むつ (原子力船)
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むつは、日本初の原子動力船で、原子力機関を搭載して航行試験を行った。
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[編集] 概要
軍艦を別にすれば原子炉を動力源とする船を造った国は少なく、旧ソ連のレーニン号、米国の貨客船サバンナ号、西ドイツ(当時)の鉱石運搬船オットー・ハーン号に続く世界でも4番目の成果である。名称は進水時の母港であるむつ大湊港のある青森県むつ市にちなむ。当時船業界から原子力が注目され、原子力船運転員養成のため、神戸商船大学に原子動力学科が開設された。原子力船は巨大かつ長期間運航させてたくさん稼ぎ続けなければ採算が取れないという経済性の観点から西側の原子力船計画は全て中止され、現在も建造を続けているのはロシアのみとなっている。ロシアでは北極海を航行する八隻(2001年現在)の原子力砕氷船が就航している。
[編集] 主要目
総トン数約8,240トン。全長約130m。型幅19m。型深13.2m。最大速力約17ノット(約32km/h)。定員総数80名。熱出力約36MWの加圧水型軽水炉と二機の蒸気発生器による出力一万馬力の蒸気タービンを搭載していた。
[編集] 略歴
- 1969年6月21日 IHI東京第2工場にて進水式。
- 1970年7月 船体工事完了、定係港大湊へ回航。
- 1971年11月 原子炉艤装工事完了。
- 1972年8月 日本原子力船開発事業団へ引き渡し。
- 1974年8月26日 漁船団の包囲網の、台風14号によるスキを突いて、大湊を出港(予定は25日であった)。
- 1974年8月28日 原子炉が初臨界に達する。
- 1974年9月1日 遮蔽リングの設計ミスにより、北太平洋航行中に放射線(中性子)漏れを観測する。試験中止。
- 1974年9月5日 陸奥湾漁民ら、帰港反対を決議。むつの「漂流」が始まる。
- 1974年10月14日 自民党総務会長、青森県知事、むつ市長、県漁連会長の4者、合意調印(2年半以内に母港撤去、半年以内に新母港決定、地元対策に12億円)。
- 1974年10月15日 帰港、原子炉を封印、係留。
- 1976年2月7日 長崎県佐世保市に修理港受入を要請。
- 1977年2月27日 佐世保市で受入賛否両派が集会、反対派デモに右翼が突入。
- 1977年4月30日 長崎県議会、核燃料ぬきで、佐世保修理受入を議決。
- 1978年5月13日 政府、長崎県と佐世保市に核封印で修理寄港を要請。
- 1978年7月21日 長崎県、佐世保市、修理受入協定調印。
- 1978年10月16日 佐世保入港。
- 1978年長崎県佐世保で改修工事開始。(~1982年)
- 1979年7月9日 改修のため佐世保重工ドック入り。
- 1980年8月14日 大湊の再母港化を要請。
- 1981年5月24日 政府、地元関係者5者会談、母港をむつ市関根浜に建設で合意。
- 1981年9月29日 むつ市、大湊仮母港拒否。
- 1982年9月6日 むつ市大湊港に再入港。
- 1984年1月17日 自民党科学技術部会廃船決定発表。
- 1988年1月26日 大湊港を出港。
- 1988年1月27日 新母港、むつ市関根浜港入港。
- 1988年8月4日 関根浜港で原子炉の蓋容器開放、点検はじまる。
- 1989年10月30日 蓋開放点検終了。
- 1990年3月6日 起動前試験終了。
- 1990年7月 日本初の原子動力航行を行う。
- 1991年2月~12月 実験航海、8万2千km(地球2周以上)を原子力動力で航行。
- 1992年 原子炉停止。
- 1993年3月 原子炉を解体撤去し、海洋地球研究船への改装工事に着手。
- 1996年8月21日 海洋地球研究船みらいとして進水。
船の操舵室・制御室は、むつ市のむつ科学技術館に展示されている。