清和政策研究会
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清和政策研究会(せいわせいさくけんきゅうかい)は、自由民主党の派閥。 旧「清和会」。現会長は町村信孝。通称、福田派→安倍派→三塚派→森派→町村派。
目次 |
[編集] 概説
岸信介に代表されるように、党内でも親米保守タカ派外交の色合いが強い派閥である。強い勢力をほこる派閥ではあったが、政局の事情で平成研究会や宏池会などの保守本流に押されて、なかなか主流派になることがなかった側面を持つ。福田政権が終わった後で、同派が主流派として実質的に政権を担当するようになるのは小泉政権発足以降である。
[編集] 歴代清和政策研究会会長
歴代清和政策研究会会長 | ||||
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1 | 福田赳夫 | 1979年-1986年 | ||
2 | 安倍晋太郎 | 1986年-1991年 | ||
3 | 三塚博 | 1991年-1998年 | ||
4 | 森喜朗 | 1998年-2000年 | ||
5 | 小泉純一郎 | 2000年-2001年 | ||
6 | 森喜朗 | 2001年-2006年 | ||
7 | 町村信孝 | 2006年- |
[編集] 歴史
[編集] 結成
岸信介派の分裂を受けて1962年に結成された福田赳夫を中心とする「党風刷新連盟」が起源。1970年11月に佐藤栄作首相に勧められ「紀尾井会」として福田派が派閥として正式に旗揚げされた。その後1972年に保利グループと園田派(旧・森(清)派)を統合して「八日会」へと名称変更した。1976年末、福田内閣の発足にあたり派閥解消を提唱、率先して八日会を解散した。福田退陣後に再結成の機運が高まり、1979年1月に「清和会」を結成した。
領袖福田のもと、田中派と「角福戦争」と呼ばれる派閥抗争を繰り広げた。後に自由革新同友会(石原派・旧中川派)を吸収する。福田の後は、安倍晋太郎(1986年 - 1991年)、三塚博(1991年 - 1998年)が派閥会長を歴任。三塚の在任中に自民党が選挙で敗れて野党にまわったのを機に派閥解消が呼びかけられ、清和会を解散し、派閥に代わって結成が認められていた政策集団として「21世紀を考える会・新政策研究会」を結成し、三塚は同会の会長にそのまま留任した。また自民党が野党時代を迎える前後に新党さきがけ結党や自由改革連合結成に参加する者、新生党移籍する者が続出。森喜朗が三塚の後継会長となった1998年末にかつての清和会の名称にちなんで会の名称を清和政策研究会と改称し、2000年に森が首相に就任し総裁派閥となった。森が自民党総裁在任中は党内の慣例に従い形式的に派閥を離脱したため、そのあとを受けて、小泉純一郎が2000年4月から清和政策研究会会長に就任し森内閣を支えた。森退陣後の小泉内閣では引き続き総裁派閥となり主流派として勢力を伸張し、2005年の衆議院選挙で、平成研究会(旧橋本派・現津島派)を抜き、党内第一派閥へと躍り出た。
赤坂プリンスホテル内に事務局を設置し、同ホテルで毎年1回春頃に政治資金パーティー開催することが慣例となっている。
[編集] 安倍派四天王と清和会の分裂
安倍晋太郎が清和会の派閥会長であった際、派閥内の三塚博、加藤六月、塩川正十郎、森喜朗の4人の実力者を称して安倍派四天王と呼んだ。竹下派七奉行と比較される。 その後、安倍の後継会長を三塚・加藤が争い(この抗争を両者の名を取って三六戦争と呼んだ)、森の支持を得た三塚が1991年6月、清和会会長に就任した。 同年、三塚は総裁選に出馬するが、加藤がこれに反し、竹下派の推す宮澤喜一支持を表明した。そのため加藤は同年10月に三塚派を除名され、政眞会を結成、のちに自民党も離脱することとなる。
[編集] 森喜朗の派閥継承と亀井静香の離脱
三塚派に移行してからは、森グループと、急速に派内での発言力を増していた亀井静香グループとの対立が激しくなる。1998年、森グループ主導により、三塚派の独自候補として小泉純一郎の自民党総裁選出馬を決定したことに亀井グループが反発。異議を唱えるが押し切られ、総裁選後に森が党幹事長に就任したことで派の分裂が決定的となり、同年9月に亀井グループは三塚派を離脱した。 その後、12月に森が三塚から派閥を継承する。
[編集] 森・小泉政権と自民党内最大派閥への躍進
派閥を継承した森は同じく派内での発言力を増しつつあった小泉と組むことによって混乱していた派の体制を立て直す事に成功した。同派は小泉政権下で急速に勢力を拡大。森・小泉・安倍の3代連続で自由民主党総裁と内閣総理大臣を輩出。2007年の参院選の結果次第では、参院側でも津島派を抜き、名実共に最大派閥になる可能性がある。
2006年10月19日、森は派閥会長を退任し、町村信孝が同派会長に就任。その後、2006年10月26日、町村派の総会で、森は同派名誉会長に就任した。
[編集] 清和政策研究会所属議員一覧
衆議院議員(61名) | |||
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森喜朗(13回、石川2区) | 玉澤徳一郎(9回、比例東北) | 伊藤公介(9回、東京23区) | 中川秀直(9回、広島4区) |
衛藤征士郎(8回・参院1回、大分2区) | 尾身幸次(8回、比例北関東) | 町村信孝(8回、北海道5区) | 坂本剛二(6回、比例東北) |
杉浦正建(6回、愛知12区) | 長勢甚遠(6回、富山1区) | 中山成彬(6回、宮崎1区) | 福田康夫(6回、群馬4区) |
細田博之(6回、島根1区) | 宮路和明(6回、鹿児島3区) | 小野晋也(5回、愛媛3区) | 小池百合子(5回・参院1回、東京10区) |
塩谷立(5回、静岡8区) | 大野松茂(4回、埼玉9区) | 嘉数知賢(4回、沖縄3区) | 木村太郎(4回、青森4区) |
下村博文(4回、東京11区) | 高市早苗(4回、奈良2区) | 谷畑孝(4回・参院1回、大阪14区) | 山本拓(4回、福井2区) |
石崎岳(3回、北海道3区) | 高木毅(3回、福井3区) | 谷本龍哉(3回、和歌山1区) | 中野正志(3回、比例東北) |
馳浩(3回・参院1回、石川1区) | 松島みどり(3回、東京14区) | 松野博一(3回、千葉3区) | 三ッ林隆志(3回、埼玉14区) |
山本明彦(3回、愛知15区) | 吉野正芳(3回、福島5区) | 奥野信亮(2回、奈良3区) | 佐藤錬(2回、比例九州) |
柴山昌彦(2回、埼玉8区) | 鈴木淳司(2回、愛知7区) | 谷川弥一(2回、長崎3区) | 中山泰秀(2回、大阪4区) |
並木正芳(2回、比例北関東) | 西村明宏(2回、宮城3区) | 西村康稔(2回、兵庫9区) | 萩生田光一(2回、東京24区) |
早川忠孝(2回、埼玉4区) | 宮下一郎(2回、長野5区) | 赤池誠章(1回、比例南関東) | 新井悦二(1回、埼玉11区) |
稲田朋美(1回、福井1区) | 岡部英明(比例北関東) | 小川友一(1回、東京21区) | 越智隆雄(1回、東京6区) |
亀岡偉民(1回、福島1区) | 北村茂男(1回、石川3区) | 木挽司(1回、兵庫6区) | 杉田元司(1回、比例東海) |
高鳥修一(1回、比例北陸信越) | 土井亨(1回、宮城1区) | 中根一幸(1回、比例北関東) | 福田良彦(1回、山口2区) |
松本文明(1回、東京7区) |
参議院議員(28名) | |||
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沓掛哲男(4回、石川県) | 西田吉宏(3回、京都府) | 南野知惠子(3回、比例区) | 山崎正昭(3回、福井県) |
清水嘉与子(2回、比例区) | 鈴木政二(2回、愛知県) | 世耕弘成(2回、和歌山県) | 谷川秀善(2回、大阪府) |
中島啓雄(2回、比例区) | 橋本聖子(2回、比例区) | 松村龍二(2回、福井県) | 山本一太(2回、群馬県) |
岩城光英(2回、福島県) | 若林正俊(2回・衆院3回、長野県) | 小林温(1回、神奈川県) | 伊達忠一(1回、北海道) |
西銘順志郎(1回、沖縄県) | 福島啓史郎(1回、比例区) | 野上浩太郎(1回、富山県) | 岡田直樹(1回、石川県) |
神取忍(1回、比例区) | 岸信夫(1回、山口県) | 北川一成(1回大阪府) | 末松信介(1回、兵庫県) |
中川雅治(1回、東京都) | 中村博彦(1回、比例区) | 山谷えり子(1回・衆院1回、比例区) | 山本順三(1回、愛媛県) |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 21世紀政策の森 (公式サイト)