アラム・ハチャトゥリアン
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アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン(アルメニア語:Արամ Խաչատրյան, ロシア語:Арам Ильич Хачатурян (Aram Il'ich Khachaturian), 1903年5月24日(グレゴリオ暦6月6日) - 1978年5月1日)は、ソビエト連邦の作曲家、指揮者。姓は、ハチャトゥリャーン、ハチャトゥリャンなどとも表記される。ソ連人民芸術家。
トビリシに生まれたアルメニア人で、甥に作曲家カレン・ハチャトゥリアンがいる。モスクワで音楽を学んだ。レーニン賞など多数の賞を受け、高い評価を受ける一方、自作の指揮者としても活躍。映画音楽も手がけ、チェコスロバキア国際映画祭個人賞も受賞した。
作品の中でも、バレエ組曲「ガヤネー(ガイーヌ)」のハイライト部分である「剣の舞」がよく知られている。
プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと共にソヴィエト3巨匠の1人と称された。
目次 |
[編集] 経歴
- 1903年 - 製本工の息子として、グルジアに生まれ、カフカス地方で民族音楽に親しみながら育つ。
- 1921年 - 大学入学のためモスクワに向かう途上に演奏会に出たのがきっかけで音楽の才能を認められ、音楽の勉強を正式に始める。
- 1922年 - グネシン音楽専門学校のチェロ科、作曲科。
- 1929~1934年 - モスクワ音楽院でミャスコフスキー、ヴァシレンコなどに学ぶ。
- 1936年 - 「ピアノ協奏曲 変ニ長調」で名声を博す。
- 1948年 - スターリン主義的文化政策の中心ジダーノフによる音楽批判の対象となり、「形式主義的退廃音楽家」とされる。(1959年に名誉回復)
- 1956年 - グネシン音楽学校とモスクワ音楽院で教授。
- 1953年 - 論文「創造の大胆さとインスピレーションについて」(社会主義リアリズム音楽理論の発展)に関して、アメリカの音楽評論家タウブマンと論争を展開。
- 1963年 - 来日。結成直後の読売日本交響楽団と共演する。
- 1978年 - 歿。
[編集] ハチャトゥリアンの音楽
グルジア出身のハチャトゥリアンは、アルメニア・アゼルバイジャン・グルジアなどカフカス地方の民族音楽の影響がうかがわれる、オリジナリティ溢れる印象的な曲の数々を作曲した。
作風は大胆、強烈と評価され、国民楽派の延長として民族的要素を取り入れた社会主義リアリズムの代表的作曲家と見なされる。
[編集] 作品
- 1926年(23才)
- ヴァイオリンとピアノのための舞曲
- 1929年(26才)
- ヴァイオリンとピアノのための詩曲
- 1930年(27才)
- 吹奏楽のための行進曲 変イ長調
- 1932年(29才)
- 弦楽4重奏曲
- クラリネット・ヴァイオリン・ピアノのための3重奏曲
- ピアノのためのトッカータ
- 1933年(30才)
- 「ウズベク民謡主題による2つの小曲」:吹奏楽曲
- 舞踏組曲:管弦楽曲
- 1934年(31才)
- 交響曲第1番 ホ短調
- 1936年(33才)
- ピアノ協奏曲 変ニ長調
- 1938年(35才)
- 混声合唱と管弦楽のための「スターリンの詩」
- 1939年(36才)
- バレエ曲『幸福』、『ガヤネー(ガイーヌ)』
- 1940年(37才)
- ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
- 『ヴァレンシアの寡婦(ヴァレンシアの未亡人)』:劇音楽
- 『仮面舞踏会』:ミハイル・レールモントフの作品の劇音楽
- 1942年(39才)
- 「大祖国戦争の英雄たちに」行進曲
- 『ガヤネー(ガイーヌ)』(初演):バレエ曲3幕6場
- 剣の舞、子守唄、ばらの乙女達の踊り、ガイーヌのアダージョ、レズギンカ、山岳人の踊り、など
- 1943年(40才)
- 組曲『ガヤネー(ガイーヌ)』第1番・第2番・第3番 :管弦楽曲
- 1944年(41才)
- 交響曲第2番 イ短調「鐘」
- 「アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国国歌」
- 1945年(42才)
- 2台のピアノのための組曲
- 1946年(43才)
- チェロ協奏曲 ホ短調
- 3つの演奏会用詠唱:独唱者と管弦楽のための作品。
- 1947年(44才)
- 交響曲第3番 ハ長調「シンフォニー・ポエム」
- 子どものためのアルバム第1集:ピアノ曲
- 1948年(45才)
- ウラジーミル・イリイチ・レーニン追悼の頌歌:管弦楽曲
- 1949年(46才)
- 『スターリングラードの戦い』:映画音楽
- 1952年(49歳)
- 組曲『ヴァレンシアの寡婦』
- イントロダクション、セレナーデ、歌、こっけいな踊り、間奏曲、舞曲
- 1954年(51才)
- 『スパルタクス』:バレエ曲
- 管弦楽のための祝祭序曲
- 1955年(52才)
- 組曲『スパルタクス』第1番・第2番・第3番 :管弦楽曲
- 『幸福の頌歌』:メゾソプラノ独唱、合唱、10のハープと40のヴァイオリンの合奏、管弦楽のための作品。
- 『オセロー』:映画音楽(監督:セルゲイ・ユトケーヴィチ)
- 1956年(53才)
- 『スパルタクス』 初演:バレエ曲4幕9場
- 1959年(56才)
- 歓迎序曲 :管弦楽曲
- ピアノのためのソナチネ
- 1961年(58才)
- ピアノのためのソナタ
- 1962年(59才)
- ヴァイオリンと管弦楽のための「コンチェルト・ラプソディ」
- 1963年(60才)
- チェロと管弦楽のための「コンチェルト・ラプソディ」
- 1965年(62才)
- ヴァイオリンとチェロのための「ラプソディ」
- 子どものためのアルバム第2集:ピアノ曲
- 1968年(65才)
- ピアノと管弦楽のための「コンチェルト・ラプソディ」(改訂版)
- 1976年(73才)
- 無伴奏ヴァイオリンのための「幻想ソナタ」
- 無伴奏チェロのための「幻想ソナタ」
[編集] ハチャトゥリアンが出演した映画作品
- 1968年『作曲家・ハチャトゥリアン』(マリアンナ・タブログ監督、劇場未公開)
- 1979年『アラム・ハチャトゥリヤン』(Yu・アリドーヒン監督、劇場未公開)