アルベルト・ディートリヒ
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アルベルト・ディートリヒ(1829年8月28日 マイセン近郊ゴルク - 1908年11月20日 ベルリン)はドイツの作曲家・指揮者。個人としての業績よりも、ヨハネス・ブラームスの友人として有名。
1851年からデュッセルドルフでローベルト・シューマンに作曲を入門。1853年10月に初めてブラームスと出逢い、シューマンの采配の下にブラームスと3人で、ヨーゼフ・ヨアヒムのための《F.A.E.ソナタ》を共作。ディートリヒは開始楽章を担当した。
1861年から1890年まで、オルデンブルク宮廷の楽長に就任。ブラームスがしばしばかの地を訪れたことから、ディートリヒはオルデンブルク宮廷でブラームス作品の多くを紹介した。ブラームスはディートリヒの書斎において、後に《運命の女神の歌》の原典となるヘルダーリンの詩文を見つけている。ディートリヒは、1868年の《ドイツ・レクイエム》のブレーメン初演においても奔走している。
ディートリヒ自身の作品は、歌劇《ロビン・フッド》作品34や劇付随音楽《ツィンベリン》作品38、《交響曲ニ短調》、《ヴァイオリン協奏曲ニ短調》作品30(ヨアヒムへの献呈作だが1874年にヨハン・ラウターバッハにより初演)、《チェロ協奏曲ト短調》作品32、《ホルン協奏曲》のほか、いくつかの室内楽曲や合唱曲がある。
1898年にライプツィヒで出版された『ブラームスの思い出 Recollections of Brahms』は、翌年に英訳され、今なお重要な資料となっている。
ブラームス研究者デイヴィッド・ブロッドベックは、論文集『The Cambridge Companion to Brahms』(1999年)において、1924年に「ブラームスの未発表の初期作品」として再発見された《ピアノ三重奏曲イ短調》について、真作者はディートリヒであろうとの説を唱えている。しかしながら音楽学者マルコム・マクドナルドは、『ブラームス Brahms』(2001年、第2版)において、真作者として誰の名前を当てはめることができるとしても、作曲様式上のバランスから見て、やはりブラームスとするのがふさわしいと述べている。