エマニュエル・パユ
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エマニュエル・パユ(Emmanuel Pahud、1970年1月27日- )はフランス語圏スイス出身のフルート奏者。
ジュネーブ生まれ。5歳でリコーダーを、6歳でフルートを始め、フィピップ・ビネとフランソワ・ビネに学んだ。バーゼルでペーター=ルーカス・グラーフに、パリ音楽院 でフルートをアラン・マリオン、ミシェル・デボストに、室内楽をピエール=イヴ・アルトー、クリスチャン・ラルデに学び、1990年に首席で卒業。その後もバーゼルでオーレル・ニコレに師事した。
主なコンクール入賞歴
- ドゥイノ国際コンクール第1位(1988年)
- 第2回神戸国際フルートコンクール第1位(1989年)
- ジュネーヴ国際コンクール第1位(1992年)
1989年から1992年までバーゼル放送交響楽団首席奏者を務めた。1991年10月ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の入団試験を受けて合格し1992年12月から首席奏者として演奏する契約であったが、1992年10月にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の入団試験を受けて合格したため、ミュンヘン・フィルでは一度も演奏していない。ベルリン・フィルでは1993年9月から演奏を開始し、同楽団の歴史上で最も若い(23歳)首席奏者となった。2000年、抱える仕事の多さからオーケストラに休暇願を出そうとしたが認められなかったため6月に退団。2002年4月、同楽団に復帰した。
世界中でソリストとして活躍し、多才ぶりや美音、天賦の音楽性やこの上ない演奏技巧によって称賛をかち得ている。ピアニストのエリック・ル=サージュやクラリネット奏者のポール・メイエとも室内楽演奏で共演している。
1996年よりEMIと契約して録音活動を開始。テレマンのコンチェルトや、モーツァルトの協奏曲と四重奏曲、プーランク、ミヨー、ジョリヴェ、メシアン、デュティユー、ピエール・サンカンらのフランス近代の作品、ハチャトゥリアンとイベールの協奏曲などを発表してきた。