかく 百雷谷に吼え叫ぶ 裏見霧降とりどりに 雲よりおつる物すごさ
[編集] 映画
日光市は、2007年度にフィルムコミッションを設立し、ロケ地の発掘や誘致に力を入れたいとしている。
- エレキの若大将-演奏は中禅寺湖畔の日光レークサイドホテルで、「君といつまでも」を歌うシーンは戦場ヶ原で撮影された。
- 烈愛傷痕-日光中禅寺湖畔でロケが行われた台湾のドラマ。原作は、一条ゆかりの「恋のめまい愛の傷」
[編集] ドラマ
[編集] 関連項目
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