アダム・コープランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エッジ | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム | エッジ(Edge) |
本名 | アダム・コープランド |
ニックネーム | R指定のスーパースター |
身長 | 196cm |
体重 | 109kg |
誕生日 | 1973年10月30日 |
出身地 | カナダ・オンタリオ州 オレンジビル |
所属 | WWE・RAW |
デビュー | 1993年 |
アダム・コープランド(Adam Copeland、1973年10月30日 - )は、カナダのプロレスラー。リングネームエッジ(Edge)の名前で知られる。身長196cm、体重109kg。オンタリオ州オレンジビル出身。アメリカのプロレス団体WWEのロウ所属。
目次 |
[編集] 経歴
スチュ・ハートのハート道場出身。1993年にプロレスデビューを果たす。小学生の時からの親友であるクリスチャンも1993年にプロレスデビューし、タッグチームを結成する。アメリカやカナダのインディ団体に所属して試合をしていた後、1998年にWWE(当時WWF)と契約する。WWFでは同じカナダ出身のブレット・ハートのトレーニングを受けた。後にクリスチャンにもWWF入りを勧め、クリスチャンもWWF入りした。
WWFではクリスチャン、ガングレルと共にジ・アンダーテイカーのチーム、ミニストリー・オブ・ダークネスに入りヒールを確立。ハードコアマッチを得意として、ハーディー・ボーイズなどと抗争を繰り広げる。
2001年にキング・オブ・ザ・リング優勝し、またクリスチャンと長年続けたタッグを解消している。この頃からベビーフェイスになる。
2002年から首の怪我が深刻化し、WWEから長期離脱して治療を行う。怪我から復帰したのは2004年であり、復帰した番組はRAWである。復帰後はショーン・マイケルズとの抗争などを通じて徐々にヒール化していった。
[編集] 2005年
2月4日さいたま大会で、トリプルHの世界ヘビー級王座に挑戦するも、バティスタのアシストなどもあり、敗れ去ったが、その後4月のWrestleMania 21にて、ラダー・マッチであるマネー・イン・ザ・バンク戦に勝利。WrestleMania 22までの間に世界ヘビー級王座に挑戦する権利を有した。試合にて獲得した権利書の入っている鞄を常に持ち歩くことが、レッスルマニア21以降のエッジのギミックとなっている。2005年のバックラッシュ以降、ギミック上ケインと結婚していたリタと不倫、そして結婚するというストーリーが展開されている。リタとはギミックのみならず実生活においても関係を持ったため、それが原因でリタは実生活での恋人であったマット・ハーディーと別れることとなる。このストーリーの最初は、リタのギミック上の前夫であるケインとの抗争であったが、2005年7月以降はマット・ハーディーと抗争が行われている。2005年10月に行われたWWE・ホームカミングにおいて、敗者RAW追放マッチをマット・ハーディーと行い勝利。マット・ハーディーはスマックダウンへと移籍した。10月21日のSmackDown!に私服姿で登場。クリス・マスターズとともにレイ・ミステリオを襲撃し、スマックダウンとの抗争の火蓋を切った。しかし胸部の怪我により、サバイバー・シリーズへ向けた抗争ストーリーからは離脱。サバイバー・シリーズでは、リタと共に「Cutting Edge」というトークショーを行った。
[編集] 2006年
2006年1月のニュー・イヤーズ・レボリューションにおいて、「鞄」の権利を行使してジョン・シーナと対戦し勝利。WWE王座を獲得した。獲得後のRAWでリタとLive Sexショーを行うなど、ヒールの王者として振舞い、前王者のジョン・シーナやリック・フレアーらと抗争を深めた。2006年2月ロイヤルランブルにて再戦権を行使したジョン・シナに王座を奪回され、さらにエッジがジョン・シーナに対して再戦権を行使した試合においてレフェリーを行ったミック・フォーリーと遺恨が勃発。WrestleMania 22にてハードコアマッチを戦い、これに勝利した。その後はフォーリーと手を組みECWと対立し、ECW One Night Stand 2006でテリー・ファンク&トミー・ドリーマーと対戦、さらにその大会のメインであったジョン・シーナvsロブ・ヴァン・ダムのWWE王座戦に乱入、ヴァン・ダムの勝利をアシストする。そして7月3日のRAW番組内でヴァン・ダム、シナとの3WAYWWE王座戦を制し、2度目のWWE王座戴冠となった。8月のSummerSlam2006では、反則負けでも王座は移動するというルールであったがジョン・シナを相手にし防衛する。しかし、Unforgiven2006ではそれまで無敗であったTLC戦においてジョン・シーナと対戦し王座を失ってしまう。9月10日に開催された、RAWファミリーリユニオン大会でランディ・オートンと結託し『R指定のRKO』を結成。D-Generation Xとの抗争を開始した。
[編集] 日本との関わり
日本のプロレス団体での試合経験もあり、かつて新東京プロレスにて、カナディアン・ロッキーズとしてクリスチャンと共に試合をしたことがある。
[編集] リングネーム
コープランドが使用したことがあるリングネーム
- コンキスタドール・ウノ
- アダム・インパクト
- セックストン・ハードキャッスル
- エッジ(現在も使用中)
[編集] 得意技
ほっそりとした体格から繰り出されるので、ゴールドバーグやボビー・ラシュリーと比べるとあまり威力が無さそうなのだが、現在は本命のフィニシャーとされている。但しエッジの場合は彼らと違い左肩で行う。
- エッジキューション(インパラー・バズキラー)
変形DDT。SD!時代のフィニッシャーだったが、RAWに移籍してからはほとんど使わなくなった。しかし、つい最近では稀に繋ぎ技として使う事がある。
- エッジ・オー・マチック
- ダウンワード・スパイラル
- エッジュケイター(変形シャープシューター)
- コンチェアト(クリスチャンとの合体椅子攻撃。パイプイスを数回打ち鳴らしあった後、イスで挟み撃ちにする。)
- 鞄攻撃(マネー・イン・ザ・バンクを所持していた期間のみ。)
- ワンマン・コンチェアト
[編集] タイトル履歴
- WWE
- WWE王座 : 2回
- IC王座 : 5回
- US王座 : 1回
- 世界タッグ王座 : 10回(&クリスチャン x7、ハルク・ホーガン x1、クリス・ベノワ x2)
- WWEタッグ王座 : 1回(&レイ・ミステリオ)
- 2001年キング・オブ・ザ・リング優勝
- ICW
- ICWストリートファイトタッグチーム王座 : 2回(&クリスチャン・ケイジ x2)
- ICW/MWCWミッドウェストタッグチーム王座 : 1回(&クリスチャン・ケイジ x1)
- SSW
- SSWタッグチーム王座 : 1回(&クリスチャン・ケイジ x1)
[編集] 入場テーマ
- ロックミュージシャンとの交流が深い。
- Never Gonna Stop(Rob Zombie)
- Metalingus(Alter Bridge)-現在使用中
[編集] その他
- プライベートでは、1999年にバル・ビーナスの妹と結婚していたが、離婚。現在は、クリス・ジェリコの妻の友人と結婚している。
- レッスルマニアでの無敗記録といえばジ・アンダーテイカーが有名であるが、エッジもWrestleMania 2000での初出場から連勝を継続しており、番組内でもこの記録をアピールする事がある。しかし残念ながらWrestleMania 23でのMoney in the Bank Ladder Matchにて敗北。彼の無敗記録は意外にも早く途絶えることとなってしまった。
回 | 倒した相手 | 試合形式 |
WrestleMania 2000 (2000年) | ダッドリー・ボーイズ、ハーディー・ボーイズ(エッジはクリスチャンと共に出場) | Triple Threat Ladder |
WrestleMania X-seven (2001年) | ダッドリー・ボーイズ、ハーディー・ボーイズ(エッジはクリスチャンと共に出場) | TLC |
WrestleMania X8 (2002年) | ブッカー・T | Single |
WrestleMania 21 (2005年) | クリス・ジェリコ、クリス・ベノワ、クリスチャン、シェルトン・ベンジャミン、ケイン | Money in the Bank Ladder |
WrestleMania 22 (2006年) | ミック・フォーリー | Hardcore |
WrestleMania 23 (2007年) | ランディー・オートン、ジェフ・ハーディー、マット・ハーディー、フィンレー、キング・ブッカー、Mr.ケネディ、CMパンク | Money in the Bank Ladder |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: カナダのプロレスラー | WWE | 1973年生