中川秀直
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生年月日 | 1944年2月2日 |
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出生地 | 本籍地:広島県東広島市 (旧・賀茂郡豊栄町) 出身地:東京都新宿区 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
学位・資格 | ‐学士 |
前職・院外役職(現在) | 日本経済新聞社記者 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
元・内閣官房長官 |
世襲の有無 | 二世 岳父・中川俊思(衆議院議員) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
広島4区 |
当選回数 | 9回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(町村派) |
党役職(現在) | 幹事長 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館505号室 |
ウェブサイト | 中川秀直公式Webサイト |
中川 秀直(なかがわ ひでなお、1944年2月2日 - )は日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。現自民党幹事長。岳父の中川俊思も衆議院議員を務めた。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 経歴
[編集] 政歴
- 1976年:義父の地盤を継ぎ、旧広島2区から新自由クラブ公認で衆議院議員総選挙に立候補し初当選
- 1979年:落選を機に新自由クラブを離党
- 1980年:トップ当選で復帰し、自民党へ入党。国土政務次官(1983年)、通産政務次官を歴任する
- 1989年:自民党商工部会長
- 1990年:再び衆院選で落選
- 1993年:再度トップ当選で復帰。
- 1994年:村山内閣の首相補佐として社会党出身総理と自民党との連絡役を務める
- 1996年:第1次橋本内閣で科学技術庁長官として初入閣
- 2000年7月:第2次森内閣で内閣官房長官兼沖縄開発庁長官として総理の女房役を務める
- 2000年10月:愛人通いや右翼との会食などスキャンダルが報道され、実力を発揮できないまま就任3ヶ月で辞任に追い込まれる。この辞任劇が支持率低下に悩んでいた森内閣に追い討ちをかけ、同年末の加藤の乱発生に少なからず影響を与えた
- 2002年10月:自民党国会対策委員長に就任して復帰。小泉純一郎総理の信任も厚く側近中の側近として知られる。その政治手腕も買われて異例の長期留任となり、2005年7月に国対委員長在職期間最長記録(村岡兼造元衆議院議員の1023日)を更新する
- 2005年10月:自民党政調会長に転ずる
- 2006年9月:自民党幹事長に就任
党選挙対策本部長代理、党北朝鮮核実験問題対策本部長を兼務する。
[編集] 人物像
- 自由民主党新聞販売懇話会会長代行であり、新聞の特殊指定、再販制度維持を主張。日本新聞販売協会の顧問でもあった。その分身でもある日販協政治連盟から多額の政治献金を受けている。事実上新聞族のドンである。
- 新聞記者出身らしく、自らのホームページ[1]のコラム連載を一日も欠かしたことがない。各紙社説や論説記事を叩き台に、自らの所見を展開するスタイルが多い。
- 古賀誠、二階俊博らとともに、人権擁護法案(ネット上でその問題点が厳しく指摘されている)の積極推進派としても知られている。
- 2006年4月、次男中川俊直が東広島市長選に立候補する。国政選挙並みの選挙戦を繰り広げるも落選。
- 2000年衆議院議員選挙において、自由民主党総裁(内閣総理大臣)森喜朗の指示を受け、中川が塩川正十郎(前回選挙で落選し、非議員であった)に引退を要請しに行き、塩川に灰皿を投げつけられ「帰れ!」と叱責された。
- 2006年の自民党総裁選挙では、津島派や伊吹派の候補擁立を阻止し、また積極的な多数派工作をすすめ、安倍晋三優位の流れを作った。一部ではキングメーカーの地位を狙っているとの声もある。
- 2006年7月、参議院議員世耕弘成、和歌山県知事木村良樹とともに競売入札妨害容疑で逮捕された容疑者からゴルフの接待を受けていたことが発覚。ゴルフにかかった費用は全て容疑者が負担した。
- 2006年11月、郵政造反組復党問題に絡み、党幹事長の立場として党内や世論の反発と首相の意向に考慮する形で、造反議員に対し復党において厳しい条件を提示した。
- 2006年11月、「会社のためと称して会社にぶら下がっている正社員はたくさんいる。企業の生産性をいうとき、ホワイトカラーが最大の問題ではないか」と、企業の立場に立ち、ホワイトカラーのあり方に疑問を投げかける発言をした。
- 「上げ潮政策」という、高めの名目経済成長率を目指す方針を主張している。そのため、日本銀行に対しては金融緩和ぎみの政策を期待している。
- 日本銀行がゼロ金利政策解除の検討に入ったときには、「日銀法の改正」に言及した。
- 閣僚の問題発言(「産む機械」「米軍沖縄基地」)などが目立つ中、内閣官房長官塩崎恭久を呼びつけて叱責した。党の幹事長が内閣官房長官を叱責するのは異例であり、産経新聞では「党高官低」を印象付けたと報じられた。
- 2007年2月18日、「首相が入室したときに起立せず、閣議が始まっても私語をやめないなど、忠誠心がない閣僚は官邸から去るべき」「閣僚や官僚には、首相に対する絶対的な忠誠心が必要だ」などと発言し、党内外にて大きな反響を呼ぶ。詳細は#「忠誠心」発言を参照されたい。
- 2007年2月22日、中川の自宅や後援会事務所が、財団法人所有の土地に建てられていることが発覚した。財団法人は公益法人であり、政治家の後援会や個人の自宅として私的使用することが問題視されている。詳細は#財団法人自宅提供問題を参照されたい。
[編集] 評価
[編集] 愛人への捜査情報漏洩問題
- 2000年、写真週刊誌等に中川が愛人(とされる女性)と一緒に撮影した写真やビデオが掲載された。
- 2000年10月、東京放送、フジテレビジョン、テレビ東京など主要テレビ局は、中川が愛人(とされる女性)に捜査情報を漏らす会話の録音テープを公開した(『ニュース23』(東京放送系列。2000年10月26日放送分)など)。
- 中川は録音テープの会話は「自分の声であったかもしれない」と表明し、一連の愛人騒動の責任をとる形で内閣官房長官辞任を発表した。
- 職務上知り得た秘密を捜査対象者に漏らす行為は国家公務員法違反、捜査妨害容疑に該当する可能性があり、野党から追及された。
[編集] 「忠誠心」発言
- 2007年2月18日に行なった宮城県仙台市での講演で、「首相が入室したときに起立せず、閣議が始まっても私語をやめないなど、忠誠心がない閣僚は官邸から去るべき」「閣僚や官僚には、首相に対する絶対的な忠誠心が必要だ」などと発言し、安倍内閣閣僚の緊張感が欠けていることを嘆いた。
- 中川の発言が報道されると、2月20日の毎週火曜日の定例閣議で、閣僚たちは内閣総理大臣が入室するやいなや一斉に起立して「おはようございます」とあいさつするなど、今までの現状と打って変わった態度をとるようになった。
- 当該発言に対し、厚生労働大臣柳沢伯夫からは「お互いに意見交換してるだけだ」、外務大臣麻生太郎からは「中川さんの言いたいことがよく分からない」、さらに、内閣総理大臣安倍晋三から「こういうのまでおしゃべりととらわれちゃうんだね」と反発を受けた。2月22日には派閥領袖からも批判が相次ぎ、津島雄二は「一部に忠誠心を持ってほしいという方がいるが、我々に大事なことは国家、国民に対して責任を果たすことに尽きる」との正論を表明し、高村正彦も、小泉純一郎が「『鈍感力』が大事だ」と発言したことを踏まえ「閣僚の一挙手一投足には相当鈍感であったほうがいい」と皮肉交じりの批判を行った。
- 2月22日、自由民主党本部にて安倍に面会した中川は「ちょっと言い過ぎました」と陳謝した。安倍も「(安倍内閣の閣僚は)ちゃんとやっていますからどうぞご心配なく」と返答した。
- 3月23日、朝日ニュースターの番組にて、自由民主党参議院幹事長片山虎之助は、中川の忠誠心発言に触れ「いい過ぎだ。(国務大臣の任免の権限は自由民主党幹事長ではなく内閣)総理(大臣)の権限だ」と指摘した上で、「たかだか与党の幹事長がいうことではない。分をわきまえないと」と中川を厳しく指弾した。
[編集] 財団法人自宅提供問題
- 2007年2月22日、民主党代表代行菅直人により、広島県東広島市の中川の自宅や後援会事務所が財団法人所有の土地に建てられていることが発覚した。財団法人は公益法人(税制上も優遇されている)であり、政治家の後援会や個人の自宅として私的使用することが問題視されている。また、菅は、財団法人設立の経緯から、中川の義父が亡くなった際に相続税を支払っているのか疑問を呈した。
- 中川自身は、財団法人所有地に自宅や後援会事務所を建設した事実は全面的に認めている。また、当該の土地は義父が1961年に財団法人に寄附し設立したと説明している。違法性については、家賃を財団法人に支払っており、中川は法的にも問題ないとしている。
[編集] 関連項目
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