キドカラー大道
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キドカラー大道(キドカラーおおみち、本名: 大道幸人、おおみちゆきひと、1964年10月29日 - )は、日本のタレントである。
[編集] プロフィール
北海道生まれブラジル育ち。大学中退後ビートたけしに有楽町のニッポン放送前で放送終了後直訴1984年師事。たけし軍団の二軍的存在のたけし軍団セピアに在籍。1985年から1988年までの期間にボーヤと呼ばれる師匠の身の回りの世話担当をつとめていた。当時の人気番組『たけしのスポーツ大将』では運動神経の良さを生かし陸上競技やスキーに活躍を見せた。
当時一連のビートたけしのタレントショップの起業で北野印度会社(カレー店)、KITANO CLUB等のマネージメントにも原田泉(元高田純次マネージャー)、深野(後のサダージ深野)らと共に関わっていた事もある。1989年には漫才コンビを友人と組み、師匠に了承を得てテレビ出演と軍団活動から離れた。
当時、出戻り弟子の古田古が裕福なたけしファンに恐喝まがいな行動を取った事に怒り、『スポーツ大将』の野球を収録中にノックバットで病院送り(頭蓋骨骨折)にした。この事は「ノックバット事件」として知られ、当時ラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』でもこの事件の擬似裁判が番組企画として行われた。その結果、古田はその悪行が露見して永久破門。その他、太田出版の編集長(当時)高瀬幸途が彼を侮辱した事が発端で大道が太田出版に殴り込んだ事もあるらしく、元々気性の荒いところがあるようだ。
名前の由来は上京直前までの職業が札幌の電器店勤務であった事から、座興での命名の場でたけしの連想で(1)電器店⇒(2)テレビ⇒(3)テレビと言えばキドカラー(昔飛んでいた飛行船キドカラー号の印象が強かった?) (日立製作所) と、やや強引とも言える理由で付けられた。当初は出演する番組のスポンサーに合わせて、パナカラー(松下電器)トリニトロン(ソニー)等と変化するという趣向だったが、活躍する事はあまりなく、名前が変化する事は最後まで無かった。
在籍時代にたけしの店「北の屋」を近藤真彦が訪れた際、近藤が乗りつけたフェラーリの見張りをさせられた事が有る。ちなみに近藤と大道は同い年で、それをヒントにしたたけしが「同い年でもこんなに違う」というコーナーをオールナイトニッポンで始めている。
[編集] 主な出演番組
ほか