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オイラト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オイラト(Oirad, Oyirad)は、モンゴル高原の西部から東トルキスタン新疆)の北部にかけて居住するモンゴル系民族。オイラドとも書かれる。慣用的にオイラートと表記されることもあるが、モンゴル語としては厳密な表記ではない。

オイラト人と呼ばれる人々は、15世紀から18世紀にモンゴルと並ぶモンゴル高原の有力部族連合であったオイラト部族連合に属した諸部族の部族民たちである。彼らは中華人民共和国モンゴル国ではモンゴル民族の一員とみなされており、西モンゴル人(Baruun Mongol)と呼ばれることが一般的になっている。ただし、ロシア連邦ではカルムイク人と呼ばれ独立した民族とされている。現在の人口はおよそ20万人から30万人。

目次

[編集] モンゴル帝国時代

オイラトは、モンゴル帝国以前の12世紀に現在のモンゴル国西部のフブスグルからトゥヴァ共和国の地にかけて居住していた部族集団で、元来はテュルク系であったとみる説もある。13世紀初頭、オイラト部族集団の首長のひとりであったクトカ・ベキはチンギス・ハーンおよびその長男ジョチに従って「森の民」と呼ばれるシベリア南部の狩猟民の征服に協力し、オイラト部族4個千人隊の長に任命されるとともに、ふたりの息子の妻としてチンギス・ハーンとジョチの娘をそれぞれ与えられてチンギス家の姻族となり、モンゴル帝国の有力部族集団となった。

クトカ・ベキの後裔を中心とするオイラト部族の将軍たちは、チンギス家の姻族として帝国の各地に移住し、イルハン朝下のイランで活躍したものもあらわれたが、原住地のモンゴル高原ではふるわなかった。モンゴル高原のオイラト部族はチンギス・ハーンの四男トルイの末子アリクブケの一族と姻戚関係を結んでいたが、1264年にアリクブケが兄クビライとの後継者争いに敗れたためにアリクブケ一門が政治的にふるわなくなり、オイラト部族もその影響を受けたためとみられる。

[編集] オイラト部族連合の形成

14世紀後半以降、モンゴル帝国が解体してゆく過程でアリクブケの後裔イェスデルが、クビライ家正統継承者である北元トグス・テムル・ハーンを殺害してハーン位を奪取する事件がおこり、14世紀の末から15世紀の前半にかけて、モンゴル高原では西部の諸部族、中でもアリクブケ一門支持派の基幹部族であるオイラトの力が高まった。

15世紀初頭には、オイラト部族長マフムードは高原でもっとも有力な勢力となっていたアスト部族のアルクタイを永楽帝が攻撃するのに協力、一躍高原最大の勢力に拡大した。永楽帝は今度はオイラトの覇権を阻もうと1414年親征を断行しマフムードを討ったのでオイラトは衰退を余儀なくされるなど、オイラトのマフムードとアストのアルクタイは永楽帝の介入を巻き込んでモンゴル高原を左右する争いを続けた。

この騒乱の結果、モンゴルはハーンが次々に改廃され、部族集団が陣営を集合離散する大混乱が起こり、部族の再編が進んだ。こうして形成されたのが四十モンゴル(中国史料では韃靼(タタール)いう)と四オイラト(瓦剌)と呼ばれる二大部族連合であり、オイラト集団はケレイトナイマン、バルグトなどを含む部族連合集団に変容した。

[編集] エセンの覇権

永楽帝の死により明の圧力が弱まった後、勢力を拡大したマフムードの子トゴンは1434年にアルクタイを滅ぼし、ハーンを自らの傀儡に擁立して四十モンゴルを従えた。トゴンおよびその子エセンは西ではモグーリスタン・ハン国やウズベクといったイスラム化・テュルク化したモンゴル系の遊牧国家と戦って勢力を拡大し、ついにモンゴル高原のほとんどすべての部族を制するに至った。

トゴンが没すると、エセンはトグス・テムルの横死以来50年ぶりに訪れた統一を背景に明に対する侵攻を開始し、1449年に迎撃してきた正統帝の親征軍を撃破して、正統帝を捕虜にした(土木の変)。この戦果は、明側が正統帝の弟景泰帝を即位させて徹底抗戦の構えを見せたためにエセンに十分な利益をもたらさなかったが、これに力を得たエセンは1453年に傀儡のハーンを滅ぼして自らハーンに即位した。

しかし、チンギス・ハーンの子孫ではないエセンの即位にはモンゴルの間ではきわめて不敬とみられて評判が悪く、また同輩中の第一人者であったエセンが君主として君臨しようとしたことはオイラト部族連合内の諸部族長が募らせていた不満を爆発させた。エセンは即位からわずか1年ばかり後の1454年に殺害され、オイラトの覇権は挫折した。この混乱により、モンゴルの王族・貴族の数多くが殺害され、生き残ったのはわずかにオイラト部族の母をもつ数人の王子だけという状況となり、モンゴル高原の混乱はさらに続いた。

[編集] エセン没落後のオイラト

エセンの死後、オイラトは勢力を大幅に後退させた。それでも幾人かの有力な首長はモンゴルのハーン位争いに介入し、オルドスなどモンゴル高原の西部を制する勢力を誇った。

しかし、1487年ダヤン・ハーンが即位するとモンゴルの再編統一が行われ、オイラトの勢力はダヤン・ハーンの子孫によって次第に西に追いやられた。16世紀半ばにはダヤン・ハーンの孫アルタン・ハーンに敗北し、世紀の後半にはダヤン・ハーンの別の系統の子孫であるハルハのハーンたちに服属することを余儀なくされた。

やがてモンゴルがダヤン・ハーンの後裔たちの間で分割相続が進み、アルタンの死から後はモンゴル全体を統一する権力が消滅した結果、1623年になってオイラトはモンゴルより独立を果たした。この時代のオイラト人の間ではモンゴルとは別個の集団としての自意識の形成が進み、モンゴル文字をオイラト方言を記しやすいように改良したトド文字が考案されたりした。

同じころ、満州に勃興した後金が内モンゴルの諸部族を服属させ、国号を大清と改めた。これに対して清の脅威にさらされた外モンゴルのハルハとオイラトの各部は同盟を結び、1640年に「ハルハ・オイラト法典」を制定して部族間関係を調整、ハルハとオイラトの抗争はやんだ。

しかしオイラトの内部では、やはり同じころ、部族間の力関係が変化し、内紛が絶えず起こっていた。1632年ケレイトオン・ハンの後裔を称するオイラトの有力部族トルグートは内紛を避けて西方に移住し、ヴォルガ川下流域に移住した。彼らの後裔が現在のカルムイク共和国に住むカルムイク人である。

[編集] グシ・ハンのチベット征服

17世紀のオイラトは、モンゴル高原の西部からアルタイ山脈を経て東トルキスタン北部のジュンガリアにかけての草原地帯に割拠し、首長がチンギス・ハーンの弟ジョチ・カサルの後裔を称するホショート部族が有力となっていた。

1630年頃の内紛の後、ホショート部の首長となっていたグシ・ハン(トゥルバイフ)は、帰依していたダライ・ラマの宗派ゲルク派がチベットにおいて政治的に危機に陥っているのを救うという名目で、1636年にオイラト軍を率いて出動、1637年初頭、チベット東北部のアムド(現青海省)を制圧、その後ラサに上ってダライ・ラマ五世より「シャジンバリクチ・ノミン・ハン、テンジン・チューキ・ギャルポ」の称号を授かった。オイラト各部の首長たちはチンギス・ハーンの子孫ではなかったためハーンになることができず、従来は全オイラトを統べる実力者であってもタイシ(中国語の太師)などの称号を名乗っていたが、グシ・ハン以後、時代ごとに、オイラトの有力指導者の一人にダライ・ラマがハーン号と印章を授けるという手続きを経て、ハーンを名乗ることができる慣例が生じた。

ダライ・ラマから称号を与えらたオイラトの支配者
部族 称号(チベット語(括弧内はモンゴル語)) 時期
トゥルバイフ ホショート テンジン・チューキ・ギャルポ
(シャジンバリクチ・ノミン・ハーン)
1637年
オチルト ホショート セチェン・ギャルポ 1666年
ガルダン ジューンガル ガンデン・テンジン・ボショクトゥ・カン 1678年
ツェワンアラブダン ジューンガル エルデニ・ジョリクトゥ・ホンタイジ 1694年
アユシ(アユーキ) トルゴート ダイチン・アユシ・カン 1697年


グシ・ハンは1638年より1639年にかけ、傍系の兄弟たち、オイラト各部の首長家の傍系者らをその配下とともに呼び寄せ、彼らを率いて残るチベット各地の征服に乗り出した。グシ・ハンの軍は1642年までにチベットの大部分を制圧、ホショート本領は兄の子で正統継承者のオチルトに譲り、チベットにおいてグシ・ハン王朝を樹立した。グシ・ハン率いるオイラト軍はアムドを主としてチベット各地に配置されたが、彼らのうちアムドに居住する者たちがのちに青海モンゴル族と呼ばれるようになった。また、一部のオイラト部民はラサ北方100キロ付近のダム地方に移り住み、グシ・ハン王家に仕える直属部隊となったが、これらの人々の後裔がチベットのオイラト人として現在も続いている。

[編集] ジュンガル帝国

グシ・ハーンは、援軍としてチベット遠征に従っていたオイラトのジューンガル部(ジュンガル)の首長ホトゴチンに自身の娘を娶わせてバートル・ホンタイジの称号を与え、ジュンガリアのオイラト本国に帰国させてその支配を委ねた。バートル・ホンタイジの死後、ジュンガリアでは再び部族間の内紛が再燃し、1672年にはバートル・ホンタイジの子センゲが内紛により殺害された。センゲの弟で、チベットのダライ・ラマ五世のもとで仏門に入っていたガルダンは、その報を受けるとチベットからジュンガリアに帰還し、還俗してジュンガル部族長となった。そしてガルダンは、オチルトをはじめとするオイラト内のライバルたちを次々に屈服させ、全オイラトの支配権を握る有力な支配者に成長した。

ダライ・ラマ5世は、かつての弟子でもあるガルダンに強い支持を与え、ガルダンはそれに応え、チベット仏教の守護者として、イスラム教勢力やゲルク派に反抗する勢力との戦いに明け暮れ、東トルキスタン全域からモンゴル高原の西部にいたる大遊牧帝国を築きあげた。

さらにガルダンは、モンゴルのハルハ部族の内紛に介入し、モンゴル高原中部に攻め入ったが、ハルハの反ガルダン勢力は雪崩を打って内モンゴルに逃れ、清の康熙帝に服属したため、モンゴル高原の支配権をめぐってオイラトと清朝の全面戦争となった。ガルダンは遊牧兵力の機動力を生かしてよく抗戦したが、偶発的に康熙帝の親征軍に遭遇して敗れ、逃走した。このときジュンガリアのオイラト本国においてガルダンの甥ツェワンアラブダンが叔父に反旗を翻して自立し、補給を断たれたガルダンは逃走中に死亡した。この抗争の結果、ハルハは内モンゴル諸部と同様に清に服属し、オイラトは清に朝貢することになったが、ツェワンアラブダン以下歴代のジュンガル部族長たちはガルダンの地盤を引き継いでオイラトを支配し続け、チベットや青海をめぐって時に清と対立した。

その結果、ジュンガルに対する不信感を強めた清は、1723年1724年にチベット、1754年1755年にジュンガリアに出兵、グシ・ハン王朝とジュンガル帝国をともに征服・解体し、その領土と部族民を清朝の支配体制に組み込んだ。

さらに1760年にはイリ川渓谷にあったジュンガル帝国本領の故地で反清反乱が勃発するが、乾隆帝はこれに激しい弾圧をもって応え、清軍の持ち込んだ天然痘の流行もあってイリ川渓谷にいたジュンガル部族はほとんど絶滅した。現在イリ川渓谷に住んでいるのは、その後清が入植させたカザフ人や満州軍人たちの子孫である。


[編集] 清朝以降のオイラト

清は征服したオイラトを満州語でオーロトと呼び、モンゴル諸部と同じく盟旗制度によって編成し、各部族長に爵位を与えて貴族として遇するとともに自治を認めた。清朝治下のオイラトは、モンゴル高原西部のホブド地区に30旗、イリ将軍管轄下のジュンガリアに17旗、青海辧事大臣管轄下の青海地方に30旗があった。また、チベットのオイラト人は、1717年にグシ・ハーン王朝が断絶して後は、カンチェンネー、ポラネーらチベットの権力者の属下に入り、1751年、清朝がポラネーの後継者ギュルメナムギャルを「清朝に対する反乱」を企てた廉で謀殺した際、駐蔵大臣の管轄下に移されて8旗に編成された。

清が崩壊しモンゴル国がボグド・ハーンのもとに独立を宣言すると、ホブド地区のオイラト諸部はモンゴル政府に従い、モンゴル国に編入された。モンゴル国はアルタイ山脈方面のオイラトをも併合しようと軍を派遣したが中国によって阻まれ、この地方は新疆省を経て新疆ウイグル自治区に編入された。

チベットのオイラト人は清朝が滅亡するとチベット政府の統治に接収され、清朝軍の残党をラサから駆逐するのに功績のあったセラ寺の寺領となった。彼らはチベット社会への同化が進み、1950年の段階で、人口は20000人弱、モンゴル語はいくつかの単語を操れる程度となっていた。

ヴォルガ川流域にいたトルグート部は、18世紀に入るとロシア帝国による圧迫に苦しみ、イリ川渓谷がジュンガルの消滅によって空き地となったことを知って故郷への帰還を決意した。このとき、ヴォルガ川の西岸にいたトルグート部民はヴォルガ川が凍結しておらず渡ることができなかったためにヴォルガ地方に取り残され、そのままロシア帝国統治下に組み入れられた。彼らはソビエト連邦のもとでカルムイク共和国を形成し、現在に至っている。

モンゴル国がモンゴル人民共和国となると、オイラト人たちは西モンゴル人と位置づけられ、多数部族であるハルハに対する少数部族として扱われたが、文化的にはハルハ・モンゴル人への同化が急速に進んだ。

一方、新疆のオイラト人は、民族的に圧倒的に少数派であり、周辺の漢民族ウイグル人、カザフ人などとの混交が進んでいる。中華人民共和国においては蒙古族として識別され、内モンゴルのモンゴル人と同一民族として扱われた。その後、文化的自覚を強める中で新疆においてもトド文字にかわってモンゴル文字が使われるなど、内モンゴルのモンゴル人との民族意識の一体化が進み、積極的に西モンゴル人という用語で呼ぶ局面が一般的となっている。

[編集] 関連項目

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